第17話 異空に残りて誰を待つ
全身の血液を抜き取られたかのように、腕や顔が青白い。
ここは、
オレンジ色の空。
白っぽい色の木々。
フィルムのネガのように、色調が完全反転している、なんとも気味の悪い色合いの景色。
異空側である。
ふらり、ふらり、力のない応芽の歩き方。
いつ足がもつれ倒れても、不思議ではないだろう。
魔道着の右脇腹付近は、焼けて完全になくなっており、皮膚が大きく露出している。
臓器が飛び出してもおかしくないくらい、肉がごっそりえぐれてなくなっていたのを、アサキが魔法で治療したものだ。
アサキの治癒魔法は非常に強力であり、脇腹の肉が半分吹き飛んでいたことが信じられないくらいに、傷は微塵の痕跡もなく癒えている。
だが、出血して失った血や、失った体力は、魔法で簡単にどうにか出来るものではない。
ふらふら歩くだけで精一杯というのは、そのような理由である。
こればかりは、栄養のあるものをしっかり食べて、しっかり睡眠を取るしかないだろう。
そのような肉体の状態であるというのに、このような場所をただ一人で歩いているは、ちょっと気になることがあったためである。
ザーヴェラー戦の後、アサキたちや、応援にきた魔法使いたちと、異空側で分かれたのだ。
誰もついてこないよう、心配するアサキたちに「一人で帰れるわボケ!」などと強がって毒を吐きながら。
ザーヴェラーが出現する少し前に、あの黄色いチビの魔法使い、
ヴァイスタとかザーヴェラーとか、そういう気配ではない。と、いっていたが、その後に現れたのはザーヴェラー。
ひょっとすると、と思うところが応芽にあり、それを確かめるために一人ここに残ったのである。
予想が確信へと変化するのに、それほどの時間は掛からなかった。
自分が一人、誰に見られることのない、この異空に残ったことによって、やはりそいつは、姿を現した。
「ウメ……」
目の前に立ち、自分の名を呼ぶのは、
黒と銀が、均等に配色されている、魔道着
足は黒タイツに覆われて、露出はいっさいなく、腰には鎧が垂れており馬上の中世騎士をイメージさせる。
赤が銀というだけで、応芽と同じフォーマットの魔道着だ。
顔だけ見ると柔和そうだが、そう思わせないのは、とにかく身体が大きいからであろうか。
百七十五センチはあるだろう。
肩まで伸びる髪の毛は、あえて魔道着に合わせているわけでもないのかも知れないが、半分が黒で半分が銀色だ。
単なる白髪というだけかも知れないが、その堂々たる容姿のため、美しい銀髪にしか見えない。
右手には、奇妙な武器が握られている。
大人の頭よりも一回り大きな、巨大な斧だ。柄が付いておらず、斧頭だけを持っている。
刃と反対側の端に、野球ボールほどの穴が空いており、そこに指を引っ掛けて、ぶら下げているのだ。
「
応芽は、つまらなさそうに、鼻の頭を人差し指で掻いた。
「久しぶりだね」
黒銀の魔法使いの、体躯通りの低い声が、異空の片隅を震わせた。
「せやな。別に会いたくなんかなかったけどな。……こんな関東の田舎にまで。知らんのか、しつこい女は嫌われるで」
応芽が苦笑した、その瞬間であった。
嘉嶋祥子と呼ばれた黒銀の魔法使いが、その太い足で地を蹴ったのは。
「好かれようとは思ってない」
風を切り、瞬きする間に応芽の眼前へと迫っていた。
振り上げて背中側に回された腕が、ぶうんと頭上を経由して、振り下ろされる。
柄のない斧が、持ち手である穴を軸に、遠心力でくるり回りながら、振り下ろす力との相乗作用で、空気を切り裂きぶうんと唸り、そして応芽の頭を真っ二つに砕き裂いた。
いや、ぎりぎり、斧は応芽が両手に持った騎槍の、柄に跳ね上げられていた。
「祥子、お前、ザーヴェラーを呼んだやろ」
血の気のない顔色の応芽は、余裕があるのか強がりなのか、澄ました顔で小さく口を開いた。
「リヒトにも、まだそこまで自在に操る技術はないことは、キミもよく知っているはずだろう」
騎槍と、柄のない斧、現代日本とは思えぬ、異様な武器による、鍔迫り合いを演じながら、二人はなおも言葉を続ける。
「いや、ある程度は出来るはずやろ。避雷針に雷を寄せるくらいのことは。さっきの魔法使いどもに、自分、こっそり隠れているのがバレそうになって、せやからごまかすために、あのデカブツを呼んだんやろ」
ぎり、と歯を軋らせ、ぐっと騎槍の柄を押す応芽であるが、元々の体格差に加え、先ほどの戦闘で体力が尽きており、簡単に押し返されてしまう。
「バカバカしい。仮にそうだとしても、それは『キミたちの目的』の手助けをしてあげた、という結果になるはずだけどね。……こちらからも尋ねるが、どうして好機を生かさなかった? ザーヴェラーなど、そうそう出るものじゃあないというのに」
「答える義務などないわ。……あんなん呼んで、試したんやろ。あいつらの味方をするはずやと」
「さて。知らないなあ」
「いらん世話や。あたしにはあたしのやり方があるんや! 邪魔せず見とけ!」
「知らないといってる。そもそもね、ボクは……」
「やかましい! つうか自分のことボクいうなって、いつもゆうとるやろ!」
ぐぐ、と両手の騎槍で斧の刃をぐっと押した応芽は、その勢いを借りて後ろへ跳び、祥子と軽く距離を取った。
はあ、
はあ、
切りあったわけでもないのに、ただ切っ先と穂先を押し付けあっただけなのに、もう応芽の呼吸は乱れている。
ザーヴェラーとの戦いで、根こそぎ失われた体力が、まだまったく回復していないためである。
「リヒトに……
苦しそうに、言葉をぶつ切りに出しながら、祥子を睨んだ。
「無理だね。無理というか、キミはそれをしない。……それよりも、現在の自分の身を案じたら、どうかな!」
祥子は高く跳躍すると、刃の部分しかない斧を、持ち手の穴を軸にくるくる回しながら、応芽の頭へと振り下ろした。
避けられない、と覚悟をしたか、応芽は、ぎゅっと強く目を閉じた。
だが、その不気味な武器の刃は、落ちてこなかった。
そっと薄目を開けると、目の前には、赤い魔道着に身を包んだ魔法使いの背中があった。
「
そう、目の前にアサキが立ち、両手に持った剣のひらで、祥子の斧を受け止めていたのである。
「ウメちゃん、大丈夫?」
アサキはそういうと、睨むような表情で前を向き直り、足腰と腕に全力を込めて、黒銀の魔法使いの持つ巨大な斧を押し返した。
押し返される力に逆らわず、利用して、とん、と大きく後退して地に立った祥子は、笑うでもなく怒るでもない顔で、口を開いた。
「ウメ、キミがキミのままである限り、ボクもボクのままで、また会うことになるだろう。今度そうなった時こそ、どちらかの破滅だ。そうならないことを、心から願うよ。じゃあね」
淡々とした口調でそういうと祥子は、クラフトを着けた左腕を立て、カーテンを開けるように右腕を横へと動かした。
彼女の大柄な身体は、空気に溶け、消えていた。
残るは静寂と、
応芽の、荒い息遣い。
アサキは振り返り、応芽の無事に微笑むと、すぐに険しい表情になり、尋ねた。
「ウメちゃん、いまの人は誰なの? 魔法使い、だよね。どうして、仲間同士で戦っていたの?」
「……ちょっとした子供の喧嘩や」
にしては、巨大な斧で頭蓋骨を砕かれそうになっていたが。
まあ、であるからこそ、そう軽く茶化していうことで、アサキにこれ以上踏み込まれないように、そして他言無用の釘を刺したのである。
ぶーーーー
二人のリストフォンが、同時に激しく振動した。
「なんや」
応芽が、そしてアサキが、それぞれ自分の左腕を上げて、画面を見る。
メッセージ着信を知らせるアラートが表示されていたが、それはすぐに、次の画面へと切り替わった。
悪魔とはなにか
それが、届いたメッセージであった。
「まただ……」
アサキは、ぼそり呟いた。
「また?」
「うん、前にもね、なんだったかな、『真実と思うのは冒涜か』とか『悪魔はどこにいる』とか、そんな感じの、差出人不明のメッセージがみんなに届いたんだ。個人が出してるんだとしたら、宛先も分からないのに、どういう仕組みで届くのか分かんないけど」
「ああ、それなあ、あたしんとこにもきたで」
「え、え、それ本当?」
「嘘ついてどうすんねん」
「そうだね。……悪魔とはなにか、か。……ヴァイスタとかのことなら、そんなの当たり前だしなあ」
アサキは空を見上げ、眉間にシワを寄せた。
「さっきのあの、白髪頭みたいな奴のことやろ。魔法使いが、いや人類が一丸となって、ヴァイスタどもをやっつけにゃあかんというのに。……それはそうと、腹あ減ったな」
応芽は、アサキに治療して貰ったばかりの、魔道着が燃え破れて剥き出しになったお腹に、手のひらを当てた。
「そうだね。いわれてみれば」
アサキも真似するように、自分のお腹に手を当てた。
「付き合え令堂。どこかの店で簡単なモンおごったるわ」
「ええっ、いいのっ?」
「今日だけやで」
「うん」
アサキは、にんまりした笑みを見せた。
それを見て応芽も、ふふっと小さく息を吐くように笑った。
二人は異空を出ると同時に、魔道着から中学の制服姿に戻って、すっかり夜になった手賀ひかり公園の敷地を歩き出した。
見上げると、大きな満月が輝いていた。
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