第29話 影

「ちょっとアンタ、ピーマンもちゃんと食べなさいよ」

「俺がピーマン嫌いなの、知ってるだろ」

「知ってるわよ。知ってて注意してるの」

「なんだよそれ。お前は俺のオカンか。嫌いなモンは嫌いなんだから、いくら説教されたって食わないからな」

「アタシの料理が食べられないっていうわけ?」

「いや茶助が買ってきてくれたやつだろこれ。お前が作ったわけでも、ましてやお前が買ったわけでもない」

「アタシがアイツに頼んだんだから、アタシの料理よ」

「なんだその屁理屈は。ていうか、お前だってコーン残してるじゃねぇか」

「これは、アンタに譲ろうと思ってストックしておいてあげてるの」

「いらねぇよ」

箸を置く。

「ごちそうさん」

ティッシュで口元を拭き、右手で腹をさする。コンビニ弁当って、大した量じゃないのに重く感じるんだよな。味付けが濃いからか?

「アタシも、ごちそうさま」

紅が両手を合わせる。

「完食してないじゃん」

彼女の器には、ナポリタンがちょろちょろと残っている。

「お腹いっぱいなの」

「お前、胃が小さいよな。態度はデカいのに。偏食家だからか?」

「じゃあアンタが食べれば?」

「おう」

紅が残したナポリタンを口に運ぶ。また口元がベタベタになってしまった。

「いい加減、コンビニ弁当も飽きたな。どこかの誰かが、おいしい料理を振る舞ってくれないかなぁ」

「ご期待に添えず申し訳ありませんでした。アタシに家事の才能は皆無なんで」

「よく知ってます」

食後の満腹感に導かれるように、その場に仰向けになる。なんだか、またフィギュアの数が減った気がする。窓を封鎖しているのに、セミの声が大変やかましい。東京の夏は本当に暑い。

あれから──あの三人と決別してから、数日が経っていた。俺は予定通り、自分の部屋に立てもっている。ただ、予定外なことが一点だけ起こった。

「ほら、ゴミはちゃんとまとめなさいよ」

そう、相模 紅である。

タクシーで家に着いたのが早朝のことだった。俺と紅は下車して別れ、俺はこれからに備えて近所のコンビニに買い出しに行った。そして家に帰った。部屋に入った。そしたらコイツがいた。大量の荷物と一緒に。

「アタシもここで生活するから」

そうして、俺はこの金髪ツインテールと一緒に立て籠もることになった。

「なによ、じろじろ見て」

一度体験してみればわかることだが、立て籠もるという営みは非常に難易度が高い。なにせ、俺の部屋ですべてを完結させなければならないのだから。んで、生活力のない俺たちにそれは無理だった。だから実際は、「この部屋に立て籠もる」というより「この家に立て籠もる」のほうが正しい。そうなると、一気に危険度が跳ね上がるわけだが──ここで、嬉しい誤算が発生した。

葵ねぇが、部屋からまったく出て来ないのだ。時折、物音が聞こえるから、家に帰っているのは確かだろう。ただ、姿を見ない。俺を襲ってくることはおろか、俺とコミュニケーションをとろうという意思すら感じない。リビングのテーブルに、俺の食事が用意されているだけだ。……まあ、紅の命令で葵ねぇの料理には手を付けてないけど。

ということで、俺たちはどうにかこうにか生き延びている。食事は茶助に買ってきてもらい、家の窓はすべて封鎖し、外に一歩も出ない。

「とはいえ、精神的に応えるな」

ため息が漏れる。せっかくの夏休みだというのに、外出が不可能だなんて。

「慣れなさい。アタシたちのこれからのためにも」

これからって……いつまでこの生活を続けなきゃならないんだろうか。

「しっかし暑いわね。アタシ、汗かいたからシャワー浴びてくるわね」

「俺も付いて行ってやろうか?」

「ば、バカなことほざいてんじゃないわよ! アンタはここで大人しくしてなさい。絶対に部屋から出ないこと」

「はいはい」

紅はそそくさと部屋を後にした。俺も後で風呂に入ろう。

さてと、夕飯までなにして過ごそうか。どうせアイツは「宿題しなさい」の一点張りだからな。紅が戻ってくるまでゲームしよっと。

……あれ、眠たくなってきたな。食後に眠気を感じるだなんて、我ながら単純だな。まあしばらくはヒマだし、寝ても大丈夫だろう。

俺は抗う気力すら持たずに、そのまま目を閉じた。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


目が覚めたら、あたりは真っ暗だった。そうか、もう夜か。

起き上がろうとして、自分がおかしな体勢になっていることに気づく。床に寝転んでいたはずなのに、いつの間にかイスに座っている。寝ぼけたのか? そう思い、立ち上がろうとすると、

「んむっ……!」

そこでようやく、自分が異常事態に陥っていることを知る。俺の身体はイスに固定されていて、口元はテープで覆われていた。手も足も動かなければ、声を出すこともできない。

暗闇に目が慣れてくる。ここ、俺の部屋じゃないな……? そう感じた直後、俺は視界に入ってきた光景に愕然とすることになる。

床に広がるハンカチ、Tシャツ、体育着、靴下、パンツ。加えて文房具、スパイク、制汗剤、中学校の学生証、イヤホン、リップクリーム、小学校の水着、ストラップ、旧式の携帯電話、人形、毛布、水筒、果ては歯ブラシまで。全部、全部俺の私物だ。散らかった残飯やティッシュ、そして毛髪。それすらも、自分のものではないかと邪推してしまう。

眼球を動かすと、部屋中に写真が貼られているのを認めた。俺だ。俺がいる。幼少期の俺を写したものや、プリクラらしきものが大量に敷き詰められている。

極めつけは、さっきからずっと流れている音声。これは俺の声だ。俺の声が、間断なく永遠に流れ続けている。

自分の部屋かと錯覚してしまうほど、この部屋は"俺"で溢れている。

いったいどうなってるんだ? 俺はどうして、こんな奇妙な空間に監禁されているんだ?

なんの合図もなく、目の前のテレビの電源が点いた。突然の発光が目に痛い。ごく自然に、俺は画面を眺める。すると、画面に映っているのが俺の部屋であることにすぐ気が付いた。ナポリタンの容器がテーブルに置きっ放しにされている。ということは、これはリアルタイムの映像なのか? 部屋に日光が射しているのが見える。もしかして、俺が眠ってからそんなに時間が経ってない?

あらゆる疑問が脳内で錯綜さくそうしていると、映像に変化が見られた。誰かの後ろ姿だ。誰だ。誰だ。その一心で画面を睨んでいると、その人物がこちらを見た。


みどりちゃんだった。


彼女はこちらに微笑みかけると、俺の机に手を伸ばし、なにかを取り出した。目をらす。あれは……もしやカメラか? 俺が首を傾げていると、みどりちゃんは次から次へと、部屋中からカメラを取り出す。いや、カメラだけじゃない。小型の物体をも手に持っている。見覚えがある、おそらく盗聴器だ。彼女はそれらを集めると、まるでペットの容態ようだいを確認するがごとく、さっと機械たちを見回した。異常がないことを確認したのか、みどりちゃんはうなずくと、あろうことか、そのすべてを元の位置に戻した。

間違いない。あれだけ大量のカメラや盗聴器が、下手すれば何年間も、俺の部屋に仕掛けられていたんだ。そう直感して、全身がゾッとする。これまでの生活が、すべて覗き見されていた。すべて彼女に把握されていた。観賞か、監視か。いずれにせよ、自分のプライベートが筒抜けだったことに恐怖を感じる。

やがて、みどりちゃんが部屋を物色し始めた。慣れた動作でクローゼットをあさると、当たり前のように俺のベルトをった。いや、ベルトだけではない。ノートや爪切り、さらにはゴミ箱のティッシュまで、堂々と俺の私物を盗んでいた。たぶん彼女は、俺に見られているとわかっていて実行している。いったいなんの真似だ?

疑り深く映像を見ていると、みどりちゃんの行動に変化が見られた。

最初は俺の私物を触っているだけだったが、次第に彼女はそれらを鼻に当てるようになった。

『くんくん……』

映像から彼女の声が聞こえてくる。

『はぁ……なんと心地いい匂い。頭がクラクラしてきます』

みどりちゃんが、俺の私物の匂いを嗅ぎ出した。

『愛しの俊くんの匂い……何度嗅いでも飽きません』

彼女のその言葉に、大して驚かなくなった自分がいる。

『飽きるどころか、全然足りませんよ……れろっ』

そしてみどりちゃんは、俺の私物を舐め始めた。

『んっ……美味しい。俊くんの汗がにじんでいて……れろれろ』

アイスキャンディーを食べるみたいに、彼女は俺のYシャツを舌先で舐める。

『はんっ……おいひい、おいひい』

布を口に含んでは、もぐもぐして、唾液だけ付けて口を離す。こんな奇行でさえも、俺は現実として受け入れてしまっている。

『ダメです……やっぱり足りません。もっと、俊くんを感じたい』

おもむろに、みどりちゃんがベッドに寝転がった。左手に持っていたYシャツを顔に当てる。

そして次の瞬間、右手を股のあたりに添え、動かし始めた。

『ごめんなさい、俊くん……こんな格好をお見せしてしまって』

言いながらも、彼女は手を止めない。服の上から、下半身をさする。

『でも、俊くんのことが大好きで、気持ちが爆発しちゃいそうなんです……』

俺の匂いを嗅ぎながら鼠蹊部そけいぶをいじっている。この光景は、さすがに嫌悪感に近いものを覚える。なにが目的で、俺にこんな映像を見せているんだ。

『俊くんに見られながらするの、とっても恥ずかしいけど……すごく、興奮します』

恥ずかしいならやめればいいじゃないか。

『私、実はこういうのはじめてなんです。だから、私のはじめて、しっかりと目に焼き付けてください。俊くんもたくさんたくさん、興奮してくださいね。恋人のはじめてで』

いらぬセリフだ。俺は、そんな愛を求めていない。

『俊くん大好き大好き大好き。大好き大好き大好き大好き大好き』

覚えたての言葉を連呼する小学生のように、彼女は「大好き」を繰り返す。

『ずっとずっと、お慕いしております。愛しております。これまでも、これからも』

告白じみたセリフと彼女の行動がアンバランスすぎて、まったく説得力を感じない。

『ふふっ、ダメですよ俊くん。いきなりそんな。恋人といえど、順序というものがありますから』

みどりちゃんの声色が明るくなった。

『俊くんがそういうことをするなら、私だって、そういうこと、しちゃいますよ? 私たちは対等なんですから』

笑みを浮かべながら、布団に向かってそんなことを口走っている。妄想でもしているのだろう。

『私たち、もっと深くまで繋がってしまうんですね。嬉しいです。はい、二人で永遠を誓い合いましょう。俊くんからそんなこと言ってくれるなんて、私は幸せです。どうぞ俊くん、私を求めてください。私も俊くんをたくさん求めますから』

彼女の動きがだんだん大きくなる。熱に浮かされて、妄想がはかどっているのか。身をよじらせては、呼吸を荒くしている。

かと思えば、みどりちゃんは急停止した。

『……どうして、私を見てくれないんですか?』

Yシャツに顔をうずめながら、低い声で言う。

『どうして、私の想いに応えてくれないんですか?』

妄想から目が覚めたのか、画面越しの俺に聞かせるように言う。

『どうして、他の女を見るんですか? どうして、私だけを見てくれないんですか? 私のことを見て。私だけを見て』

気のせいか、それが涙声のようにも聞こえる。

『足りない』

『こんなんじゃ足りない満足できない』

『寂しいです……寂しいですよ、俊くん』

いや、気のせいではない。泣き悲しむように、虚空に言葉を発している。

『切ない悲しい寂しい愛しい逢いたい……俊くんも、そう思ってらっしゃいますよね』

みどりちゃんが、ベッドから起き上がる。その瞬間、俺はなぜか肌寒さを感じた。

『俊くん俊くん俊くん、すぐに愛してあげますからね。私が愛で満たして差し上げますからね』

彼女がゆらゆらと歩を進める。その狂気と欲望で歪んだ顔が、どんどんと近づいてくる。一歩、また一歩とカメラに接近してくる度に、俺の鼓動が早鐘を打つ。いま俺が感じているのは、紛れもない恐怖だ。わかる。これまでの経験から、この直感が的外れじゃないことがわかる。

『その代わり、私のことも、たくさん愛してくださいね。なにせ私たちは恋人……対等な二人なのですから』

画面越しに睨まれたかと思うと、みどりちゃんの姿が消えた。映像には、空っぽな俺の部屋だけが映っている。

彼女はどこへ行った?

彼女はなにをするつもりだ?

そんな疑問は、使い古されたなぞなぞのようなものだ。答えなんてわかりきってる。

彼女はここへ来る。

彼女は俺に、傷をつける。

じゃあいつだ? いつ彼女はここへ来る? あと何分で、彼女は俺の前に姿を現す? あと何分、俺に猶予が与えられている? 俺はどうやったら、この状況を脱することができる? 考えろ。考えるんだ。力を込めれば、この拘束を解けるかもしれない。じたばたすれば、物音で誰かが来てくれるかもしれない。だとしたら行動するんだ。一刻も早く行動に移すんだ。自分の身を守るために……!
















「こんにちは、俊くん」




心臓が止まった。

それ以外のことは、なにも頭に浮かばなかった。






「さあ、愛し合いましょうか♡」

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