第4話 悪魔の顔芸と懐かしい味

 シェリルが口を噤み不自然な沈黙へと変わる直前、アンドロマリウスが助け船を出した。

「長きに渡り、上級の悪魔を封じてうまく使役している主を労う為、カリスの殿下より招待いただいたのだ」

「なんと!」

 彼は飛び上がりそうな勢いであった。半分くらいは正しい情報ではあるが、これを広められては後で困る事になりそうだった。

「だが、これは内密に頼む。

 封じられた悪魔に手を出す輩が出たら困るのでな。

 最悪、封印が解かれたら誰も彼の悪魔を制御できまい。

 主は遠くの地にいて対処もできず、この周辺一帯は砂漠となるだろう」


 深刻そうにアンドロマリウスが言うと、店主の顔は一気に青くなった。それはそうだろう。召還術士の居ぬ間に、彼女の封じた悪魔が暴れ出すかもしれないと言われたのだから。

 シェリルの杞憂もちゃんと考えていた彼は、普段は見られないような顔芸を披露していたのだった。

 そもそも問題の悪魔というのも一緒に街を出ていて、しかも目の前にいるのだからあり得ない話ではあったが、店主は信じたらしい。封じられた悪魔が現在街の為に活動している事を知らないのだろう。

 あれはカプリスの街における公然の秘密だから、知らないのは最もだ。

 悪魔が開放される原因となってはたまらないと、店主はこくこくと上下に頭を動かした。


「俺は、召還術士の護衛だ。

 主が不慮の死を遂げれば、封印も何もかも失せてしまうからな。

 とにかくこれは忍びの旅なのだ。

 主の身を守る為にも、くれぐれも、漏らす事のないように」

 アンドロマリウスが騎士顔負けの爽やかな真面目顔を披露し、店主の手を両手で握りしめる。

「はい! お任せください!」

 従順な下僕のように、きりっとした返事を返す店主であった。


 店主が奥へ戻ると、二人は何事もなかったかのように食事を始めた。ユーメネは石を売った金で全てを賄う街である。基本的には比較的近いカプリスから様々な食料――特に野菜類――を手に入れる。

 シェリルが目にしたのはカプリスで最も多く生産されているトマトであった。同じくカプリスで生産されたであろうオリーブと、食事には欠かす事のできないチーズが使われていた。

 熱を通さずに調理しているものは珍しい。それだけ気を使われているのだと、シェリルは察した。

 アンドロマリウスが口にしているのは、カメルとカツィカの合いの子、メルツィカを使ったトマト煮である。メルツィカは、チーズを作る為のミルクがとれる上に、食肉にもなる便利な動物である。長距離移動にも耐えられる為、この国では重宝されている。

 そんなメルツィカをトマトで煮込んだ料理は、アンドロマリウスのお気に入りでもある。ここの宿のトマト煮はニンニクを効かせた刺激的な味だ。

 そう言えば、とシェリルは思い出す。昔もトマト煮はニンニクの風味が強かった。味はそのまま受け継いでいるらしい。

 シェリルがふと、黙々と食べ続けるアンドロマリウスを見つめる。彼の様子から察するに、この味付けも気に入ったようだった。


 パンをちぎって添えられているワインに浸ける。赤く染まったパンを口にすれば、微かに甘みを感じた。どうやらこのワインは蜂蜜を加えて発酵させたものらしい。

 シェリルはブドウとスパイスでできているワインも好きだったが、蜂蜜で発酵させたものも好きだった。この宿で出されるワインは、この甘みのバランスが絶妙で、彼女自身も好んで頼むものだった。

「……懐かしい味」

 昔頼んだものと同等のものを出されているのに気が付いたシェリルの口元は、自然と緩んでいったのだった。


 殆ど食べ終える頃になると、店主がまた現れた。手にはグラスとボトルを持っていた。

「お楽しみいただけておりますかな?」

「ええ。

 昔から変わっていないようで、嬉しいわ」

 機嫌の良さそうなシェリルに店主はほっとした様子を見せ、グラスを置いた。

「食後の蜂蜜酒です。

 甘く、度数の高くなるように作り上げた自信作でして」

 そう言いながら、店主は小さなグラスに蜂蜜酒をそそぎ込んだ。淡いレモン色の液体が、シェリルの目の前に差し出される。

 彼女が口付け、一口で飲み干す。直前まで氷で冷やされていたらしく、冷ややかな、しかし甘くさっぱりとした味が広がった。

「うん。おいしいわ。ありがとう」

 彼女の言葉に、店主は恭しくお辞儀をして下がっていった。それを見送ると、アンドロマリウスも口にする。

「……確かに、良い味だな」

「でしょ。私の蜂蜜酒と張れる位ね」

 食後の一杯を終え、二人は満足して部屋で休んだのだった。

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