エピローグ 新章のはじまり

第01話 今日から新しい学校だ!

   エピローグ 新章のはじまりヌーベルヴアーグ




 夢、現。

 現、夢。

 心地よいまどろみの中、ゆっくりと視界が開いていった。


 ベッドでシーツにくるまっている赤毛の少女が、とろんとまだ眠たそうな顔で半目を開けている。

 そうな、ではなくまだ本当に眠かった。

 まだ半分、夢の中にいるような感じ。


 ここはどこだ?

 少女はくにゃりごろんと仰向けになって、天井を見上げながら思った。

 洋間の白い天井。

 シーリングライトは、ほのかなオレンジ色の常夜灯だ。


 そうだ……ここは、自分の、部屋だ。

 まだ越してきたばかりで慣れていないけど、自分の部屋だ。


「夢……」


 だったのだろうか。

 といっても、もうよく覚えていないのだけれど。

 なんだろう。長い、長い、とんでもなく長い夢を見ていたような、そんな気がする。


 まあ、いいや。

 ふう。と、小さく息を吐いた。


 ええと、今日は、確か……

 今日は……

 ん?


 ぱちっ。眠そうだった目が、いきなり大きく見開かれた。

 勢いよく、跳ね起きていた。

 机の上に置かれたリストフォンから空間投影されている、時計アプリの画面へと視線を向ける。


 2045 令和27年

 6月10日 月曜日

 AM7:38


 時分間の:が、チッカチッカ点滅している。


「あ……」


 赤毛の少女の額から、冷や汗がたらりと垂れた。


「遅刻だあ!」


 頬に両手をムンクで激しく叫んだ。


 と同時に、ドアがどっぱん勢いよく開かれて、黒縁眼鏡の女性が大慌てで入ってきた。


「うおおおう、アサキちゃん、お、起きろおお!」


 まだ三十前だろうか。

 眼鏡の似合う可愛らしい女性であるが、なんだかオヤジっぽく慌てており魅力も台無しである。


「お、お母さん、寝坊してこんな時間になっちゃったあ!」


 アサキと呼ばれた赤毛の少女は、泣き出しそうな顔でベッドから降りて立ち上がった。


 わたわた、ばたばた。なんだか踊っているようにも見えるアサキ。本当はテキパキ支度を進めたいのだが、すっかりパニックでなにをしたらいいか分からず、無駄に手足を動かしているだけだった。


「早く着替えてっ! 手続きで昨日もう学校には行ってるけど、大切な初日登校は今日なんだからね!」

「じゃあ、なんで早く起こしてくれなかったんですかあ?」


 無駄にバタバタしながら着ているものを脱ぐアサキであるが、無駄にバタバタしているものだから、足元に落としたパジャマズボンに手と足を取られて下着姿のまま前へ倒れてしまい、


「ぎはっ!」


 尺取り虫のように腰をくの字に曲げたまま、額を床にゴッツン強打。

 パンツ丸出しでなんだかみっともない姿である。


「あたしも朝は弱いんだよ。知ってるでしょ? 二段階で掛けといた目覚ましどっちも無意識で止めちゃってたらしく、起きたばかりだ」

「やあん、わたしと一緒だあ。遺伝するはずないのにい」


 娘りようどうさきと、母りようどうすぐには、血の繋がりはまったくない。義理の母娘だ。


「魂はしっかり繋がっていて、そこから遺伝したのかしらあ」


 直美お義母かあさん、大好きな娘との絆を勝手に感じてちょっと頬染めウットリ顔だ。

 の、せいで目の前では娘が、ゴッツン!


「うぎゃ! おっ、お母さんが唐突に変なこというから、また転んじゃったじゃないかあ!」


 おでこの同じところを二度も強打して、さすがに赤く腫れてしまっている。といっても髪の毛ほどには、赤くはないが。


「別に変なことなんかいってないでしょ。それより遅いよ、早くしなさい!」

「だ、誰のせいでえ……」


 下着姿のまま、おでこ押さえて恨み節。

 などと、こんなことばかりしても埒が明かない。アサキは、壁に掛けてある紺のセーラー服とスカートを無造作に掴んだ。

 これは前の学校での制服である。

 今日から新しい学校生活が始まるのだが、そこで着る制服はまだ仕上がっていないからだ。


 部屋を出て、袖に腕を通しながら居間へと入った。

 入った瞬間アサキは、


「えーーーーーーっ」


 大口を開けて、不満そうな声を出した。

 居間には既に一人の少女がいて、壁掛けテレビを見ながら朝食のトーストを噛っていたのである。

 アサキ同様に紺色のセーラー服を着た、幼顔のアサキよりもさらに少し幼い感じの、でもちょっと気の強そうな顔の少女だ。


「おっそいで、アサキお姉ちゃん」


 トースト噛りながら、少女は一瞬テレビから目を離してアサキをちらり。


雲音くもねちゃん、一人早起きしちゃっててえ……ず、ずるい」


 とっとと起こしてくれていれば、下着で転んでおでこにタンコブとか痛くてみっともない思いをせずに済んだのに……


「はあ? この朝食を用意したの、誰や思うとるんや!」


 トーストやスクランブルエッグの乗った三人分の皿が置かれたテーブルを、雲音はイラついた顔でバンと叩いた。


「お姉ちゃんが、明日から新しい学校で緊張するうううとかはしゃいで遅くまで起きてたのが悪いんやろ!」

「うう、ぐうの音も出ない」

「ええから、はよ食べや。まだ、ぎりぎり間に合うやろ。昨夜みたいな長トイレにならへん限り」


 雲音は、ははっと笑った。


「これから食事の人に、そういうこといわないでもらえますかあ」


 抵抗ともいえない抵抗をしていると、不意にテーブルの上に置かれたアサキと雲音のリストフォンが同時に振動した。

 ぶいーーーー、ぶいーーーー、という本体の振動を受けて、さらにテーブルがカツカツカツカツと鳴る。


「遅刻すっぞお! お前ら起きてるかあ!」


 鳴り止むと同時に、今度は野太い男性の声だ。

 二つのリストフォンからそれぞれ空間投影されて、それぞれ同じ映像が表示されている。

 アサキの義父、りようどうしゆういち、現在九州は熊本に出張中である。


「いま起きたとこだよお。タイミング遅っ」

「気ィ使ってあげて、そんないわれ方されにゃならんのか!」


 二つのリストフォンから投影された修一が、二人揃って大怒りである。


「だってえ。……でも、ありがとうね、出張先からわざわざ」

「おう、初日、頑張れよ。しっかりな」

「うん。お父さんもお仕事頑張ってね」


 アサキは、修一の映像と両手を合わせた。

 パン、と小気味よい音が鳴った。

 音だけでなく、アサキの手のひらには、本当に打ち合わせた感触がある。静電式触感フィードという技術によって、映像に対して触ったのと同じ感覚を得たり、その結果をAIがシミュレートしてくれる、その仕組みを利用したものだ。


「雲音もな。お前はしっかり者だから心配してねえけど、ドジな姉を抱えて大変だろうからさ。よろしく」

「任せといてや、叔父さん」


 ぱあん。静電式触感フィードで叔父と姪とがハイタッチ、

 しているその隣で、


「ドジな姉え?」


 いまにも泣き出しそうな、なんとも情けない顔のアサキであった。


「ほらほら二人とも、時計見て!」


 遠方からの起きろコールに、反対にのんびりしてしまっていた二人の姿に、直美がパシパシ手を叩いた。


「あ、いけない!」


 アサキは席に着き、大慌てで食べ始めた。

 ぶほり吹き出してしまい、義母と妹からひんしゅくを買いながらも手早く食べ終えて、そしてトイレ、歯磨き。


「行ってらっしゃーい」

「行ってきまあす」


 義母に送られ、カバンを持って、雲音と一緒にマンションの外へ出た。

 青く、澄み渡る空の下へと。


 ここは、千葉県我孫子あびこ市。

 天王台てんのうだい四丁目、駅すぐそばの住宅街である。

 通うことになる天王台第三中学校は、ここから徒歩で十五分。登校初日の指定時間まで、ぎりぎりである。


「行こか、雲音ちゃん」


 紺のセーラー服を着たアサキは、同じ制服の雲音へと手を差し出した。


「うん、お姉ちゃん」


 雲音は珍しく素直な笑顔を作ると、出された手を取った。


 ぎゅっと繋ぐと、二人は青空の下、学校への道を歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る