第21話 ネットカフェ
小熊が今まで何度か利用した事のあったネットカフェは、快適な棺桶といった感じだった。
仮眠の出来るリクライニングシート、名前の通りネット接続の出来るデスクトップPC、ファミレスのようなフリードリンクの機械、コミック棚やシャワールームまである。
小熊にはネットや漫画に長い時間を費やす趣味は無いが、シートをフラットにすれば眠るには充分で、バイクで長い時間ずっと走り続けた先で、倒れこんで寝るだけの時間を過ごすには最適だった。
郊外都市や国道のロードサイドで深夜まで派手な灯りを点しているネットカフェは、どこか椎の母に聞いたアメリカのモーテルを思い起こさせる。
小熊たちが一夜の宿を求める事となった東京のネットカフェも、内装や設備は今まで行った事のあるネットカフェと変わらないようで安心した。
スペース内に流れるBGMさえ同じのネットカフェが、小熊の知る店と違うところがあるとすれば、受付カウンターで見かける客層。
郊外のネットカフェを利用するのは、旅行者や労働者が多かったが、渋谷の店ではスーツ姿の男女が目立つ。近隣にある幾つものオフィスから来たであろう会社員たちは、スマホを操作しながら仕事の続きをしている。
これが夜が更けると問答無用で街が眠り、ここしか行くところの無い人間が安息を求めてやってくる郊外のネットカフェと、昼も夜も変わる事なく動き続ける東京のネットカフェの違いなんだろうかと思った。
さすが東京のネットカフェだけあって、個室の種類が選べるというので、椎が三人で泊まることの出来る座敷スペースを希望した。
形状的には快適な睡眠が出来る構造になっているが、どうしても体を拘束されているような気分になるリクライニングシートが苦手な小熊も、異存は無かった。
ネットカフェの狭い睡眠スペースは、小熊にとって棺桶のようなものだが、東京ではネットカフェの棺桶も酒樽の桶からファラオの棺にランクアップするらしい。
三人で一部屋の一泊料金は安く、もしかしてここに連泊しながら適当に東京観光を楽しんだほうが、得る物が大きいんじゃないかと思った。
安易な方向に流されそうになる小熊に礼子は言った。
「明日は四時に出るから」
小熊の脳内に、ついさっきカブを押して歩いてきた代々木から渋谷の街が思い出された。
仕事を終えた社会人が街に出てくる時間の、人と物の密度に圧倒されそうな、東京に負けそうな気持ち。
早朝の四時ならば、さすがの東京も眠っているだろう。山梨なら何もかもが凍り付いている時間。出歩いているのは配達業や一部の農家など、外に出る必要のある人間だけ。
小熊は都心の道でカブを走らせる自分自身を想像した。昼は人と車で混雑した道も、それらが全て居なくなれば広く快適な道路。灯りの消えたビルの間を駆け抜けるのは気持ちいいだろう。
受験を終えて怠けた生活が体に染み付いている椎は「え~起きられな~い」と不満な様子だったが、それは翌朝この抱えて運びやすい体をシャワーにでも放り込めば目を覚ますだろう。
小熊と礼子、椎はネットカフェの女性専用スペースにある座敷席に落ち着いた。
2~3人用の部屋は、三畳ほどの個室に柔らかいフロアマットが敷かれていて、三人で寝転ぶ事が出来る。
低いテーブルにはPCのモニターとキーボード、カラオケセットが置かれていて、礼子は早速電源を入れ、動画を流し始めた。
椎が家から持って来た食べ物を今夜のうちに消費しようという事になり、床に敷かれたシートにパンやハム、チーズ、缶詰が並べられる。
とりあえずシャワーを浴び、部屋備え付けのルームウェアに着替えた小熊は、フリードリンクのコーナーで飲み物を幾つか注ぎ、個室へと持って行った。
椎と礼子もシャワーを済ませ、個室ではちょっとしたピクニックが始まる。椎がコミスブロートと呼ばれるライ麦のパンを薄く切り、缶詰のパテや魚を挟んでサンドイッチを作る。
去年の九州ツーリングでも大きな塊で持って行き、日持ちし腹持ちする便利な食糧として役に立ってきれた黒パンを食べていると、自分が山岳に潜んだゲリラか何かになったみたいで、どこででも生きていけそうな気分になってくる。
今の自分が居る場所は山の中ではなく、コンクリートの森だが、街の営みから逃げ出して人目を忍んでいるという点では、あまり変わらないんだろう。
とりあえず森林のアジトには無いフリードリンクのコーヒーやフルーツジュースを飲みながら、もしかして東京では山の中を走っていても自販機が煌々と周囲を照らしているのではないかと思い、思わず笑みが漏れる。
半日に満たない時間を過ごしただけで、都会に少し疲れた気がする。礼子はさっそく無駄にスペースを占領しながら眠っていて、椎も小熊の肩に顔をもたれかけさせてヨダレを垂らしている。
礼子と椎を狭いスペースの端に片付けた小熊は、備え付けの寝具を取り出して横になった。防音の行き届いたスペースだが、壁一枚隔てた外の街では無数の人が動き回っている気配を感じる。
明日は東京にも幾つかあるという山に行くのもいいだろうと思いながら、小熊は上等な棺桶の中で眠りについた。
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