第04話 掴みは成功するか
「こ、この雰囲気の中で、やれと……」
赤毛の転校生、アサキはあまりの無茶振りに顔を青ざめさせていた。
だって、そうじゃないか……
この、端の席でも心臓聞こえそうな凍り付いた空気の中で挨拶をしろというのだから。
ただ静かなだけならいざ知らず、あんなドタバタによる異様な緊迫感の静かさだからな。
ああもう、みんなこっちに注目しちゃってるよ。
でも、ドタバタ関係なくそうもなるか。
わたしは、転校生なんだからな。
よし……
こほんと咳払いをする。
床に転がっている黒板消しを拾って戻すと、あらためて生徒たちへと向き直った。
これから勉学を共に励むことになる男女クラスメイトへと。
ふと真っ先に目に入ったのが、窓際の席にいる女子だ。おでこから黒髪を分けた、朗らかそうな雰囲気の。
続いて正面最前列、アサキのすぐ前に座っている、お嬢様然とした長い黒髪の女子生徒。
さらには廊下側の後ろから二番目、先ほどキンキンした声で大暴れしていた小柄な女子。自分も小柄な方だが、彼女はもう一回り小さい。
それと……って、あれ? たったいままで、わたしのすぐそばで死んでいたポニーテールの子がいないぞ。……おお、もう自席に着いて首をこきこき回してる。タフだな。
この教室で、わたしは……
生徒たちを見ているうちに、アサキの心になんだか込み上げるものがあり、
「うっ」
声を詰まらせていた。
目が、涙で潤んでいる。
「ど、どうしたの? あ、さっきの後頭部の打ちどころがっ……もう、昭刃さんがバカなことばかりするからっ! いつもいつも!」
須黒先生がさっと寄って、背中をさするように叩いた。
後頭部なら背中さすっても仕方ないのでは……
「ち、ちが……」
ただ転校の実感に感傷的になっただけなんだ、といおうとしたアサキであるが、
ぶふっ、
言葉出ず、代わりに吹き出してしまった。
軽くではあるが背を叩かれたことにより、自分の唾でむせてしまったのだ。
げほごほ、げほごほ、アサキが苦しそうにしていると、
「どうぞ、これお飲みなさい」
先ほど見回した生徒の中の一人、お嬢様風の女子だ。
一体いつそんな準備をしたというのか、水の入ったカップを両手に持って自席に座ったままアサキへと差し出した。
「あ、ありが、げほっ」
慌てて受け取り、飲んだ。飲み干した。
そのせいかゲホゲホもすぐ収まり落ち着いて、ふうっと一息。
「優しいね、やっぱり」
アサキは、お嬢様を見ながら微笑んだ。
「やっぱり?」
お嬢様は、可愛らしく小首を傾げた。
「あ、あ、いや、やっぱり優しそうな顔しているだけあって、親切な人だなあって」
えへへ、とアサキは頭を掻きながらごまかすように笑った。
「おかげで緊張も解けた。どうもありがとう」
とんでもなく異様な雰囲気の中で挨拶しろなどと、無茶振りされてたからな。
よし、とアサキはあらためて生徒たちの方を向いた瞬間、するーん制服のスカートが脱げて足元まで落ちた。
パンツ丸出しである。
「おおおお、さっきのドタバタでホック外れてたあああああ!」
アサキは赤い髪の毛よりも真っ赤な顔でしゃがみスカートを持ち上げようとして、足でスカート踏み付けていたものだから自分で引っ張ってバランスを崩してしまい、前へ転がって床におでこを強打した。
「
先生のにべない反応に、アサキはますます恥ずかしくなってしまった。
「は、はい……すみませんでした」
立ち上がりながらスカートを直し、ホックをしっかり留めると、申し訳なさそうに頭を下げた。
別に、ジョークではないのだけど。
奇天烈とか。そんな嫌味をここでいって、なにかいいことあるんですかあ。
まあ、いいや。
ではでは。
自分がますます静かにさせてしまった雰囲気の中で三度目の、あらためて生徒たちと向き合った。
「えー……」
「それよりまず名前を書いてちょうだい」
「そそ、そうですよねー」
ごまかし笑いをしながら、また黒板へとくるーり。
くるくる回ってばかりで目眩がしそうだ。
とにかく白いチョークを手に取った。
あ、いや、やっぱりこっち、と赤いチョークに持ち替える。さしたる意味もないけどなんとなく。
では、
と、気を取り直すこと何度目だか。
黒板に名前を書いていった。
令 堂 和 咲 、と大きな文字で横方向に。
左側まで戻ると今度は、
りょう どう あ さき 、とルビを振った。難しい読みだと分かっているので、特に和のところ。
多分これが最後の、くるん。生徒たちを見る。
と、なんとなく頭皮に違和感、頭を押さえた。俗にアホ毛などと呼ばれるピンと跳ねた一束がアサキにはあるのだが、それがふさふさ揺られ続けて違和感に繋がったもののようだ。
しかし、ぱっと押さえたら別の場所がピンと立ってしまった。
そうなのだ。なんの呪いなのか押さえ付けようとも切ってしまおうとも、何故かどこかにアホ毛が生じてしまうのだ。
仕方ない。こんなこといつまでしてても、そのことに気付かれたら注目されて余計に笑われてしまうだけだ。
「わたしの名前は令堂和咲です。父の仕事の都合で、熊本県の中学校から転校してきました……」
語り始めた。
語り始めて驚いた。
自分で自分に。
何故かというと、名乗る程度にしようと思っていたのに、口を開けば息せき切る勢いでぺらぺらと話していたのである。
どうでもいいことまでも。
父親の仕事のために地方を転々転々としていることも。
趣味は古い歌を聞くこと、歌うこと。
名前の漢字のイメージから、お坊さんなどとあだ名されたこともある。気に入ってる名前だけど確かに分かりにくいから、自分でも脳内ではカタカナで認識している。
スポーツはバスケットボールが好き。
「さらには!」
ぶほっ!
吹き出した。
唐突に、そして豪快に。
「す、すみません
先ほどカップの水をくれたお嬢様から、また貰って飲むアサキであるが、慌てていたため今度はそれが思い切り気管に入ってしまい、げほごほ、げほごほ、ぐえええ、げほっ、ぶほ。
何故こんなにもハイテンションになっているのだろう。
むせまくる恥ずかしさの中、自分でも驚いていた。
ぺらぺらぺらぺら勢いにみんなが唖然としている中、父母のことどころか妹のことまで喋ってしまっていたのだから。
「……妹、
自分の、不快ではないこのテンションに、でも戸惑ってつい両手で頭を抱えてしまう。
「いま話に出た、妹の慶賀雲音や! よろしゅう」
廊下側の窓がガラリ開いて、アサキ同様に紺のセーラー服を着た女子が身を乗り出してきた。
「お姉ちゃん普段はもっと暗いんやけど、なんやろね、この学校くるのえらい楽しみだったみたいでなあ。色々、大目に見たってや」
「く、雲音ちゃん! なんでここにいるの? 雲音ちゃんの教室は、確か下の階でしょお? 先生きっと探してるから、早く行きなよお」
「了解や。アサキお姉ちゃん、ほなな」
手をひらひら振って、雲音は窓を閉める。
と思ったら、また窓を開いて、
「お姉ちゃん歌は好きやけど、ド下手やで」
ピシャン!
去った。
今度こそ。
顔を真っ赤にしてぷるぷる震える姉を残して。
先ほどまでアサキの勢いに唖然としていた生徒たちであるが、さすがに、ぷっという笑いがあちこちで起きて、それは時を待たずに大爆笑に変わっていた。
アサキは頭を押さえて、ごまかし笑いを浮かべるくらいしかもうやれることがなかった。その押さえたところがたまたまアホ毛だったので、法則発動で別のところがピーンと跳ねてしまうのだが。
「とてもユニークな仲良し姉妹のようですね。では自己紹介は終わりでいいかしら?」
須黒先生の締めに、アサキは小さく頭を下げる。
「はい。……わたしは妹と違い、ユニークではないですが」
「それでは、令堂さんの座る席は……」
先生が右手の指を上げ掛けると、窓際の女子が声と共に大きく腕を上げた。
「うちの後ろ、空いとるけえね。ほじゃから、ここってことでええんじゃろ?」
広島だか岡山だかっぽい言葉の、黒髪をおでこで二つに分けている女子だ。
「そうね。それじゃあ令堂さんは、彼女の後ろの席に座って」
「はい」
「やった。転校生のすぐそばじゃ」
指をパチンと鳴らし、朗らかに喜んでいる女子生徒。
まあ、転校生というだけで大きなイベントなのだろう。
その子の方こそまるで転校生という感じの言葉遣いであるのに。
アサキは指示された窓際の空席へと向かおうとするが、その途中に先ほどのポニーテール女子カズミが立っており、通るのを塞いだ。
先ほどこの女子が先生に対して黒板消しやバナナ皮のイタズラを仕掛けて、アサキはツルリスッテン後頭部を思い切り打ったりパンツを晒すことになったのである。
「さっきはごめんな」
カズミは小さな声で謝りながらも、なんだか顔が少し意地悪そうに笑っている。
「気にしてないから」
かなり痛かったけど。
でも、気にしてないのは本当だ。
彼女、カズミの方はそう思っていないようであるが。……別の意味で。
「でもね、黒板消しをこともなげにかわしたのは、気に入らねえ」
カズミの笑みが強く、深くなったその瞬間、ぶっ、と微かな音と共に彼女の右腕が消えていた。
パシリ、
アサキの顔のすぐ前に、消えた拳があった。
カズミの突き出した拳は、アサキの手のひらに受け止められていた。
手を引きながら、カズミは小さく舌打ちをした。
「そこ、なにやってるの?」
須黒先生が教卓のところから訝しげな顔で見ている。
カズミの背に隠れて、様子がはっきり分からないようである。
「さっきのことを謝っただけですよ」
カズミは、少なくとも嘘はまったく付くことなく、自席へと戻った。
そして、どかり不機嫌そうに腰を下ろした。
アサキも、通り道が空いたのでいわれた席へと着いた。
「うちは
さっそく、先ほどの女子が歓迎だ。
「よろしく、
「治奈でええよ。……広島弁、驚かんの?」
「うん。わたし、広島弁の大親友がいるから」
目の前にね。
赤毛の少女は、聞こえないようにぼそりと口を開いた。
「令堂さん、リョードーさん、アサキさん、アサキくん、アサキちゃん、ちゃんがしっくりくるの。ほいじゃ、アサキちゃんと呼ぶけえ。ええじゃろ?」
「うん」
アサキはにこり笑った。
「ほじゃけど、凄いのうアサキちゃんは。いまカズミちゃんのパンチを、いとも簡単に受け止めてたじゃろ? 本気で当てるつもりはないのじゃろけど、彼女すぐああやって初対面の子を脅かすけえね。すぐマウント取ろうとしよる」
「でもねでもね、カズにゃんああ見えて結構やさしいとこもあるんだよお! あのねえ……」
いきなりキンキン声で会話に参戦してきたのは、先ほどの小柄な女子、
「平家さん、端から端まで立ち歩かない!」
参戦も、須黒先生に秒殺されたが。
「はーい。またねえ、アサにゃん」
成葉は早速アサキをアサにゃんなどと独特なあだ名で呼ぶと、反対側の廊下側にある自席へと戻っていった。
治奈は肩を縮めながらアサキへと目配せすると、前へと向き直った。
アサキはふと、窓ガラス越しに外の眺めを見る。
きらきら、輝く粒子を感じたからだ。
我孫子市と柏市に挟まれている手賀沼の水面が、陽光を受けて反射しているのである。
視界に広がるその眺めを見つめながら、懐かしさを覚えてアサキはいつの間にか頬を緩めやわらかく微笑んでいた。
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