澪つくし

水瓶と龍

第1章 光の闇

第1話 プロローグ 光を求めて

俺の視界は濃い霧の様なものに覆われてしまっている。

白い闇が俺に纏わり付いて天空さえもが確かにあるのかが不確かになってしまっている。


かろうじて見えるのが、自分が今座っているボートの板と、朽ちる様な青色がかったボートの淵とその下に見える白く濁った水と薄っすらと浮かび上がる背の高い水草の様な影だけだ。


俺は一人で小さな手漕ぎボートに載っている。

そこから進む術を持たず唯一人、呆然と座っている。


纏わりつく白い闇は自分の輪郭も、自分の意思というものでさえあやふやにして取り込んでしまおうとしている。


ボートは古く、ほんの少しの体重移動をしただけで水の上を大袈裟に揺れてみせ、俺を水の奥深くへと突き飛ばそうとする。


何もかもがあやふやで、何もかもが不安定で、しかし、俺は確かに今そのボートに座っている。

ボートが揺れる時に起こる、かすかな「ちゃぷん」という音さえも起こらない。


完璧な白い闇が俺を包み込んでしまおうとしている。


俺は、何かを失ってここに来た。いや、ここに来てしまった。


何を失ってしまったかは今となってはどうでもいい事なのかも知れないけれど、とても大切な、命や希望や、明星や太陽や月や喜びや優しさや、そんなものに形容される様な、とても大切なものを失ってしまった。


だがそれも、もうどうでもいい事なのかもしれない。


失ってしまったものは、壊れてしまったものはもう二度と元通りには戻らない。


俺は、何かを失ってしまったが為にここに辿り着いた。それだけは確かなんだ。


そして、今はこの完璧な白い闇が俺を包み込んでしまう前に、それを晴らす、もしくは払う術を探すためにここに座っている。

いや、辛うじてしがみついていると言った方が正しいかもしれない。

少しでも気を緩めると水の中へ滑り落ちて、もう二度と這い上がれなくなってしまうか、このままこのボートと共に白い闇と一体化して、永遠に存在する事なく彷徨って消滅してしまう。


このボートに座る前はどこに居たのかは思い出せない。

何かを失ってから、どうにかしてこのボートに辿り着いた。その間はもしかしたらこの白い闇の一部だったのかもしれないし、水の中で溺れそうになっていたのかもしれない。

どうでもいい事だ。


俺は探さなければいけない。


何を?

失ってしまったものを?


違う。


もっと違う形の大切なものを探さなくてはいけない。


どうやって?


分からない。どうにかして探さないといけない。


俺は多分その大切なものを探す方法は知っている。けれど、その方法はどうにか足掻いて手に入れるしかない。簡単には見つからない。


しかし、その大切なものを手に入れるのは息を吸う様に簡単でもあるし、2ミリの箸を使って豆を運ぶ様に難しい。


俺は目指さなくてはいけない。


この霧の向こう、霧が晴れているところまで。或いはこの霧が晴れる様に、ふーっと吹き飛ばさなくてはならない。


つまり、このままではこの白い闇と同化してしまって存在という概念を無くしてしまうか、水の奥底で地球上から水分が干上がるまで苦しまなくてはならなくなってしまう。


どうするべきなのか。


ボートを進めた経験なんかは無い。どうやらオールの様なボートを漕ぐべき道具も、ボートを進めるためのエンジンも積んでいない様だ。


だけど、俺はこのボートがキチンと進んでくれるのを知っている。

それは難しくは無いがとても体力や根気や力が必要になる。しかもどうやって進めたらいいのか説明なんかは無い。どうにかして進めなくてはいけないのだ。

そして進めるにはまず澪つくしを探さなければならない。澪つくしという目標を見失ってしまうと全てが台無しになる。どこへ進んでも白い闇のままだ。


澪つくしはこのボートが進むべき大切なポイントに悠然と立っているはずだ。

それは光を帯び、何よりも透き通る様な綺麗なブルーがかかっていて星をかすめ取ってしまうくらい存在が強くて全てを平和へと導いてくれる様な勇気や優しさが形になっていて笑顔が溢れてくる様なものなんだ。


それは俺の希望、そのものなんだよ。


だから俺は早くその澪つくしを探してそこまで行かなくてはならないんだ。


でも、ほら?

あそこに薄っすらと見えているだろう?

そこまで行けばいいだけなんだよ。


でもな、すぐにはそこには行けないんだよ。

話が初めの方に戻るけど俺は大切なものを失ってしまったんだ。進むにはそれが必要だったんだけどな、だから簡単には行けないんだよ。


でもあそこに見えてるんだぜ?後はそこに行けばいいだけなんだよ。簡単な事なはずなんだよ。

まずは澪つくしまで行くためにペンと消しゴムを手に入れよう。なるべく大きいやつだ。それがまずは第一歩になるはずだ。ほらこんな話をしているうちに少しだけ霧が薄くなっただろう?だけどね、この霧を見つめている様じゃダメなんだよ。その時点で俺は白い闇に取り込まれてしまっているんだよ。


ずっと見つめるんだ。


自分の行くべき道だけを。


見えるだろう?


澪つくしが。


キレイに輝いてるなぁ。

ずっとちゃんと見てなきゃダメなんだよ。


進む方法は色々あるから、とにかく見失わない様に進めればいい。ペンと消しゴムを持ってな。目をそらすとな、すぐに見えなくなってまた必死で探さなくちゃいけなくなるんだ。

だからとにかく目を逸らすなよ。それと進み方を忘れるんじゃ無いよ。


ずっと、ずっと見つめながら思い出すんだよ。


ずっとずっと進めるんだよ。ボートを。


それで、近くまで行ったら、


掴めたら


この白い霧は晴れて行くから。


澪つくしを見ていろよな。


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