第27話 泉の扉

「後は、この泉にある扉を封印するだけなんだが――」

 アンドレアルフスがちらりとシェリルを見る。彼女はアンドロマリウスの胸に頭をうずめたまま、ぴくりとも動かない。アンドレアルフスが、事の詳細をリリアンヌとクアに説明し終わり、二人の側まで戻ってきた時には既にこうなっていた。

 アンドレアルフスはリリアンヌとクアに、扉を封じ終わるまでは何が起こるか分からない。結界の中なら絶対安全だから、と言いくるめておいて正解だったと内心で溜息を吐く。

 “召還術士シェリル”ではない姿を他者に見せるのは良くない。悪魔を侍らせ人間界で生きるシェリルに、弱い部分などあっては生きていけない。人間は時に、悪魔よりも残虐な生き物だ。決まりを守らぬ者も多い。

 普段適当な態度をとっているアンドレアルフスであるが、召還術士としてのシェリルを助けるとロネヴェと約束してしまった以上、なるべく安全な立ち位置に彼女をいさせてやるのも必要な事だった。

 アンドレアルフスがアンドロマリウスを見やると、彼は小さく首を横に振った。どうやらお手上げらしい。アンドレアルフスはすぅ、と息を吸ってシェリルの耳元に囁いた。


「召還術士シェリル殿、助けていただきたい」


 途端、勢いよくシェリルが顔を上げた。がちん、と歯のぶつかる音が響く。アンドロマリウスの顎にシェリルの頭がぶつかったのだ。シェリルは頭を片手で押さえながらアンドロマリウスに謝った。

「気にするな」

 彼の言葉に、小さく頷いたシェリルはもぞもぞと身動きしてアンドレアルフスの方へと向き直した。アンドロマリウスが腕を放してシェリルを自由にさせる。

「ごめんなさい、泉の扉をどうにかするんだったわね」

「そそ。頼むぜ」

 シェリルの泉をじっと見つめる瞳には、生気が戻っている。アンドレアルフスは自分の声掛け方が正しかった事を確信した。

「……封じるより、壊した方が確実かしら」

 ぽつりとシェリルが呟いた。

「通路が無ければ封印も何もないしなー」

 封じるのは簡単だが、解放される事もある。扉自体がなくなればどうか。改めて扉ができる確率は非常に低い。シェリルの封印を解くのと、扉を作り出す事の難易度を考えれば、シェリルが扉の破壊を考えるのも自然な流れだった。

「つっても、壊すのも大変だぞ?」

 魔力が集約してできた天然の扉を壊す事は、普通の人間にはできない。シェリルがそれを簡単にやってのけるとはアンドレアルフスには思えなかった。


 アンドロマリウスやアンドレアルフスなら可能だが、少なくともアンドレアルフスは自分の力を使いたくないから論外だ。ディサレシアの殲滅でアンドロマリウス自身も力を消耗している。

 彼女に異界渡りを封じられている今、彼も力を浪費したくはないはずだった。

「大丈夫。マリウスに協力してもらうから」

 軽い口調でそう言うなり、シェリルは後ろを向いた。


「何を――」

 何をするのか、そうアンドロマリウスは言おうとしたのだろう。だが、彼が最後まで言う事はなかった。シェリルに口を塞がれたのだ。

 突然の深い口づけに、アンドロマリウスが驚きのあまり固まったのは一瞬だった。少しだけ、シェリルの力が流れ込んでくる。

「ん……は、っ……」

 シェリルの意図をすぐに理解した彼は、そのまま彼女の好きにさせる為に力を抜いた。それに驚いたのはアンドレアルフスであった。こうも簡単に力を譲るとは、予想外だったのだ。

 互いの口内を舐りながら、魔力を交わす。積極的な舌遣いにアンドロマリウスは内心微妙な感じを覚えながらも、負けじと応じる。

 別に、力を譲る為だけにここまでする必要はない。ただ、送る力の量を増やせば良いだけだ。だが、少しだけ惜しい気がしたのだ。

 シェリルの方へアンドロマリウスの力が移動し、徐々に闇色に染まっていく。そんな彼女の銀糸を見つめながら、アンドロマリウスは彼女が望む分だけ、力を譲り渡したのだった。




 シェリルは漆黒の髪を揺らしながら、すたすたと泉へ向かう。その瞳はアンドロマリウスの力の影響か、氷のような色から薄桃色へと色付いている。

 泉の水に両足を入れ、右手を突き出すように構えた。瞳の色が少し濃くなる。その様子を見て、彼女の後をついてきたアンドレアルフスが問う。

「壊せるのか?」

「力も借りたし、この石もあるしね」

 突き出している手を開いて彼に見せる。そこには一つの石があった。小さく、透明な原石である。その石を見た途端、アンドレアルフスが破顔した。

「なるほど!

 んじゃ、頼むぜ」

「任せて」

 シェリルは自信のある表情で泉へと向き直った。

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