第11話 オバチャンとからかわれても構わないから

 千葉県我孫子あびこ市立てんのうだい第三中学校。


 北校舎二階の廊下を、黒スーツ姿の、眼鏡を掛けた女性が歩いている。

 ここの教師であり、メンシュヴェルトメンバーの、ぐろさとである。


 まだ朝早いため、生徒や他の教員の姿はまったく見られない。静まり返った廊下に、カツカツと足音が反響しているだけだ。


 右肩に掛けている黒いバッグには、アサキ、はる、カズミ、三人のクラフト内蔵リストフォンが入っている。


 彼女が向かう先は、校長室。


 昨日のこと。

 ヴァイスタが出現したというのに、クラフトが作動せず、アサキたちは変身出来なかった。


 校長の元へと、その相談に行くところだ。


 でも……

 本当は、自分が向かう理由は、そこにはない。


 いや機能しなかったクラフトのことも、大事ではあるが、現在、関心の最優先ではない。


 最優先は、校長と会うことそのものにある。

 この四日間、彼とは連絡が取れていない。


 何故、おかしいと思わなかったのだろう。

 何故、不安に思わなかったのだろう。

 職員室の朝礼でも、思い返せばここ最近、いつも不在だったのに、どうして気にならなかったのだろう。


 いない、ということは、認識はしていたはずなのに。

 それがおかしいことだ、という気持ちが生じなかった。


 昨日、りようどうさきたちに、「校長が、クラッキングまがいのことをして、メンシュヴェルトのことを調べている」、とか、そんな話をしたというのに。


 それと、実際の不安が、まったく直結していなかった。

 不在への不安をまったく感じていなかった。


 バカすぎる。

 と自分で思うけれど、どうしようもない。


 クラフトの件は、どうしても校長に相談するしかなく、そんなこんなを考えているうち、急に、呪縛が解けたかのように、不安が襲ってきたのだ。


 胸が、ドキドキする。

 嫌な予感がする。

 嫌な予感しかしない。

 魔法使い時代から、自分のこの感覚は、よく当たる。


 当らないで欲しい……

 年を取って感覚が鈍っただけ。

 そうであって欲しい。

 後から、昭刃さんにオバチャンとからかわれても構わない。

 だから、どうか……


 廊下に響く、カツンカツンという音が、静まった。

 足を止めたのだ。


 校長室の、ドアの前。


 止まった足音の代わりに、心臓の音が聞こえてきそうだ。

 緊迫に耐え切れず、止まってしまいそうなくらいだというのに、静寂の中で打ち鳴らされている、心臓の音。


 抑えようと、深呼吸をした。

 もう一回。


 吐き切り、普通の呼吸に戻ると、ゆっくりと、手を伸ばした。

 校長室ドアの、ノブへと。

 触れ、軽く力を入れ、確かめるように、回す。


 軽い消失感。

 ロックが、掛っていないのである。


 いつから?

 これまで誰も、開けてみることも、しなかったのだろうか。


 ノブを掴んだまま、軽く押す。

 音もなく、ドアが開いた。


 と、その瞬間であった。

 おぞましい、といえばよいのか、踏み潰された猫のような、断末魔然とした凄まじい絶叫が聞こえたのは。


 誰あろう。

 それは、須黒美里本人の口から発せられた、絶叫であった。


 抱えていた黒いバッグが、床に落ちた。


 開けたドアの向こう、校長室の、奥にいるのは、

 奥の、椅子に座っているのは、

 スーツ姿の、男性であった。


 いや、「男性」の前に、「おそらく」を付ける必要がある。

 何故ならば、

 ずんぐりむっくりとした、熊に似た体型の、

 おそらく、男性、のスーツ姿の、胸の上には、



 首が、存在していなかったのである。



 須黒美里の全身が、驚きと恐怖に、ぶるぶると震えていた。

 よろけながら、ぐっと呻き声を上げると、頭を両手で掻きむしった。


 呼吸荒く、ふらふらとした足取りで、ゆっくりと、部屋に入った。


 身体を震わせながら、 

 一歩、一歩、奥の机へと近付いていく。


 なにかの間違いではないか。

 イタズラではないか。

 せめて人違い、他の誰かであって欲しい。

 酷いことだと分かっている。

 でも!


 ヴァイスタよりも真っ白な顔で、顔から汗をだらだら垂らしながら、机へと、首なしの男性へと、近付いていく。


 三歩、四歩、

 ちょうど部屋の真ん中あたりまできた、その時である。


 ぼとり、

 ぼとり、


 目の前に、なにかが落ちた。


 床に落ちた、それを見て、

 ひっ、と息を飲んだ。


 ぬらぬら光った、二つの、


 目玉、

 だったのである。


 不意に頭上が影になる。

 またなにかが落ちてくる気配に、本能的に見上げたその瞬間、額に、ぐちゅがつんと硬く重く、ぬめっとしたものが、ぶつかった。

 眼鏡が外れて落ちると一緒に、


 どさり、

 大きな物が床に落ち、転がった。


 視認した瞬間、須黒美里の顔は、驚きと恐怖に、歪んでいた。

 裂けそうなくらいに、大きな口を開くが、ひゅうっと呼気が漏れるばかりで、なんの声も出ていなかった。


 出てはいないが、ここに他人がいたならば、表情だけで充分過ぎるほどに伝わっただろう。

 その顔の通り、恐怖に驚くことが、起きたのである。

 衝撃のあまり、叫び声すら出てこないようなことが、起きたのである。


 ふらり、

 後ろによろけて、背を壁に打ち付けた。


 はあはあ、荒い呼吸。


 床に落ちた大きな物。

 それは、人間の頭だったのである。


 彼女の、よく知っている人物だ。


 無残にも、両目をくり抜かれているが、見間違うはずがない。


 この学校の校長、ぐちだいすけの、首であった。

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