第06話 見ざる聞かざる言わざる、ではないけれど

 遠くをぐるり山々に囲まれ、眼下には湖が広がっている。


 傾斜の途中に、少し広い土地があって、五人はそこで修行をしていた。

 五人は、というか、アサキは。


「では、行きますよー。それっ」


 おおとりせいは、あきらはるの背後に隠れるように張り付いたまま、掛け声と同時に手にしていた野球ボールを治奈の脇越しに投げた。

 三メートルほどの距離に、身構えているアサキへと。


「あいたっ!」 


 ガツンおでこにぶつかって、アサキはたまらずぽろり剣を落としつつ悲鳴を上げた。


「いったああああああい。……もう! 中学生なのになんで硬球なのお?」


 涙目でおでこをすりすりさすり、不満を吐き出しつつ剣を拾った。


「野球やってるわけじゃないからだよ!」


 横で腕組んで見ていたカズミが、怒声を張り上げた。


「ヴァイスタも、予備動作なしで腕が伸びて、攻撃して来っだろ。そのシミュレーションだろ。なのに、掛け声を出してもらっておいて避けられないようじゃ、一人で戦ったら三秒で死ぬぞ! 分かったか!」

「はい」

「返事は一回!」

「一回しかいってないよおお!」

「あ、そ、そう? っていちいち逆らわないでいいんだよ! 気合入れろ、ったくもう」

「えーー、なんか納得が、あ、ご、ごめんカズミちゃんっ睨まないでえ……それじゃあ次、お願いしまあす!!」


 危ない、また殴られるとこだったあ。

 まあ、それはともかく、確かに自分はここへ修行をしに来たのだからな。

 しっかりやらなくちゃ。


 と、気合を入れ直して、精一杯の大声を出した。


「はい。それでは、行きま……」


 すよ、までいわず、正香はボールを投げた。

 治奈の後ろから今度は肩越しに。


 タイミングとしては完全に意表を突いたものであったが、しかしアサキ、今度はよく見て両手の剣を斜め上へと振るって弾き上げていた。


 よおし合格点!

 と心の中で喜びの声を発していると、なにやら視界が急に陰ったような……

 と、気付いた瞬間には、頭上高くを正香が舞っており、こちらへと落下しながら、手にしている鎖鎌の鎌を、じゃらんと振り下ろした。


「うわっ!」


 びっくりしながら、前へ突き出した剣のひらで攻撃を受け止めると、ぐっと押し返しながら後ろへ跳んで距離を取った。


「反応したのはいいけど、かなり油断してたろ! あらゆることを想定しろ。くうという相手側の領域で戦うんだ。なにが起こるか分からないんだ……ぞ!」


 カズミの手の内側に隠されていた短剣が、「ぞ!」のタイミングで、アサキの足元に、深々と突き刺さっていた。


 だが、既にそこにアサキの姿はない。

 間一髪、跳び上がってかわしたのだ。


「おおっ、やるじゃん。よくかわしたあ!」


 カズミは、パチパチと手を叩いた。


 褒められたアサキであるが、嬉しそうより苦しそう。

 それもそのはずで、跳び上がってかわしたはいいが、余計に跳び過ぎてしまい、巨木から垂れ下がっている太い枝に、逆さにしがみついている状態になってしまっているのだ。


「段々と油断もしなくなっているし、身体も咄嗟に反応するようになって来てんじゃん。頭がバカで性格がボケててピンとアホ毛が立ってるだけで、戦いのスジ自体はそれほどは悪くないのかもな」


 褒めているのか、けなしているのか、さっぱり分からないカズミ、その顔にふと不審げな表情が浮かんでいた。

 アサキが木にしがみついたまま、なかなか降りて来ないからだ。


「いつまでもなにやってんだよ。オラウータンかお前。ナイフの的にするぞ」

「こ、怖くて……降りらんない……でもこの体勢、つ、つらいっ降りたいっ」


 ほぼ逆さになっているのだから、辛いのも当然だろう。


「アホかお前はあ。戦いの時には、それよりも遥かに高いのをジャンプしたりしてるだろ!」

「そ、そうだけどっ」


 でも、逆さのために視界が反転しているから、余計におっかないのだ。

 無茶な体勢から落ちて、受け身を取れずに首を打ったらどうしよう、などと想像してしまい、恐怖に動けないのだ。


「ああああ、もうっ、世話の焼ける奴だなあ。……はるなる、あれやるぞ」

「ほいきたあ!」


 平家成葉は楽しげに、たーんとジャンプして明木治奈の肩へと軽々飛び乗った。

 いわゆる肩車の体制になった。


「あらよっと」


 さらにカズミがジャンプして、成葉の肩の上。

 猿のイラストでよく見るような、肩車三連結を作った。


 猿ならぬ人の身ではかなりバランスが悪そうだが、三人は器用にもすらり真っ直ぐ立って、


「ほおら、いま降ろしてやるから」


 カズミが両腕をぐーっと上に伸ばして、アサキの腰を掴もうとする。

 しかし……


「ぎゃー、怖い、怖い! 三人で肩車ってバランス的に無理あるでしょお! わたしを持った瞬間に、崩れて落ちるに決まってるでしょおお!」


 掴ませまいと身をよじって、カズミの指先から逃れようとするアサキ。


 カズミはさらにぐっぐっと腕を伸ばして、魔道着の腰の垂れている部分を掴み、手繰り寄せるようにしっかり腰を掴んだ。


「こ、怖いっ!」

「大丈夫だって! ってバカっ、暴れるなあ!」

「やだやだっ! 離してえ!」

「だったら一人で降りろよお!」

「それも怖いよおお!」

「いい加減にしろ! 全裸にひん剥いて木から吊るすぞ、このクソ女がああああ!」


 木にがっしりしがみつくアサキを、掴んだ腰をぐいぐい引っ張って、なんとか引き剥がそうとする。


「もう観念しろって。っと、うおっ、だ、だから暴れるなってえええええ、っと、お、わっ……イエエエーーーーーッ!」


 引っ剥がしたはいいが、アサキのあまりの暴れように、三連結肩車のバランスがさすがに崩れて転倒、結果的に、二階並みの高さからのジャーマン・スープレックスになってしまったのであった。


「うぎっ!」


 四人の連結した綺麗なブリッジを描いて、アサキの後頭部がぶち落ちたのは、U字溝のコンクリート蓋。

 バガッ、と見事に砕かれ割れて、カズミの手から離れてアサキの身体だけ中にどっぽん。


 ざざーっ。


 数日前の雨のせいか、流れがとても激しく、アサキの身体は、悲鳴を上げる間すらなく、泥水に飲まれ、消えてしまったのであった。


「流されて、しまった……」


 立ち上がったカズミは、ぽかーんとした表情で尻を掻いた。


 と、少し下流のコンクリート蓋が、ミイラの棺桶よろしくガタゴト持ち上がった。


「酷いよおおお」


 アサキが泥まみれのなんとも惨めな状態で、ボロボロ涙をこぼしながら這い上がって来た。


 なにが起きたか理解出来ず、しばらく唖然としていたカズミであったが、だんだんと、なんだかじわじわおかしくなってきたようで、ぶふっと吹き出すと、指をさして爆笑し始めた。


「お前はボーリングのボールかあ!」


 ぎゃはははは、と腹を抱えて苦しそう。


「アサキちゃんに悪いじゃろ! うちらにも責任あるんじゃからっ!」


 治奈、たしなめつつも自分も笑ってしまっていた。


 結局みんな、我慢を通し切ることが出来ず、えっくひっくと泣き続けるアサキを見ながら大笑いしてしまうのだった。

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