第02話 子供か!

 静かに揺れる水面に、きらきらと反射している天からの光。

 それが、木々の隙間から、淡い微粒子のシャワーとなって、りようどうさきたち六人を照らしている。


 アサキはその眺めの美しさや、肌へと降り注ぎさわさわと撫でるマイナスイオンの心地よさに、しばし言葉を失ってしまっていた。


 ここまで間近に、手賀沼を見るのは初めてだ。

 学校の教室からの、遠く見下ろす眺めとしての手賀沼は、もうすっかり慣れた光景だが。


 手賀ひかり公園。


 野球場がすっぽり入りそうなくらいの広大な敷地は、ほとんどの部分が芝生で覆われており、木々がところどころ点在し、ところどころ密集している。

 総じて、自然が多い印象だ。

 といっても、かなり人工的な自然ではあるが。


 子供用の遊具も多いが、大人もくつろげる公園である。


 彼女たちから少し離れたところに、船着き場があり、普通のボートだけではなく、足漕ぎのアヒル型ボートも乗れるようだ。


「ああっ、見てみい、あんなとこに蒸気機関車が走っとるで。常磐線の特別企画列車やろか?」


 視線きょろきょろ眺めを楽しんでいたみちおうが、不意に、興奮に声を荒らげた。


「え、え、なに、なに、どこよ?」


 カズミが目を細めて、応芽の指が差している方へと視線を向けた。


「ずうーっと向こうに走っとるやろ。目え悪いんか自分」

「ん? あのー、ひょっとしてえ、ずっと向こうじゃなくて、すぐそこのミニミニSLのこといってねえか?」


 公園敷地内の、小さなフェンスに覆われた一角に、幅の狭い線路が張り巡らされており、そこを子供たちを乗せた小さな蒸気機関車型の乗り物が走っているのが見える。

 すぐそこに。


「あ、ああ、遠近法か! なんや子供みたいな巨人がまたがっとって、おかしい思うたわ、遠くの背景とよう噛み合わへんし。いやあ、子供の乗り物かあ。おかしい思たわあ」


 素で見間違えていたらしく、応芽はちょっと顔を赤らめながら、笑ってごまかした。


「おかしいのお前の目だろ。それともアサキのボケ癖が移ったか?」


 追撃の手を緩めないカズミ。


「あのー、カズミちゃん、ことあるごとにわたしを引き合いに出すの、そろそろやめてもらえますかあ」


 アサキが、なんだか情けない顔を、ぐいーっとカズミへと寄せて悲痛な訴え。


「やだよ、バカとヘタレを語るのに、こんな分かりやすい比較対象ないもん」

「ガチョーン」

「はあ? 昭和四十ちょっと前みたいなリアクションしてんじゃねえよ! ちょっとムカついちゃったからあ、どうせ芝だし遠慮せずう……」


 身を低くしながら、アサキの背後に素早く回り込んだその瞬間、


「投げっ放しっジャーマーーーン!」


 腰に腕を回し、言葉通りのジャーマンスープレックスで後ろへ投げ飛ばしてしまった。


「うぎいっ!」


 芝だけどゴツっと結構凄い音で、後頭部を強打したアサキは、猿が踏み潰されたような気持ち悪い悲鳴を上げると、制服のスカートが大きくまくれてパンツ丸見えの激しくみっともない状態で、ごろんごろん後ろへ転がって、そのままきゅーっと伸びてしまった。

 と思ったらすぐ復活、

 パッと起きて、ポッと顔を赤らめ、サッとスカート直すと、ガッとカズミの胸倉を掴んだ。パッポッサッガッ、この間たった二秒。


「首の骨が折れたじゃないですかあああ!」


 痛みに目を潤ませながら、土にまみれた汚い顔でカズミへ詰め寄った。


「折れてない折れてない。手加減はまったくしてないけど、芝だから。いや、さすがあたしが鍛えてあげているだけあって、回復が早くなったなあ」


 はははっ、と笑うカズミ。


「趣味で発散してるだけのくせに、なにを恩着せがましく。なんですかあ、我孫子市ではガチョーンといったらプロレス技で投げ飛ばされなきゃならないんですかあ」


 胸倉から手を離したものの、まだまだアサキの顔は激しく不満顔だ。

 まあ、さもあろうか、下手したら首の骨が折れていたのだから。


「前から聞こうと思ってたんやけどな、自分ら、女子プロレスラーでも目指してん?」


 呆れきった表情で、応芽が尋ねた。


「ら、って目指しているのカズミちゃんだけだよう!」


 まったくもう。

 と、近くのベンチに、どかっと腰を下ろすアサキであったが、不意ににんまりした笑みを浮かべ、


「あ、でもいまカズミちゃんが目指しているの、アイドル歌手だっけえ? ふりふりスカートのさあ」

「そうかそうか、プロレス技百連発を食らいてえのか。どの技からにしようかなあ」


 獣が牙を剥き出したような、危険な笑みを浮かべなから、カズミが手の指ぽきぽきアサキへと近寄っていく。


「好きにやっとれや」


 ため息を吐きながら、慶賀応芽も隣のベンチに腰を下ろした。


「まったく。いつまでも子供じゃけえね」


 応芽の横に、あきらはるが座った。


 へいなるは、少し離れたところで、鳩を追い回して遊んでいる。

 中学生にしては背がとても小さいので、なんだか少し身体の大きな幼児がはしゃいでいるかのようだ。


 そのさらに向こう、おおとりせいは木陰に立ったまま、リストフォンの画面を見ながら、なにやら考え込んでいる。

 第二中の留守番を効率よくこなすための、案を練っているのだろう。


 なんとなくの流れから、グループリーダーである治奈、サブリーダーであり戦闘面のリーダーであるカズミ、として活動してきた彼女らであるが、しっかり計画を練って落とし込む参謀的な役割は、正香が引き受けることが多いのである。


「ここ、なかなかええ公園やな」


 淡い木漏れ日を受けながら、応芽が目を細めた。


「本当だねーっ」


 アサキも、さっきの頚椎骨折の恨み怒りはどこへやら、こたつでお茶を飲む年寄りみたいに、なんだか幸せそうな顔で、ほーっと息を吐いた。


 その隣に座っているカズミも、一緒になって、目を閉じて肌に木漏れ日を感じていたが、やがて目を開くと、笑顔をアサキと応芽へ向けた。


「そう思うだろ? なんか、じわじわと、幸せ感がくるだろ? わざわざここにきたのはさ、あたしらはこーんなところも守ってるんだってことお前ら二人に知って……」


 珍しく、ちょっといい話的なことを語り出すカズミであったが、


「中学生って子供料金じゃダメですかあ?」

「せめてまからへん?」


 いつベンチを立ったのか、アサキと応芽が、ミニミニSLのチケットを安く買おうと券売所の老人と交渉している。


「聞けよ! つうか乗る気かよそれ!」


 カズミは、勢いよく立ち上がりながら、怒鳴り声を張り上げたが、すぐそばなのに、はしゃぐ二人の耳には全然届いてないようだ。


「ったく。子供かよあいつら」


 はあーっ、とため息を吐きながら元気ない顔で座り直した。

 さすがのカズミも、怒りパワーの過放電で、弱々しくなっちゃったようである。


「カズミちゃんも、去年散々に乗ってたじゃろ。中一のくせに、身体の大きな小学生だと頑なにいいはって、子供料金で」

「えー、そうだっけえ、覚えてなあい。それきっと成葉だろお」


 はははっ成葉は幼いなあ、と大きな笑い声でごまかしていると、当の成葉が鳩を追いかけるのに飽きたか戻ってきた。

 話が少し聞こえたようで、


「その話さあ、確かにナルハも何回か乗ったよお、でもカズにゃんの方が遥かに……ぎゃあああああああああああ、ずるいいいいいいい! アサにゃんとウメにゃんだけ乗ってるうううう!」


 成葉は、とっても悔しそうに、だんだんと地面を踏みつけた。


 がしゅがしゅがしゅがしゅ


 アサキたちを乗せたミニミニSLが、こちらへと走ってくる。

 車両搭載のスピーカーから、走行音を流しながら、

 他にもたくさんの、小さな子供たちを乗せながら。


 先頭の二人だけが、大きな子供だ。

 天王台第三中学校の女子制服を着た、大きな子供だ。


 がしゅがしゅがしゅがしゅ

 ぴーーーーーーーーーっ


「隊長、あれはなんでしょうか!」


 ミニミニSLの先頭から二番目にまたがっている、赤毛でアホ毛の大きな子供、アサキが、カズミたちを指さして、隊長の背中へと大声で話し掛けた。


「異星人や! 未確認生命体や!」


 先頭にまたがる隊長も、ノリノリである。


「撃ちましょう隊長!」

「おう。地球の平和を守るんや。撃てーーー!」

「隊長! なんだか一匹、ひときわ凶暴そうなのがいます。伝説のプロレスゴリラでしょうかあ!」

「出たあ! プロレスゴリラに集中砲火やあ!」

「イエッサー!」


 ダダダダダ、

 ダダダダダ、


 銃を撃つ真似をしている二人。

 その後ろに、すっかり呆気に取られているチピっ子たちを乗せて、ミニミニSLは、汽笛を鳴らしながら通り過ぎていく。


「成葉、治奈! あいつらにぶつける手頃なサイズの石を持ってこい!」


 プロレ……いや、カズミは、またもや怒鳴り声を張り上げた。

 怒りパワーをすっかり使い果たしたと思われたのに、なかなかどうして、今度は顔を耳まで真っ赤にして、身体をぶるぶるぶるぶる、足元で地震が起きている。

 追い掛ける列車があるならば、きっと追撃のため、乗り込んでいただろう。


「無邪気ですよね、アサキさんは。ウメさんまで一緒になってというのが、少し意外ですけど」


 向こうの木陰に立っていたはずの正香が、いつの間かベンチに座っており、微笑ましげな表情で、アサキたちの姿に目を細めている。


「まったくな。ウメッチョの奴、初めての時の、くっそ嫌味な態度が、信じられねえよな」


 ふはーっ、と息を吐きながら、荒々しくまた腰を下ろす。立ったり座ったりため息吐いたり、忙しいカズミである。


「多分あいつさあ、ちっちゃい頃からギルドで鍛えられていたとかいうのは本当の話でさ、だから学校でも、友達がいたことなかったんだよきっと。あたしたちとも、接し方が分からなかったんだ。とか思うと、まあ不憫な女だよ」


 上から目線なことをいいながら、はははっと乾いた笑いのカズミ。


「ほんとほんと、ウメにゃん不憫にゃあ、ううっ」


 成葉が、声を震わせながら、涙を拭う仕草。

 どうせ嘘泣きであろうが。


「せめて学が人並みにありあゃまだしも、元の頭の作りが並以下だった上に、戦闘訓練と魔力鍛錬ばっかりだったことで、勉強もからっきしでござあい、と」

「おおおお、ウメにゃん泣けるううう」


 顔は笑っているが。


「そうかどうかは、本人のみぞ知るじゃけど、今日のウメちゃん見ててとっても楽しそうじゃけえね。自然に笑うと、あんなに可愛らしいんじゃのう」


 治奈も話に参戦。ぐるりコースを回ってようやく戻って来たミニミニSLに乗っている、おっきな子供たちを指差した。


 がしゅがしゅがしゅがしゅ

 ぴーーーーーっ


 と、音を立てるミニミニSLにまたがりながら、応芽とアサキが、ふざけ合い、押し合い、くすぐり合っている。

 二人とも、声を出して楽しそうに笑っている。

 後ろの幼児たちが思わず引くくらい、はしゃいでいる。


「しかし、いくら二人ともここにくるのが初めてとはいえ、はしゃぎ過ぎじゃのう。本当に、中二なんじゃろか」


 治奈は苦笑した。


「この公園さあ、こうして徒歩でこられなくはない距離なんだけど、でもこんな機会でもない限りこないよな。だから、たまにゃあこうして交代してやんのも悪くはないよな」


 ベンチで淡い陽光を浴びながら、誰にいうでもなくぼそりとカズミ。


「うーん。でもさあ、ナルハたちの方が代わってあげたこと多いよね。えっと、あの時と、あの時とお……」


 不公平に感じているのか、成葉が唇を尖らせながら、指を折り折り数え始めた。


「まあ、だからあいつら、お土産買うとかいってたんだろ」


 よろずのぶたちのことである。


「いってたね。なんだろね、お土産って」

「分かんね。あいつら常識ないけど、まさかビックリ箱ってこともないだろうし、少しくらい期待しとこうぜ。まーったく遠慮せず貰うぞお、あたしは!」

「ナルハもだあ!」


 成葉は、右腕を勢いよく天へと突き上げた。


「ザーヴェラーでも出た日にゃ、まったく割が合わねえけどな。どんな豪勢な土産物も」

「死ぬもん」


 わははははぎゃははは、と膝やももを打って爆笑するカズミと成葉。


「不吉なこというな! あがいなもんそうそう出られちゃたまらんけえね」


 治奈が、ぞぞっとした薄ら寒い表情で、二人の不吉発言を注意した。


「それって、空飛ぶ巨大ヴァイスタのことだっけ?」


 質問を投げ掛けたのはアサキである。

 応芽と一緒に、ミニミニSLの発着所から歩いてくる。

 充分に堪能発散したのか、二人揃って満足げな表情だ。


「ほうよ。よく知っとるけ……ああ、そういえば、合宿の時にちょこっと話しよったかの。飛翔魔法の話になった時じゃな」

「んなそうそう出てもこねえザーヴェラーの話なんかよりさあ、あたし、アサキのことぶっ飛ばそうと思って、待ち構えてた気がすんだけど、なんだっけえ?」


 治奈とアサキの間に、カズミが割って入った。


「半殺しにしてから全裸にひんむいて、そのまま大股開きで縛り付けてミニミニSL走らせてやるぞ、って思ってたんだけど……。アサキ、あたしにそうされる心当たりない?」


 異様に物騒なことを、さらり平然と尋ねるカズミである。


「いやあ、全然ないなあ。というか、いつもなんにもしてないのに、殴ってくるんじゃないかあ」

「うーん、なんかくっそ激しくムカつくことされた気がするんだけどなあ。……仕方ねえ、とりあえずボコボコにして全裸にひんむいとけば同じことか」


 ぐーっ、とアサキへと両手を伸ばすカズミ。


「やめてーーーーっ! 同じの意味が分かんないっ!」


 踵を返して逃げ出そうとするアサキであるが、既に遅かった。

 背後から、襟首を力強く掴まれていた。


 嗚呼、絶体絶命アサキの運命や如何に如何に。

 と、いうほどでもないのかも知れないが、とにかくぐいぐい引き寄せられて、サラリーマンのとりあえずビール的にとりあえずスリーパーホールドを受けたアサキが、


「やあべえでええええええ!」


 なんとも情けない悲鳴を上げた、その時であった。


 平家成葉が、幼ない顔を不意に怪訝げに険しくさせて、


「ね、なんか感じない? 嫌なにおい、とでもいうのかな」


 注意深く、視線を左右に走らせたのは。

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