第01話 望まぬ再会

 爆音、爆風。


 あまりにも巨大な体躯だからであろうか。生身がただ駆けているだけなのに、暴風雨にも感じられるのは。

 大きいというだけでなく、あまりにも異形な容姿であった。


 長剣の一振りを、かろうじてかわしたアサキとカズミの二人は、それきり口を半開ききして、唖然呆然の体で怪物を見上げている。


 唖然呆然にもなるだろう。

 目の前の、その異形、大きさを考えれば。


 馬というべきか、河馬とでもいうべきか。

 ずんぐりむっくりの胴体で、形状的には、蜘蛛、が一番近いであろうか。

 ただし、生えている足の数は二本少なく、六本であるが。

 蜘蛛といってもその大きさは桁外れで、小型のトラックほどもある。

 そして、異形を異形たらしめるのは、その背中から突き出でているものであった。

 人間の上半身、腰から上が、ケンタウロスよろしく背から生えているのである。

 白銀の服に身を包み、その上には二人のよく知った顔があった。


だれ……とくゆう


 カズミの、震える声。


 そう、壁を砕いて現れた巨体は、他でもない、リヒト所長である至垂徳柳の顔を持つ生物だったのである。


 アサキは、ごくり唾を飲んだ。

 汗ばんだ手を強く握った。


「どうして、あなたがここに。その、姿は……」


 記憶おぼろげだけど、わたしと一緒に闇に飲み込まれたはずだ。

 わたし自身、なにがどうなったのか分かっていないけど……

 ここに、同じところに、きていたのか。

 でも、この姿は一体……


「それが、てめえの正体ってわけか。やっぱりこの、妙ちくりんな場所は、てめえらの研究施設の中だったってわけだな」


 カズミとアサキの言葉を受けた、至垂の顔を持った化け物は、ゆっくりと身体を回転させる。

 絡まりそうなほどに密集している六本の足を起用に動かして、ぞぞり、ぞぞりと、二人の正面へと向き直った。


「知らないようだな。知らないようだな。まあよい。感謝しているぞ、いるぞ、りようどうさき。感謝のお礼だ。感謝のお礼だ。……なにも知らないままぁ死んでおけえええい!」


 至垂の顔を持つ六本足の巨蜘蛛は、二本の太い後ろ足で、床を強く蹴った。

 どどう、と爆発を感じるのは、その突進力の凄まじさが故であろうか、桁外れの巨体が持つ迫力であろうか。

 その圧倒的な質量が、猛然と突っ込んだのである。

 アサキとカズミが肩を並べる、そのど真ん中へと。


「あぶねっ!」


 カズミは半ば無意識に、紙一重で避けていた。

 突然のことに、心身戦闘態勢に入り切れていないようだが、しかし伊達に鍛錬は積んでいない。腐っても魔法使いマギマイスターということだ。


 だが、隣では……


「ぐぅっ」


 アサキの呻き声。

 顔を苦痛に歪めながら、左肩を押さえている。


 体当たりを完全に避けきれず、骨を打ったのである。


「アサキ、大丈夫か!」


 反対側にかわしたカズミが、心配そうに大声で問う。


「問題ない」


 赤毛の少女は、小さく頷いた。

 至垂の顔を持つ六本足の巨蜘蛛を警戒しながらも、ちらり視線を落として自分の腕や身体を確かめた。

 これは本当に自分の身体なのかと、不安になったからである。

 どうにも身体が重く、それで攻撃をかわし損ねてしまったからだ。


 まだ目覚めたばかりだから?

 だとして、どの程度わたしは眠り続けていたのだろう。

 それとも身体は万全で、突然のことに意識が戦闘へと切り替えられていないだけ?

 ……あとだ。

 そんなことを考えるのは。

 まずは、この場をどうにか凌がなければ。


 アサキは右手をそっと伸ばし、左腕に着けているリストフォンの感触を確かめた。

 と、びくり肩を震わせた。正常に動作するだろうか、などと考えていたら不意にカズミの怒鳴り声を受けたのだ。


「おい! ぼおっとしてる余裕なんかねえだろ! 変身!」


 カズミは、巨体の背後へ回り込もうと走り出しながら、同時に、両手を天へと突き上げた。

 左手に着けた銀と青のリストフォンが輝き出す。

 内蔵されたクラフト機能が、カズミの魔力に反応しているのだ。


 側面にあるボタンを押すと、カズミの身に着けている衣服がすべて、下着までが風に溶けて消えていた。

 だがそれも瞬きの一瞬、溶けた瞬間には全身銀色の繊維に覆われている。

 その繊維が、つま先からぺりぺりとめくれ上がり、黒い裏地がすね、膝、と上り、スパッツに似た形状に癒着固定される。


 いつの間にか、頭上に青い塊が浮いている。

 塊は、弾けて四散。頭、肩、胸、前腕、すね、軽量な強化プラスチックの防具として身体に装着されていく。


 男性の衣装であるモーニングにも似た、だけど袖のない硬そうなコートが、すっと頭上から落下する。

 上体を前に倒し両腕を後ろへと立てて白鳥の舞い、コートに腕を通すと倒した上体を起こした。


 ぶん、ぶん、

 と前蹴り後ろ回し蹴りで空間を焦がしながら、服を身体に馴染ませると、落ちてきた二本のナイフを、それぞれ左右の手に掴み、


魔法使いマギマイスターカズミ!」


 構え、勇ましく名乗りを上げた。


 ほんの僅か、時を遡るが、


「変身!」


 アサキも、ほぼカズミと同時に、両腕を高く振り上げ、叫んでいた。

 左腕に着けた、銀のボディに赤い装飾が施されているリストフォンが、眩く輝いた。

 腕を下ろしながら側面にあるスイッチを押すと、アサキの身に着けた衣服であるティアードブラウス、膝丈タータンチェックのプリーツスカート、下着、薄桃色の靴下、すべてが一瞬で溶け消えた。

 溶けた瞬間には、もう既に別の物に身体が包まれている。光が集束し編まれた銀色の布で、首からつま先までの全身を。


 つま先から裂けて、黒い裏地がめくれ上がる。

 黒いスパッツを履いているような形状へと変化、癒着固定された。


 頭上に浮いている真っ赤な塊が、弾けて四散。

 防具状になり、頭部、肩、胸、前腕、すねへと、装着されていく。


 ふわり、

 袖のない、硬質そうな上着が頭上から落ちる。

 前傾姿勢になったアサキは、白鳥の翼ように優雅に腕を後ろへ振り上げて、袖に腕を通す。


 上体を起こすと、腰を軽く振りながら右、左、と拳を突き出して、服を身体に馴染ませる。


魔法使いマギマイスターアサキ!」


 頭上から落ちてくる洋剣の柄を見もせず掴むと、構え、勇ましく名乗り叫んだ。


 すぐに激しいツッコミを受けることになり、勇ましさもへったくれもなくなるのだが。


「おい、真っ赤な方が強えんだろ! ならそっち着りゃあいいじゃねえかよアホ! バカ!」


 カズミが、自分の方こそというくらいの真っ赤な顔で、怒鳴ったのである。


 彼女のいうのは、真紅の魔道着のことだ。

 リヒトの研究所で、アサキが貰うはずだったもの。


 アサキの潜在能力が高すぎるため、汎用型では能力を生かし切れない。クラフトと魔道着を、アサキに合わせて作りたい。

 と、開発部から声が掛かり、特注された物だ。


 現在所持しているのに、貰うだったというのは、言葉の通り、貰って所持しているものではないためだ。

 みちおうに強奪されて、それを着た彼女と戦ったり、紆余曲折あって、現在アサキが所有しているのである。


 実際、その真っ赤なクラフトを着けて、真紅の魔道着を着て、どれだけの力が発揮出来るものなのだろうか。

 アサキはまだ着たことがないから、分からない。

 魔法使いは基本的に、飛ぶことや飛びながらの戦闘は得意ではない。だがその魔道着を着た慶賀応芽は自由に空を駆けていたので、魔力伝導効率が飛躍的に増大するのは間違いないことなのだろう。


 しかし、


「ごめんね、カズミちゃん」


 アサキは、謝るのみであった。


 自分用にカスタマイズされたという真紅の魔道着、まだ一回も着たことないだけでなく、今後も着るつもりなどなかったから。

 深い理由はない。

 慣れているからだ。最初に支給された、赤と白銀のリストフォンと魔道着に。

 そして、仲間たちと同じ魔道着で、戦いたいからだ。


 無意味なこだわりなのは分かっている。

 もしかしたら、強さにあこがれ自滅した慶賀応芽のようになりそうな気がして、怖いのかも知れない。自分のことながらはっきり分からないのだが。

 たかが道具、肉体の延長に過ぎず、要は扱う人次第だというのに。


 そんなこだわりを、カズミも理解はしているのだろう。


「バカアサキ」


 そう思ったよ、とでもいいたげな顔で、にやり笑みを浮かべたのである。


「でも、絶対に倒すぞ。つうかそれ以上に、死ぬんじゃねえぞ」


 改めて二本のナイフを握り直したカズミは、至垂徳柳の顔を持つ巨大蜘蛛へと向き合った。


「うん」


 アサキは小さく頷いた。

 洋剣を強く握り、カズミと肩を並べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る