第04話 駅ホームでのながーいお話。そして出発!

「お前さあ、なんなんだよその荷物の量は」


 あきかずが胡散臭そうな、というか「こいつ常識やべえぞ」といった怪訝な、顕著に蔑む目付きで、りようどうさきをジロジロと見ている。


 ここは、常磐線天王台駅の快速側ホーム。


 りようどうさき

 あきかず

 あきらはる

 おおとりせい

 へいなる


 の、五人が、エスカレーターを降りて少し進んだ、時刻表の付近に立っている。


 土曜日の午前五時半、早朝ということもあって他に人の姿はほとんどない。




 さて、ではカズミがアサキを奇妙な視線でねめつけている理由を説明しよう。

 他の四人はリュックだけ、ショルダーバッグだけ、という簡単な荷物であるというのに、アサキだけその両方を持って来ているのである。

 しかも、ショルダーバッグだけでも二つあり、左右からたすき掛けている。

 のみならず、さらにキャリーバッグまで引いている。

 カズミでなくとも、突っ込みたくなるというものだろう。


「えーーっ、山奥だから肌寒いよってカズミちゃんがいってたんじゃないかあ。だから防寒着や防寒グッズを色々と用意してきたのに」


 いいわけをするアサキであるが、「確かにみんなと荷物違う……」と認識しているせいか、かなり焦った顔である。


「だからってそんな大量の荷物はいらねえし、それに、寒いもなにも現在もう既に充分過ぎるほど厚着してんじゃねえかよ。そんなん着てて暑くないの?」


 カズミたちは、Tシャツ、ジーンズ、ブラウス、レースのスカート、等など柏駅までちょっと買い物といっても別段おかしくないような初夏にふさわしい普通の服装をしているというのに、アサキ一人だけ南極観測隊員のような格好なのである。


「むちゃくちゃ暑いに決まってるよお! でもわざわざ着てきておいて暑いとかいったら突っ込まれるから黙ってたあ! それに北へ向かうんだから、すぐに寒くもなるかなあと思って、ずっと耐えてましたあ!」


 やけっぱちに叫ぶアサキ。


「お前はアホなのか……」もうバカにする気力もないのか、すっかりげんなり顔のカズミであるが、残る気力を振り絞ってぼそり、「前は仙台に住んでたっていってたけど、じゃあそこいま凍ってんのかよ」

「ああ、そうだよね。そこまで寒いわけないかあ。でももう色々と持って来ちゃったからなあ、このまま持ってくしかないかなあ。……あ、あ、ほら、ほらっ、もう電車が来ちゃうってさ」


 一番線ホームに取手行き下り列車が到着する、という旨のアナウンスが流れたのだ。


 アサキはホームからちょっと身を乗り出して、やって来る列車が見えないか確認している。


「取手行き、っていってたでしょ。隣が取手で終点だから、乗るのはその次のだよ」


 成葉が説明してあげる。


「むむ、ややこしいな常磐線」


 アサキは眉間をしわを寄せ、難しい表情を作る。

 単に着膨れて汗がだらだら不快なのでこんな顔なだけ、かも知れないが。


「いや普通だから。どこの長距離路線も。まあ最初は知らない駅名が多くて、どこ停まりとか分かんないよねね。利用しているうちに慣れるよ」


 などと話していると、離れたところから、気怠そうな泣きたそうな、なんだか情けないぼやき声が聞こえて来た。


「ああもう、間違って学校に行っちゃったあああ」


 眠たげな顔でエスカレーターを降りて来るのは、担任のぐろさと先生ではないか。


 アサキたちと違って、なんの荷物も持っていない。

 お見送りなので当然であるが。


「あたし朝が弱くてえ、ねぼけながら慌ててたら、気付いたら学校に行っちゃってさあ」


 ふあ、と大アクビの須黒先生。


「しっかりしていただかないと。引率されるわけではないとはいえ、なんのための合宿なのかをよく考えて頂ければそもそも……」


 正香の正論説教が始まった……ことに便乗して、みな好き好きいい始める。


「先生が狙ってるイケメン山瀬先生、完全に朝型だよー」

「お見送りいないと寂しいなって思ってましたあ」

「こないだも自分でいい出しといて河川敷での筋トレに遅れてたけえね」

「バーカ」

「ああ? いまバカっていったん誰だああああああ!」


 須黒先生、誰だといいながら、もうカズミの首を掴んで、ガックンガックン激しく揺さぶっている。


「す、すびばせん、目が覚めるがなあと思っでえ」

「逆にてめえが永遠に眠るぜえええ! つうか狙ってねえよヤマピーのことなんかよお、お前も眠りてえか平家えええええ!」


 カズミの首を締めながら、ぐるりん成葉へと狂気の視線を向ける須黒先生。


「あ、あ、ご、ごめん、眠くてつい……」


 いきなり正気に戻った先生は、ごまかし笑いを浮かべながらカズミの首から手を離した。


「先生、酷いやああああ」


 アサキみたいなこといってるカズミ。

 首にはっきりと指の跡が残っているくらいだから、そうもなるだろうか。


「眠くてつい地が出た、ということじゃな。……うちは、絶対に逆らわんようにしよう」


 治奈が、青ざめた表情で、聞こえないようぽそり口を動かした。


 こんなバカなことをやっている間に、先ほどアナウンスされていた取手行き、緑色の列車がかたんことんとホームへと入って来た。


 ほとんど誰も乗っていないスカスカの列車に、一人、二人と、乗り込んで、発車ベル、扉が閉まり、発車して行った。


「次に来るのに、乗るんだよね」


 アサキが尋ねる。

 初夏なのに南極観測隊員のように着膨れした、滑稽な姿で。


「ほうじゃ。今度は青いのが来るけえね」

「そうなんだ。電車、久し振りに乗るなあ」

「それより令堂さん、その服装なんなの?」


 やはり先生にも突っ込まれてしまった。


「いやあ、ちょっと事情がありましてえ」


 アサキは頭を掻いて、えへへと笑ってごまかした。

 事情は事情でも、状況的な事情というより、精神的思考的な事情であるが。


 などと話していると、


「おーい!」


 また、エスカレーターの方から呼ぶ声。

 二十代半ばくらいと思われる女性が、エスカレーターをとんとん歩いて降りて来る。


「ああ、すぐさん」


 治奈が気付いて、小さく手を振った。


「え、なに、明木さんのお知り合い?」


 須黒先生が尋ねる。


「お店に何度か来たことある。アサキちゃんの義理のお母さんじゃけえ」

「ああ、そうだそうだ。初日に挨拶していたわ。令堂さんの忘れ物でも届けに来たのかしら」

「えー、わたし何度も確認したよお」


 信用されてないよなあ。と、ちょっと情けない顔になるアサキ。


「えっ、なにっ、アサキの、お母さんだってえ?」


 カズミが、面白そうなもの発見!といった感じに、目をキラキラさせながらニヤーッと笑みを浮かべると、治奈と正香の狭い間を強引に押し広げて抜けて、エスカレーターを降りて来る令堂直美を待ち構え、叫んだ。


「どーもお、アサキのお母さあん! お初でございまあす!」


 ぶんぶんぶんぶん、と腕を回し手を振った。


 エスカレーターを降り終えた直美は、いきなりぱーっと明るい表情になって、


「あーっ、あなたカズミちゃんでしょお!」

「うおーっ、正解っ! なんで分かったんすかあ!」

「だって、アサキちゃんがいってる通りなんだもん。ことごとくが」

「え、な、なんていってんだ、あいつ、あたしのこと。……まあいいや。それよりどうしたんですか? 保護者として娘が心配でついて行きたくなったとかあ、はたまた忘れ物とかあ」

「あ、いや、治奈ちゃん以外がどんな子なのか見に来ただけだよ。ええと、カズミちゃんと……おーっ、一発で分かるっ! 上品そうな正香ちゃんに、ほにゃほにゃしたのが成葉ちゃん、だよねえ」

「はじめまして」


 品よくお辞儀をする正香。


「どうも、初日以来お久し振りです。担任の須黒です」


 須黒先生が前に出て、正香に負けじと行儀よく頭を下げる。


 さっきの取り乱してるとこ見せてやりてえよなあ、などとこそっと囁いているカズミのことをキッと睨み付けると、おほほとごまかし笑いを浮かべた。


「あーー、どうもどうも。アサキちゃ……アサキがいつもお世話になってますう。……え、女子生徒だけの旅行って聞いてますけど、なんで先生がいらっしゃるんですか?」

「あ、いや、その、不安だったもので、せめて出発だけでも見送ろうと思いまして」

「ああ、そうなんですね。いやあ、生徒思いの先生だなあ。わたしは単に、ジョギングついでに、アサキちゃんのお友達の顔を見たいと思っただけなんですけどねえ」


 ははは、と頭を掻きながら直美は笑った。


「もおーっ。直美さあん、恥ずかしいよお。ただそれだけのために、わざわざ早朝の駅まで来ないでよおお」


 照れた顔を隠そうと、唇を尖らせて詰め寄るアサキ。


「ああ、あともちろん忘れ物も。はい」


 直美は、自分の小さなバッグから、赤いリストフォンを取り出すと、アサキへと差し出した。


「アサキおらああああああああああああああ!」


 バッチーーーン!


 静かな朝に、凄まじい音が鳴り響いた。

 カズミの平手が、アサキの頬を容赦なく張ったのである。


「なに考えてんだあああ、てめええええええ!」


 ベチベチベチベチ、右の頬、左の頬、右の頬、左の頬、永久機関のごとくの攻撃に、

 ずりずり、ずりずり、殴られながらアサキの立ち位置がどんどん後退して行く。


「ご、ごめんなさい、いっ、いたいいたい、い、うあっ、ほっ、ほんひで、ひっはたかないでええ!」

「だったら引っ叩かれることすんなよおお! こっちだってお前の分厚い面の皮なんか、殴りたくねえんだよおおおお!」


 といいつつ手のひら手の甲ベッチンベッチンベッチンベッチン!


「うえええん。これから合宿へ出発だあって気合いを燃やしたい時に、なんでわたしだけほっぺた腫らしてなきゃならないんですかあああ」


 ボロボロ涙に、きっとまぶたも同じくらい腫らすことになるのだろう。


「一番大事なもん忘れてくっからだろうがよおおお! あ、どうもお母さん、すみません、ありがとうございます。ほらアサキ、さっさと腕にはめとけよ! クソが!」


 カズミは直美からリストフォンを受け取ると、アサキに渡した。

 渡しついでに、力いっぱいデコピン一発。


「あいたあっ! ほっぺたと別の次元の痛みがあっ!」

「大袈裟に痛がってなくていいから、早くしろよ。電車来ちまうだろ!」

「ふぁあい」


 アサキはため息の混じった器用な返事をすると、左の袖をめくり上げて、ちくちくとリストフォンをつけ始める。


「袖がごわごわして戻って来て邪魔するから、はめにくいなあ、もう」

「お前が勝手に無意味な厚着をして来たんだろ!」

「まあそうなんですけどお」


 ぶつぶついいながら、なんとか無事にリストフォンをつけ終えた。


「ねえカズミちゃん、リストフォンがそこまで大事な物なの? 親の目の前でベヒベヒしちゃうくらい」


 直美が小首を傾げながら尋ねる。


「そりゃそうっすよ。現代女子中高生にゃ絶対にかかせないアイテムでしょお。写真に宿題、宿の予約に連絡手段、キャッシュにカラオケエトセトラ」


 それと、変身。


「ふーん。それじゃあ忘れちゃダメじゃないの、アサキちゃん」

「うん。持ち物しっかり確認したつもりだったけど、あまりにも多くてさあ。どうもありがとうね、直美さん。助かった」

「いいってことよ。旅行、楽しんでね。……でも、アサキちゃんいないと寂しくなるなあ」

「わたしだってそうだよ。でもさ、せっかくの二人っきりの土日になるんだ。修一くんとデートでもして来なよ」

「やだあ! アサキちゃんが下ネタいうなんてえ!」


 直美は嬉しそうに顔を赤らめて、ぺちっとアサキの頬をなでるように叩いた。


「いたあああっ! カズミちゃんにボコボコ殴られてまだ癒えてないんだからあ! というかっ、わ、わたしっ別にそんな意味のことなんかいってないよお!」


 カズミは直美よりも遥かに顔を真っ赤にして、両肩へ掴み掛かった。


「ん? そんな意味って、どんな意味?」

「だ、だだ、だからっ、えっとっ……」


 人差し指を付き合わせて、モジモジとしているアサキ。


「冗談。あ、そうだ。お土産よろしくねえ」

「……よくもさあ、義理の娘を辱めておいてそんな催促が出来るねえ。……まあ、買えるところがあったら買っとくよ。あ、電車が来そうだよ」


 構内アナウンスが流れる。

 下り列車土浦高萩方面、いわき行きだ。


 しばらくすると一番ホームに、かたんことんと青いラインの入った列車が入って来る。

 先ほど同様に、乗客の姿はほとんど見えない。


「よおし、アサキちゃん、行って来おい。……それじゃあ治奈ちゃん、みなさん、アサキのことよろしくお願いします!」

「はい。しっかりお預かり致します。必ず無事に返します」


 という治奈の言葉に、あれえ単なる旅行じゃなかったっけえ、と思ったか小首を傾げる直美であるが、まあいいや、とすぐに笑みを浮かべて、


「よろしくね。みんなも旅行を楽しんで来てねえ! ……先生、あたしこれから手賀沼までジョギングするですけど、先生も一緒にどうですか」

「朝が苦手なのを無理して来てるんでえ。ごめんなさいいいい」


 申し訳なさそうに頭を下げる須黒先生。


 完全に列車がホームに停まり、扉が開くと、五人はぞろぞろと乗り込んだ。


「じゃ、行ってくるね!」


 笑って、二人へと手を振るアサキ。


 しゅーーーっ、とドアが閉まった。


 かたん、

 ことん、


 列車が動き出し、手を振り見送る先生と直美の姿も、車窓から消えた。


 さて、座ろうか、という段になって、何故か青ざめているアサキの顔。


「うわああああああっ!」


 突然、悲鳴に似た大声を張り上げた。


「アサキちゃん、どがいしたんじゃ?」

「ああああああああっ、いらないバッグ直美さんに渡しとけばよかったあああああ!」


 叫びながら、車内を進行反対方向へと走ろうとする。


「間に合うわけないじゃろ!」

「直美さんも、えー引き取ろうかあ、とか気をきかせてくれてもよかったのになあ。……まあ、リストフォンを持って来てくれただけ、よかったけど」


 赤いリストフォン、クラフトをさすりながら、諦め気味に微笑んだ。


「しかし嵐のように来てかき回していったよなあ、アサキのお母さん」


 どがっ、とカズミは誰もいない車両の座席に、足を跳ね上げる勢いで、腰を降ろした。


 残りの者たちも、それぞれ席に座った。


「先生とも、えらい気さくに喋ってたしな」

「うん。そこが直美さんらしいところ、かな」


 アサキは微笑を浮かべた。


「お母さん、って呼ばないんだな」


 浅座りで、頭の後ろで手を組みながら、カズミが尋ねる。


「うん。……呼びたい気持ちもあるんだけど、なんか恥ずかしくて」

「なんでさ?」

「本当の親じゃないこともあるけど、両親が生きていた頃から直美さんたちとは知った仲で、だからずっと修一くん直美さんって名前で呼んでいたし」

「ふうん。あたしは物心ついた時から産みの親も育ての親もいないからさ、感覚が分かんないや。呼びたいけど恥ずかしいとかいう心理が」

「え、え、親がいないって……」

「年の離れた兄貴と、あたしと、弟、の三人家族なんだ。だから兄貴が父親であり母親でもあるわけでさ」

「大変だね」

「そうでもないよ。ド貧乏を我慢すればいいだけだ。楽しいしさ」


 あっけらかんとした感じでいうと、頭の後ろで手を組んだまま、ははっと笑った。


「ああ、じゃあ、これだ。カズミちゃんに分かるように、わたしの感覚を説明するなら、『お兄さんをお母さんと呼ばないとならないのに恥ずかしくて呼べない感覚』、これ近い気がする」

「はあ、意味分かんねえぞ。確かにそれは恥ずかしいけど、でもそれは、親代わりではあるけれど兄貴は兄貴だからだろうが」

「一度、お母さんありがとう、っていってみなよお。お兄さんにさあ」

「なんで、いつの間にか、あたしん家の話になってんだよ!」


 そんな他愛のない話をしているうちに、どんどんどんどん列車は進む。


 かたん、ことん、


 のんびりした音を立てて、のどかな一面の田んぼの中を。


「まずはこれで、福島まで行くんだっけ?」


 アサキが誰にともなく尋ねる。


「ほうよ。まずというか目的地もそこじゃけえね。いわき駅で降りて、そこからは私鉄を乗り継いで山の方へ、さらにケーブルカーで中腹まで」

「おお、ケーブルカーかあ。小四の遠足以来だなあ」


 思わずこぼれる楽しげな笑み。


「おい、アサキ。分かってるとは思うが……」


 カズミがぐいと身を乗り出して、対面にいるアサキへと迫る。


「『旅行じゃねえぞ』」


 ハモった。


 にっこり微笑むアサキ。


「分かってりゃいい」


 二人は、互いに身を乗り出し合って、こつんと拳を打ち合った。


 身を戻して、どっかと席に背中を預けながら、カズミがなんだか気怠るそうに、


「はああああ。しかし、たかだか電車での出発シーンに、ここまで無駄に尺を使っても、よいものだろうかああ」

「ん? なんの話?」


 隣の成葉が、きょとんとした顔で尋ねる。


「なんでもない」

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