第01話 冬の空の下で

 

 冬の夜。

 月の明かりと、汚染された空気とで、あまり星は見えないが、晴れ渡った空の下。


 部屋着のスエットだけで、なにも羽織りもせず、アサキは走っている。


 治奈の家へと、向かっている。

 徒歩で数分、公園を通り抜けたところにある、天王台駅近くのお好み焼き屋だ。


 たどり着いた。


 広島風お好み焼き あっちゃん。

 夜の九時であり、まだまだ営業時間中のはず。

 ガラス戸から明かりや、お客さんの声が漏れている。

 治奈の、父と母が、働いているのだろう。

 娘のふみが、だれとくゆうの手の者に拉致されたことなど、なにも知らずに。


 きっと治奈ちゃんは、お父さんたちを心配させまいと、裏側の住居側玄関から出てくるだろう。

 と、瞬間的に判断したアサキが、横の細い道から回りこもうとしていると、ガララピシャッとガラス戸を開け閉めする音が、その方向から聞こえてきた。


 建物の横道から、部屋着姿の治奈が、すっかり気が動転した様子で飛び出してきた。


 間に合った。

 怒りと焦りから、衝動的にマンションを飛び出してしまったが、連絡手段であるリストフォンをうっかり置いてきてしまったものだから、もしも治奈が既にどこかへ行ってしまっていたら、会うのが難しくなるところだった。


「治奈ちゃん!」


 声を掛けると、治奈はびくっと肩を震わせる。

 すぐにアサキだと気付くと、


「アサキちゃん!」


 ぐしゃぐしゃになった泣き顔で、アサキへと近寄った。

 涙に鼻水に、いつも明るく淡々としている普段からは考えられない、治奈の顔である。


「ど、どうしよう。アサキちゃん、どうしよう。フミ……フミがっ。ど、どがいすればええんじゃろ」

「落ち着いて、治奈ちゃん。まずはぐろ先生に相談しようよ」


 アサキも、リストフォンを忘れて飛び出すほど動揺していたが、治奈のこの姿に、少し冷静さを取り戻していた。


 そうだ、わたしより治奈ちゃんの方が辛く大変なんだ。

 気を強くもって、大切な友達を支えてあげないと。


 弱々しく、治奈はこくり頷いた。

 と、唐突に、治奈の左腕、リストフォンが振動した。

 腕を上げ、画面を見ると、映っているのはカズミの顔であった。


 カズミは一瞬目を見開くと、ぷいと視線をそらした。

 あまりにみっともない治奈の顔に、見ること気まずさを感じたのだろう。

 でも、そっと視線を戻して、


「アサキもいるのか。連絡つかねえと思ったら。リストフォン忘れてんじゃねえよ。あのさ、いま先生と……」


 喋っている最中のカズミの映像が、縮小しながら左端にスライド、空いた右半分に、ぐろさと先生の顔が映った。


「話は、昭刃さんから簡単に聞いたわ。みんな、すぐうちにきて!」


 二分割画面の右側、須黒先生は緊迫した顔でいった。

 真剣な顔をしているが、この事態に対してまるで狼狽えていない。

 焦りは感じるが、それ以上に冷静を感じる。

 長い間、魔法使いマギマイスターとしてヴァイスタと戦い場数を踏んできた強さや、教師としての責任で、治奈を無駄に不安にさせないようにと、不安を裏に押し殺しているのだろう。


「分かりました」


 アサキが、治奈のリストフォンを覗き込んで、先生の映像へと応えた。


「治奈ちゃん、行こう!」


 顔を上げた赤毛の少女は、泣いているばかりの親友の手を掴み、引いて走り出す。


 引かれるまま、半ばうつむいたまま、一緒に走る治奈であるが、その足取りは当然ながら元気なく、反対にアサキを引っ張ってしまう。


「ほら、もっと速く走って!」

「分かっちょるけど。……フミ……酷い目に、遭わされていたらどうしよう。もし、殺されて……」

「そういうこといわない!」


 アサキは、金切り声を張り上げた。


「ごめん。……ほじゃけど、ほじゃけど」

「絶対に、大丈夫だから」


 微笑んだ。

 かなり無理のある笑顔だったが。


 でも、絶対だ。

 絶対にフミちゃんは無事だ。

 絶対に。


「ありがとう。アサキちゃん」


 ずっ。また治奈が、鼻をすすった。

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