第05話 あるお好み焼き屋にて

 天王台四丁目。

 JR常磐線の駅に近い、住宅街である。


 ある通りの路地裏に、普通の住宅に挟まれた、古びた木造二階建ての店舗がある。

 一階の、ガラス戸の上にはトタンの看板。

 白ペンキの地の上に、黒い毛筆体で大きく「あっちゃん」、その字の上には小さく「広島風お好み焼き」と書かれている。


 四十代の夫婦が二人でやっている店である。

 店内は、もうすぐ夕飯時ということもあって、既に四人の客が入っている。

 テーブル席が三人、カウンター席が一人だ。


 曇りガラスの戸に人影が見えたかと思うと、ガラガラ音を立て開いた。


「いらっしやい!」


 洗い物をしながら笑顔を持ち上げる店主であるが、すぐその顔が苦虫噛み潰した感じに変わった。


「なんじゃい、はるか」


 そう、入ってきたのは中学の制服を着たあきらはるであった。

 通学カバンにレクリエーションバッグ、学校帰りである。


「実の娘の帰宅に、なんじゃはないじゃろ。あからさまにつまらん顔を向けることないじゃろが」


 唇を尖らせる治奈。


「いらん愛想を振りまいた分、ぶすくれ顔で取り戻すんじゃい。実の娘がとか、そがいなしっかりした扱いをして欲しいなら、店の側から入ってくるな。邪魔じゃ」

「ええじゃろ、こっちのが近いけえ。……どうも。ごゆっくり」


 テーブル席の常連さんに挨拶しながら、ずんずん進んでしまう。


「ところで治奈、同じクラスに転校生が入りよったんじゃて?」

「は、早いなあ! どこからの情報よ、それ」

「こちらの奥さん」


 治奈の父、あきらひでは、カウンターに一人座っている女性客を手のひらでさした。


 女性客は、席から立ち上がると、


「ああ、どうも、りようどうすぐっていいます。と、いうことは、あなたが、さっきご主人がいってた、うちの娘と同じクラスになった……」

「ああ、はい、明木治奈いいます。さきちゃんの、すぐ前の席です」

「そうなんだ。アサキと仲良くしてあげてね」

「あ、いや、もう友達です」

「えーーーーーーっ!」


 直美は、顎が裂けそうな程の大口で、驚きの声を張り上げた。


「そそ、そ、それっ、ほ、ほ、本当?」

「はい」


 しかし、驚きすぎではなかろうか。

 と、胸に思う治奈。


「驚きすぎじゃけえ、とか思ったでしょ? いや本当なら正直に嬉しいことなんだけど、にわかに信じがたいというか」

「何故です?」

「いつも最初の掴みでコケて、暗いキャラ扱いされてそのまま、ってのが多かったから。慣れて打ち解けさえすれば、明るいというかちょっとオバカな子なんだけとね。ま、掴み成功しても同じかも知れないけど」

「なるほど。いずれにせよ、今日もというべきか掴みには思い切り失敗しとりましたが」

「でしょお。なのに友達が、しかも初日のうちに出来たっていうから、そりゃあ驚くよ。でもほんと安心したあ。あの子の成長がというよりは、運がよかったのね、きっと」


 直美は、神へ感謝するように両手を組んだ。


「いや、少しは娘の成長も認めてあげましょうよ」


 成長したのかは知らないけど、一般論的な親の言動として。


「まあ成長は感じるよ、でも、もっと強くたくましくなって欲しいのよね。優しいのは、もう充分すぎるくらいだから」

「そう、アサキちゃん、とても優しいんですよね。さっきもそこの公園で、捨てられて弱っていた子猫を見付けて、一緒に動物病院に行ったんですよ」

「治奈、店入る前に毛だらけの汚え手は洗ったのか」


 飲食店店主、明木秀雄が皿洗いをしながら渋い表情の顔を上げた。


「前でしっかりすぎるほど洗ったわ! いらん茶々を入れるな! ……あ、あ、すみません、アサキちゃんのお母さん。……そがいなわけで、飼い主が見付かるまで二匹の猫を飼ってええかっていわれると思いますよ」

「そっか。優しさから出た行為だし、まあ一週間くらいならいいか。ノミが気になるけど。……ありがとね、一緒に病院に連れて行ったって。治奈ちゃんだって、とても優しいんじゃない。……よし、最初の一杯は引っ越し記念ってことで、そしてこれは、アサキちゃんに友達が出来た分だあ!」


 そういうと直美は、右手のコップに口を付け、顔を上げてぐいーっと一気にあおった。


「もうそんな飲んでたんかい! しかもなんだか、かなり出来上がっとりませんかあ?」

「いや、水みたいなもん。つうかあたし水でも酔うもん。……治奈ちゃん、もう一回お願いするけど、アサキちゃんのことよろしくね。抜けてるとこあるというか、抜けてないとこ探すのが難しいくらいだけど、根は真面目だし、優しいし。……あんな奴らの子とは思えないくらい」

「え、あ、いま、なんて」


 まずいことを聞いてしまったのではないか。と、治奈はうろたえてしまう。


 そのうろたえに、自身の失言に気付いたか、直美はガッと立ち上がって、


「あーーーーーっ! やば、いっちゃったあ! ……ま、いっか。娘の大親友ですものね」


 意外になんともなかったごとく、静かに座り直した。


「大親友なら、いいかあ」

「いや、あの、今日知り合ったばかりなので、まだそこまでになるかどうかは……」

「隠してる、というわけでもないんだけど、実はね、本当の親子じゃないんだよね。あたしら夫婦と、あの子は」

「そう、なんですか」

「うん。旦那の知り合いの子供なんだけど……あの子、両親から酷い虐待を受けていてね」

「え……」


 ごくり。

 治奈は唾を飲み込んだ。


「元気のない表情とか、痣とかから察した旦那が、あの子を半ば強引にうちに連れてきちゃってね。あの子は、お父さんに怒られる、怒られるってことは悪いことなんだって、泣きわめきながら拒否したんだけど」

「こんな時代じゃけえ、すぐに警察呼ばれませんか? 誘拐とか監禁とか訴えらて」

「うん、すぐに実の両親が二人して、訴えるぞって乗り込んではきたよ。虐待のことがあるからなのか、本当に訴えられることはなかったけどね。代わりに、慰謝料とか口止め料とか、とんでもない額を要求してきたよ」

「どうなったんですか」

「そうしたいざこざから一週間もしないうちにね、その実の親は二人とも、交通事故で死んでしまったんだ。猛スピードでハンドル切りそこねて、電柱に衝突して」

「それは」


 なんといっていいのか、言葉が出ない。

 因果応報といえばそれまでかも知れないが。


「小学生の頃にそんな親に育てられていたものだから、あの子、人の反応をとにかく気にするのよね」

「分からないけど、分かる気もします」


 そうなってしまうのも。

 自分には、虐待された経験なんかないけれど。


「で、本当の自分を主張出来ない。当たり障りのないことだけをいって、とにかく人と衝突しないよう上手く付き合おうとする。でも、そうしていつも心が無意識に構えてしまっているものだから、出会いの度いつも掴みに失敗してしまう」

「いや、掴み失敗は本人のセンスの問題じゃ思うけど」


 同情しつつも、そこだけはしっかりツッコミ入れる治奈。


 ともかく、


「そがいな過去のある子だったんですね」


 これからあの子の笑顔を見るたび、優しさに触れるたび、ちょっと胸が詰まるような気持ちになりそうだなあ。


 と、治奈はちょっと寂しそうな表情で立ち尽くしていた。

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