第119話 台風一過な朝
「現物を見ていただいた方が早いでしょう。少々お待ち下さい」
「俺が持ってくるよ」
シンハ君が立ち上がり個室方面へと消える。
あの鏡はなかなか重い。
一応俺やアキナ先輩でも両手でしっかり持てば持ち運べる。
その限度くらいの重さだ。
だからシンハ君が動いたのは正しいと思う。
すぐにシンハ君は鏡を持って戻ってきた。
「これです。重いから気をつけて下さい」
そう言ってスタンドを立てた状態にして2人の前に置く。
以前は王子の前でガチガチに緊張していたシンハ君だが、今は言葉遣いが多少丁寧になる程度まで慣れたようだ。
まあ何度も来ているし、本人そのものはかなり気楽な性格のようだしな。
さてと。
「これは鏡ですか。でも何てよく映る」
最初に反応したのはターカノさんだった。
立ち上がって裏を調べたり映りを確認したり持ち上げたり色々やっている。
「これはまた意外な物が出てきたね。こんなによく見える鏡は初めてだ」
2人とも興味津々のようだ。
仕方ない。
「本来は自動車の風よけ用に透明なガラス板を作っていたんです。でも途中でこのような鏡も作れる事がわかって……」
「これは市販の予定は無いでしょうか」
ターカノさんがこっちを向いて尋ねてくる。
「残念ながら今のところありません。作るのに手間がかかるのもありますし、重さもかなりある。何よりこの鏡、銀を大量に使うんです。ですので市販に移しても採算がとれないんじゃないかと……」
「そうですか……」
しょぼん、という感じのターカノさん。
ちょっと可哀想かな、そう思った時だ。
「よろしければどうぞ。俺は多分使わないですから」
おっとシンハ君、気持ちはわかるがいいのか本当に。
いや何なら俺のをやってもいいんだ。
しかし不用意に進呈なんてすると……
俺は恐る恐る殿下の方を見る。
やっぱり。
俺は俺は俺の分は、そう言いたげな顔でこっちを見ていやがる。
あ、だんだん捨てられた子犬のような目に変わってきた。
仕方ないな。
「シンハ頼む。俺の部屋にもう1枚鏡がある。ちょっと重いんで持って来て貰っていいか」
「わかった」
シンハ君も何が起こってしまったか気づいたのだろう。
彼が取ってくる間に一応俺は念の為に説明をしておく。
「この鏡は重いですし、ガラス製だから衝撃で割れやすい。しかも昨日思いつきで作ったばかりのものです。まだ経年劣化でどうなるかもわかっていません。ですのでその辺はあまり期待しないで下さい」
「いいのかい、僕もいただいて」
完全に貰う気になっているが仕方ない。
これでもこの国の第一王子殿下なのだ。
シンハ君が鏡を持ってやってきた。
「重いので気をつけて下さい」
殿下、やっと鏡を自分の手で確かめる事が出来た。
さっきまでターカノさんが独占していて横や背後から見るだけだったのだ。
殿下は持ち上げてちょっと考える。
「ターカノ、これ2枚含みで王宮まで帰れるか」
「何とかします、絶対に」
非常に気合いの入った返事だ。
何だかなあ。
「あと、この鏡に使用する材料は何だい。後で研究室の方へ届けさせるから」
これは量産しろという事かな。
仕方ない、一応正直に答えておこう。
「ガラス玉、重曹、石灰石、それに銀がガラスの裏側に半指くらいの厚さでくっついていて、その周りを銅でカバーしている状態です」
「わかった。ターカノも一応憶えたな」
「もちろんです、殿下」
何かもう苦笑するしか無い。
俺だけで無く皆さん、2人を生ぬるく見守っているというかそんな感じ。
そして殿下とターカノさん2人はビシッと立ち上がる。
「それでは本日はこれで失礼致します。このたびは大変貴重なものを頂きありがとうございました」
「あ、ちょっと待ってくれ。まだ頼みたいこ……」
殿下が何か言いかけたが2人とも礼。
なお殿下の頭の後ろにターカノさんの右手がある。
つまりターカノさんは普通に礼をしつつ、殿下の頭を腕力で下げさせた訳だ。
よく考えると立ち上がるのも右手の腕力で引っ張り上げたような気がする。
礼をしたと同時にふっと2人の姿が消えた。
鞄等も消えた処を見ると帰った模様。
「何か以前と比べてずいぶんイメージが変わったよな」
「そうですね」
シンハ君の台詞にナカさんが頷く。
俺も全く同意見だ。
何だったんだ今の台風一過は。
おまけに小金貨2枚以上かかっている鏡を2枚も取られてしまったぞ。
まあきっとその分のお返しは来るだろうけれど。
「頼みたいことって言っていたよね、最後に」
「聞かなくて正解だと思いますわ」
アキナ先輩、辛辣だ。
でも皆うんうん頷いている。
俺も実は同意見だ。
「あと取りあえず帰りましたら、女王陛下以下の方々にも鏡を作ってお送りしなければなりませんね」
「そうだなきっと。多分材料込みでお願いという名前の注文が来るだろうからな」
大貴族2名がそう言ってため息をつく。
なんだかなあ。
こんな南までバカンスに来て何をやっているんだろう。
思わずため息をついてしまった朝だった。
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