第13話 勉強会はカズミとの戦い

 ここは、校舎二階にある宿直室。


 裸のこたつテーブルを囲んで、第三中学校の魔法使いたちが、数学の勉強をしている。


 魔法戦闘力を鍛えるための強化合宿とはいえ、中学生の身分である以上は、一般教科の勉強も日々欠かせないのである。


 四人用サイズ正方形のこたつに、あきかずみちおうおおとりせいあきらはる、が正面に、斜めからりようどうさきへいなるが割り込んでいる格好だ。

 成葉が割り込みあぶれ組なのは、身体が小さく本人も苦に思わないからだが、アサキは単なる力関係による上下格差である。

 杭が出ようものなら、すかさずカズミハンマーが振り下ろされるので、自らおとなしくしているのだ。


 それぞれテーブルに置いたリストフォンで、問題プリントを空間投影させているのだが、それらがこたつの上に広がっていることも手伝って、見た目なんとも窮屈な光景である。


「ほら、ここでさっきの数字をそのまま代入すれば、簡単に方程式の答えが出るでしょ」


 アサキは、応芽とカズミの間で肩を縮めながら、カズミのリストフォン映像をペンで差した。


「ああ、そっかそっか。全然気付かなかったよ。あたし算数苦手でさ」

「数学な、数学」


 応芽が小さな声で小さな突っ込みを入れるが、カズミは気付かず電子ペンかりかり、空間上の用紙映像へと数式を書き込んでいる。


 専用の電子ペンを使用することで、なにもないはずの空間に反発と摩擦が生じて、このように、紙に書くのに近い感覚での筆記が出来るようになるのだ。


 かりかり、かりかり、

 ふと気になったか無意識か、カズミはちらっと視線を動かして、アサキの顔を見る。


 アサキはなんだか嬉しそうに、にんまりとした笑みを浮かべている。

 自分が役に立っていると感じての充足感か、はたまた、その自分の教えによりなんとあのカズミが数学問題を解いているという、支配感にも似た満足感つまりは優越感か。


 かりかり、かり……

 カズミは静かにペンを置くと、


「調子に乗ってんじゃねえぞお!」


 不意に叫びながら両手を伸ばして、アサキの首を掴んでいた。


「上から目線は気持ちいいかあああああっ!」

「な、なんでえええええ? がふ、ぐるじ、ぐびいじべだいでええええええやぁめでええええええ」


 涙目で必死に抗うが、がっちり食い込んだ手は簡単には振りほどけず、見る見るうち顔が土気色に変化していく。

 じんわり暖かな気持ちから、地獄の一丁目へ急転直下のアサキであった。


「あらためて思うんやけど、自分ほんま思考回路が無茶苦茶やな」


 応芽が、あざけりさげすみ純度百パーセントな表情で、横暴凶悪なポニーテールの怪物を見つめている。


「ああそーお? ありがとーん」

「褒めとらへんわ! ほんまキングオブアホやなあ」

「なんで女がキングなんだよ!」


 カズミは、アサキの首から手を離すと同時に、テーブルをどんと叩いた。


「そっちには食い付くんか!」

「当たり前だろ! かわいい女子にキングとか!」


 怒鳴るカズミ、


 の隣で、げほげほぐほげほ、げほごほぐほ、アサキが涙目でむせまくっている。


「うるせえよ!」

「だ、誰のぜいでええ……」


 げほごほしながらアサキは、前髪ばさり恨み念法みたいな顔でカズミを睨んでいる。


「アサキのバカが邪魔すっから、なんの話か忘れちゃったよ。っと、そうだ、キングじゃねえぞ、取り消せよ!」

「え、じ、自分、ひょっとして女やったん? はあ、驚いたあ、初耳やわあ。いや、これまでずうっと勘違いしとってごめんなあ、ミスターアキバ」


 応芽は、カズミの頭をまるで犬みたくしゃかしゃか撫でた。


「やめろ! なんかオタクみてーじゃんかよ、ミスター秋葉ってさ。つうかミスターじゃねえだろ、さっきからあ、絶世の美女に向かってよお」


 応芽はプッと吹き出すと、撫でてた手を離し、カズミの顔をまじまじと見て、お腹を押さえて苦しそうに、


「絶世の美女お? 鏡がないんか、お前の家には」

「うるせーな! お前こそさあ、近隣近所にミスターたこ焼きとかミスターイヤミとかいわれてんじゃねえの? クソ性格悪い関西人だし」

「呼ばれたことないわい」

「それじゃあ、これまでどんなあだ名を付けられたことあるのか、教えてくださあい」

「い、いう必要ないわ!」

「ふふふ、当ててやろうかあ。たぶん間違いない、ずばり、『お笑い』!」

「関西バカにすんなあ! てか周囲が全員関西やのに、そんなわけないやろ!」

「ならば、『通天閣』『でんでんタウン』『ナンデヤネン』『アホチャイマンネン』」


 指を折り折り、適当な言葉を並べていく。


「せやからあ……。自分、ほんま脳の構造がアホなんちゃうか?」

「やっぱり最初に戻ってえ、『お笑い』!」

「分かった分った。『もうええわっ、はいーーっありがとっございましたああああ。ウメちゃんとアホカズミでしたーっ。まったらっいっしゅう!』……締めたったで。これで満足やろ?」

「うん、でもいつものウメの方がもっとアホっぽいかなあ」

「いつももなにも、アホな真似なんぞ人生で一度もやったことないわ!」

「それはお前の……いへへへへ、なりふんらあ!」


 カズミの間抜け声に間抜け顔。応芽が口の両端に人差し指を突っ込んで、思い切り左右に広げたのである。


「あだ名の話から、こんな低レベルのバトルをしてる女子中学生、うち生まれて初めて見たけえね」


 治奈が、顔の肉の引っ張り合いをしている二人へと、薄ら寒そうな目を向けている。

 顔中に、青い縦スジがビシビシだ。


 カズミは、見られていることに気が付くと、恥ずかしそうにというよりは、もう飽きたという感じに、ぶんと顔を振って、口に突っ込まれた指を強引に引っこ抜いて外して、


「そういやあさ、治奈のあだ名ってなんだっけ? 小学生の時の。スカートからパンツはみ出てた頃のさ。ミスターお好み焼きだっけ? ミスターオコノミックアニマルだっけ? ミスターゲームスキーだっけ? ミスター……」


 引いた青スジや、あざけりの視線に腹を立てたか、今度は治奈をいじり出すのだった。


「いい加減ミスターから離れんか! そもそもスカートからパンツはみ出してた頃なんかないわ! ……うちは、そんな変な名前なんかじゃのうて、ええと確か、なんじゃったっけ……」


 と、天井を見上げて顎を人差し指で掻いている治奈の顔が、急に真っ赤になった。


「な、な、なんとも呼ばれとらんかったけえね」


 手をぱたぱた、慌て出す。


「いやいやあ、思い出したぞ! 確か『カープ』だあ!」

「いうなあああ!」

「顔の色で実演してみせなくてもいいのに」

「広島じゃからカープとか、そがいな変な名前で呼ばれてたなんて、恥ずかしさに赤くもなるけえね。嫌なこと、思い出させてくれたの。……ほうじゃ、うちらは成葉ちゃんたちとは小学校が違うたから、知らんのじゃけど、やっぱりあだ名なんかで呼ばれとったの?」


 恥ずかしさを紛らわすため、周囲を巻き込むつもりか、カープは成葉たちへと話を振った。


 成葉も振られた以上は腕を組んで、うーんと真面目に考えながら、


「ナルハが、自分をわたしっていわず、ナルハって呼んでいるせいか、みんなもナルハだったかなあ。ナルちゃん、ナルスケ、ナル坊、頭を取ってルハちゃんとかいう子もいたけど。……そういやそこからの流れで、ルパンと呼ぶ男子がいたりしたっけなあ」

「ル、ルパン? 怪盗のルパン? 片眼鏡の」


 アサキが楽しそうな不思議そうな面白そうな顔で、テーブルに肘を付いたままくいくい身を乗り出した。


「うん。ナルハ、ルハ、ルハン、ルパン」

「ああ、なるほどね。そういう連想か」

「そのルパンと、いつも一緒にいたため、その流れでわたくしは、ゴエモンと呼ばれていました」


 という正香の言葉に、アサキはぶっと吹き出してしまう。


「イメージまったく違あう! って、なんだそっちのルパンか。……しかし、成葉ちゃんはまだ許せるけど、正香ちゃんがゴエモンって……」

「どうしてナルハは許せるのか分かんない!」


 ぷううっ、成葉は頬を膨らませた。


「成葉さんの呼び方は、すぐにナルハちゃんに戻りましたけど、わたくしだけ小学校を卒業するまでゴエちゃんでしたね」


 懐かしむような笑みを、正香は浮かべた。


「そっか、だから成葉ちゃんはいつもゴエちゃんって呼んでいるのか。ゴエちゃんなら、まあ……」


 アサキは、鼻の頭を掻きながら天井を見上げた。


「かわいらしく、思えなくもないしなあ」

「ま、そうだなあ」


 カズミも、腕を組んで同じように天井を見上げていたが、首の角度をウイーンと戻して、アサキの方を向くと、わくわく興味津々の顔になって尋ねた。


「アサ坊、お前はどんなあだ名を付けられたことがあんの?」

「ワクチン」


 アサキの即答を受けて、ズガダーンとこたつテーブルに激しく顔面を打ち付けるカズミ、治奈、成葉、応芽の四人。正香もちょっと危なかった。


「あいたあ」

「鼻打ったあ!」

「ワクチンって……」

「なんやねん、それ!」

「いやあ、予防接種前によくその病気にかかることが多かったから」


 えへへ、と笑いながら、こりこり後ろ頭を掻くアサキ。


「じゃあ、●●●●も接種前にかかったのかよ! ……ああそっか、かかったからこうなのかあ」


 わははは笑いながら、ぽんとカズミは自分の手のひらを打った。


「やあんもお、からかわないでよお!」


 アサキは笑いながら、カズミの肩をぽかぽか殴った。

 やり返されないように、赤子が撫でる以下の、力の入れ方であるが。


「しっかし、勉強がはかどらねえなあ。そうだよ、アサキが偉そうに方程式とか語るから、そっから脱線したんだよな」

「えーっ、だって勉強会なんだから、分かるところ教え合うのがフツーでしょお。それをカズミちゃんが上から目線とか自分勝手に怒って、そっから脱線したんだよお。ぐいぐい首を締めてくるしさあ」

「記憶にないんですけどお。いいがかりはやめてもらえますかあ」

「もう、都合のいい記憶だなあ」


 唇を尖らせるアサキであったが、なんだかこの話の流れがおかしくなって、ぷっと吹き出してしまう。


「なにがおかしいんだよ? さ、続きをやっか。それじゃあアサキ、さっきの方程式とやらで、ここの答えを教えてくれよ。あ、あとここの答えも教えて」

「解き方でしょ、教えるのは! 答え教えたら意味がないよお」

「なんかもう、飽きちゃってさ」


 ふぁ、と噛み殺すことなく大きなアクビをするカズミ。


「まだ数問しか解いてないくせにさあ」


 成葉が、小さな突っ込みを入れた。


「うーん。ラジオでもあればなあ」


 カズミは身を後ろに傾け、床に両手をついて支えながら、きょろきょろ宿直室内を見回した。


「あ、それならリストフォンでも聞けるんじゃない? えっとお……」


 アサキが、テーブルに置いてある自分のリストフォンを手に取って、画面タッチでアプリケーション探しを始める。


「確か勉強系の作業中は、そがいなアプリは起動せんよ。仮に聞けたとしても、勉強がはかどらんじゃろ?」

「かも知れないけどお、でもさあ、よく深夜放送聞きながら勉強を頑張るシーンってあるじゃない?」

「そうそう。んでさ、恋人が投稿したハガキが読まれたりしてさあ」


 むふふっ、と笑うカズミ。


「ドラマとか漫画の世界だけじゃろ」

「現実もそうかもよ。はーい、DJカズミーだあ。ではここで一通、お便りを紹介するぜー。我孫子市天王台、ペンネーム『女子好き好き女子』さんからだ」

「なんちゅうペンネームじゃ」


 げんなりした顔で、ボソリ突っ込む治奈。


「どうすれば、お好み焼き屋が繁盛するのでしょう? やっぱり『あっちゃん』という名前が悪いんでしょうか」

「うちの家の話か! 失礼な、そこそこ繁盛しとるわ! 知りもせ……」

「えー、次のお便りはあ」

「全然聞いとらん……」

「我孫子市天王台、ペンネーム『元祖プロレス大好き女性教師』さんからだあ。えーなになに、毎日ぴちぴちの女子中学生に囲まれて悔しいです! わたしだって太古の昔は若かったんだからああああ!」

「ああ?」


 ドスのきいた低い声を背に受けて、びくり肩を震わせたカズミ。顔が、さあああっと青ざめていく。

 そおっと振り向くと、そこにいるのはやはりというべきか、須黒先生であった。


「太古の昔は若いだあ?」


 極道映画のような低い声に、カズミは床に手を付きぐるりと身体を回転させると、頭を床に擦り付けた。


「す、すみませんでしたあ! つい、つい調子に乗ってしまい」


 平身低頭土下座している教え子の情けない姿に、須黒先生はため息を吐きつつ苦笑した。


「ちゃんと勉強してなきゃ駄目でしょ。……そりゃあ、どんな人だって昔は若いわよ。でもね、自慢じゃないけど先生、現役時代はかなりかわいかったんだからね」


 その面影を見せようとしているのか、やわらかく微笑んでいると、発言にアサキが食い付いた。


「へええ、先生の魔道着姿、見てみたかったなあ」

「えーっ。は、恥ずかしいけど、ほんと恥ずかしいけど、ちょっとだけ見てみるう?」


 食い付いたアサキの態度に、先生が食い付き返した。


 須黒先生がリストフォンを操作し、空間投影されたのは、薄桃色の、和洋混ぜたような、ひらひらの多い感じの魔道着を着て、微笑んでいる女子の立ち姿。

 力強く、ぐっと右拳を握っているが、身体付きはスリムで、その顔は幼く、天使のようにかわいらしい。


「おーーーーっ!」

「初めて見たあ!」

「かわいーーっ!」

「無修正? ね、これ無修正?」

「カズミちゃんっ、ま、紛らわしいいい方すんな!」


 嬉し恥ずかしといった笑顔でざわついている、現役女子生徒たち。


「せ、先生っ、これいつ頃の?」

「中一、かな。十二歳」

「へーえ」


 アサキは、自分のアホ毛にくるくる指を巻き付けながら、先生の少女時代の写真に顔を近付けた。


 治奈は反対に顔を遠ざけて、写真全体を堪能している。


「確かに強そうで、かわいらしいのう。あ、あれっ、ほじゃけど、魔法使いや異空の写真は、撮ったり残したりしちゃ駄目なんじゃろ?」

「バレなきゃいいの、バレなきゃ」


 笑顔でぱたぱた手首を返す、二年三組須黒先生。


「教師の言葉かよお。しかもまあ、三十年もこんな写真を寝かせとくなんてなあ」


 カズミが、現在の先生と投影画像の先生とを見比べながらうーむと唸っている。


「三はいらない! 十年前!」


 正確には、十五年前だ。


「でも、でも……ほんとかわいいなあ」


 アサキが嬉しそうに恥ずかしそうに笑いながら、まだ飽きもせず、幼い魔法使いの写真を見ている。


「まあ、いろんな画像編集技術がありますからなあ」


 聞こえないように、ぼそりと呟くカズミであったが、


「なんにも加工してないわよ! どの関節技がいいか、選ばせてあげましょうかあ?」

「すんませんでしたあ!」


 先生の地獄耳よ。

 カズミはびょーんと飛び跳ね、着地と同時に床へ両手をついて、下げた頭を擦り付けた。


 アサキは、そんなやりとりも目に入らないくらい、幸せそうに微笑みながら、いつまでも写真を見続けている。


「令堂さん、そんな一人でいつまでもまじまじ見続けないでよ。もう、消すわよ」

「はい。……先生、こんなかわいらしいのに、無茶苦茶強かったんでしょ? 凄いな……。ありがとうございます。目指す目標が出来ました」


 礼の言葉。

 本心から、アサキは思っていた。


 単にかわいらしくなりたいという意味ではなく、強く見えずとも強いという、中身の強さに憧れを抱いたのである。

 殴る蹴るの強さよりも、そこからの自信、どちらかといえばそういった精神的な強さのことであるが。


「あらあ、おだててもテストのおまけはないわよ」


 ふふっ、と笑う須黒先生。


「おまけがなくてもいいからあ、あたしの勉強も見てくれー。ちっとも分かんねーんだ」

「昭刃さんは、出来ないというより毎日コツコツやんないからでしょ。どおれ、どこが分からないの?」


 カズミのリストフォンからの、投影画面に描画されている数学の問題を、須黒先生が、自前の電子ペンをポケットから取り出しながら、覗き込んだ。


 数学を教え教わる二人のやりとりを見ながら、アサキは思っていた。

 胸に言葉を唱えていた。


 先生も過去に魔法使いで、

 ヴァイスタと戦って、

 世界を守って、

 守られた世界に生まれている、わたしたちがいて、

 先生は、先生になっていて、

 わたしたちを、こうして教えてくれて、

 わたしたちも、こうして魔法使いになって……

 そしていつかは……


 すべて、繋がっているんだ。

 もちろん、ヴァイスタが生まれるというのは繋げてはいけない、いつか断ち切らねばならない連鎖だけど。


 でも、ヴァイスタなんかいなくとも、人間はいつもどこかで戦争をしている。

 自分たちのために争っている。


 わたしたちが、世界を守り続けていれば、

 いつかは、人間たち同士も、仲良くなれるのかな。


 守った世界に繋がっていくのが、そこに入り込むのが、笑顔ならば、

 笑顔の連鎖ならば、

 どんなに素敵なことだろう。


 いつかは訪れるのだろうか。

 そんな世界が。

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