第9話 亜人の格
クレナを家に泊めた翌日。
俺はクレナと共に、ヘイリア学園へと向かった。
「クレナさん、おはよー!」
「おはよー!」
「クレナ様、お早う御座います!」
「う、うん。おはようございます……?」
既にクレナは学園の生徒たちに馴染んでいた。先日……つまり転校初日は殆ど俺と共に過ごしていた筈だが、恐らく本人のいないところで評判や噂が伝搬したのだろう。こうして見る限り、その噂はクレナに対し好意的なものだったようだ。
一方――。
「おい、あの落ちこぼれ、懲りずに今日も来やがったぞ」
「転校初日で何も知らないクレナさんを誑かしやがって。最低な奴だな」
「でも、ローレンスを一撃で倒したんでしょ?」
「あんなのマグレに決まってんだろ」
「そうそう。あれはクレナさんの力であって、落ちこぼれの力じゃねぇよ」
俺の方は、いつもと変わらない風当たりだった。
色んな生徒たちに揉みくちゃにされているクレナを傍目に、自分の席へつく。
「やあ、ケイル。おはよう」
「おう」
自分の席に座ると、エディが声をかけてきた。
いつもならライオスも傍にいるのだが――。
「ライオスは?」
「ああ、彼ならあそこに……」
エディが廊下の方を指さす。
そこでは、クレナが十人近くの男子に囲まれていた。男子たちは胸に手をやり、何やらクレナを主とした騎士のような所作で、膝をついている。その中に、ライオスの姿があった。
「……なんだあれ?」
「クレナさんのファンクラブ。本人たちは親衛隊とか、近衛騎士団とか言ってるけれど」
「転校二日目でか? まあ、あの見た目なら、分からなくもないが」
出会い方さえ違っていれば、俺もクレナのことをアイドルのように見ていたかもしれない。
そんなことを思っていると――。
「ふーん、特に焦ったりはしないんだね?」
エディの問いかけに、俺は首を傾げる。
「どういうことだ?」
「君とクレナさん、付き合ってるんじゃないの? 今朝、一緒に登校してきたでしょ?」
エディがからかうような口調で言う。
俺は溜息を吐いた。
「そういうことを言われないためにも、学園の前で、一度別れた筈なんだが」
「タイミングが悪かったね。その少し前に見かけたんだ」
クレナの護衛をするなら、なるべく彼女の傍にいた方がいい。しかしこと学園に限っては、俺がクレナの傍にいることで面倒事が生じることもある。先日のローレンスの件がいい例だ。ああした面倒事が頻発するようでは、それこそ護衛の妨げになってしまうため、俺とクレナは学園ではなるべく別行動を取るようにしていた。だから登校時も態々、学園が近づいたところで一度別れたのだが……エディには見られていたらしい。
「別に付き合ってるわけじゃない。家を出てすぐに遭遇したから、途中まで一緒に来ただけだ」
「本当に? 直前で別れる辺り、逆に怪しいよね。ケイルがやっかみを警戒するのはわかるけれど、クレナさんがそういうことを気にするタイプだとは思えないし。……まあ、詮索はやめておくよ。でも次からはもっと気をつけた方がいいかもね」
「……肝に銘じる」
明日からはもう少し早めに別れて登校しよう。
「ケイル。クレナさんが助けを求めてるよ?」
エディが言う。
見れば生徒たちに囲まれるクレナが、視線で俺に「助けて」と訴えていた。
「……放っておいても大丈夫だろう」
俺はクレナの視線を無視して、授業が始まるまで、のんびりとしていた。
◇
放課後。
授業が終わり、生徒たちが教室から出て行く中、俺はゆっくりと立ち上がった。
ライオスとエディはそれぞれ部活と委員会がある。俺たち三人は大体いつも一緒に行動しているが、放課後だけはバラバラだった。
しかし今日は俺の方も用事がある。
俺はクレナと共に、学園を出てギルドの方に向かっていた。
「むー……」
下校中。クレナがずっと隣で俺の方を睨んでくる。
「なんだよ」
「……ケイル君、私を助けてくれなかった」
「朝のことを言ってるのか? 別に助けるほどのことでもなかっただろ」
「でも、ちょっとくらい気に掛けてくれてもいいじゃん……」
子供みたいにふて腐れるクレナに、俺は小さく溜息を零した。
これでも――学園における自分の立場くらい自覚している。あそこで俺がしゃしゃり出ると、また下らない騒動が起きたに違いない。
「ところでクレナ。それ、なんだ?」
俺はクレナが大事そうに抱えている、一冊のノートを指さして訊いた。
「あ、これ? えへへ、クラスの友達に、この学園のことを色々教えてもらったんだ~」
そう言ってクレナはノートを開いた。
見開き1ページに、赤やピンクなどカラフルな文字が書き殴られていた。癖のある文字で読みにくかったが、やがてその内容を理解する。
――学園行事だ。
ヘリイア学園で行われるイベントの日程や内容が、可愛らしい文字で大きく記されていた。
「ヘリイア学園って、色んな行事があるんだね! 体育祭とか、文化祭とか、他校との交流とか、修学旅行とかっ!」
クレナが満面の笑みを浮かべて言う。
その、希望に満ち溢れた笑顔を目の当たりにして、俺は少し驚愕した。
落ちこぼれと罵られ続けてきた俺にとって、ヘリイア学園の行事は正直、あまり良い思い出がない。しかしクレナにとっては、期待に胸を膨らませるものらしい。俺は学園の行事に対し、一度もそんな風に明るい印象を受けたことがなかったため、どう反応すれば良いのか分からなかった。
「……楽しそうだな」
「うん!」
クレナが無垢な笑みを浮かべて言う。
「やっぱり私、吸血鬼領を出て良かったよ。あそこに引き籠もったままだと、こんな経験できなかったし。いや~、自由って素晴らしいねっ!」
本当に、心の底から楽しそうに言うクレナに、俺も顔を綻ばせた。
「直近だと、
開かれたノートを指さして言う。
「武闘祭? あ、夏休みが終わった後にあるやつだね!」
「ああ。学園で誰が一番強いのかを決める祭りだ。規模が大きくて、当日はアールネリア王国の重鎮も顔を出す。確か去年は近衛騎士団の団長とか、各ギルドの上位ランカーが来ていたな」
「え、それってどっちも凄く偉い人なんじゃないの?」
「そうだな……俺たち平民にとっては、雲の上にいる人だ」
へぇー、とクレナは興味深そうに頷く。
そんな彼女の様子に、俺は小さな声で質問した。
「……帝国軍との問題、早く解決したらいいな」
「……うん」
この件が無事、解決したら、クレナも余計なことを考えずに学生生活を謳歌できる筈だ。現状、クレナは追手を撃退することで軍の計画から逃れようとしているが、何かこちらからも軍に打撃を与えることはできないだろうか。
「クレナ。特種兵装の開発は秘密裏に行っているとはいえ、軍が主導しているということは、国がそれを許しているということか?」
「ううん。多分、それは違うと思う。私も返り討ちにした敵から情報を引き出したりして、色々と調べたんだけど、どうも帝国は一枚岩じゃないみたい。……過激派っていうのかな? 帝国の中には、種族戦争はまだ終わってないと主張する人がいて、その人たちが独断で特種兵装の開発を行ってるんだって」
なら――最悪の事態ではない。
いくらなんでも国を相手に戦うのは無謀だ。しかし話を聞く限りでは、敵は国ではなく、国の監視を掻い潜って活動する裏の組織である。
「過激派たちが、国の監視を掻い潜って兵器を開発しているということか。……ならいっそ帝国に抗議したらどうだ? クレナが過激派に襲われたという事実は、穏健派にとっては喉から手が出るほど欲しい情報の筈だ。ちゃんと捜査もしてくれるだろう。……帝国が一枚岩でないというなら、もう一枚の方を味方につければいい」
帝国が味方であれば――という前提だが。
帝国は少なくとも表向き、アールネリア王国と同じく、多様な種族を容認している国家だ。その国が、特種兵装なんてものを開発していると知られたら、最悪、国際問題に発展しかねない。それは帝国全体としても好ましくないだろう。火が見つかれば、それが大火事に発展する前に、素早く消火してくれる筈だ。
なんてことを考えていると、クレナが感心した様子でこちらを見ていた。
「ケイル君、頭いいんだね」
「……なんだよ急に」
「いやー、自分が被害に遭ってるわけじゃないのに、よくそこまで頭が回るなーって」
「……俺も被害には遭ってるだろ。護衛は引き受けたが、あの日の夜みたいな危険なことは、できるだけ避けたいからな。頭を回すしかない」
頭がいいなんて言われたことは一度もない。
悪い気はしなかったが、結局、問題を解決できなければ意味がない。
「そうだね。……でも、さっき言ってた帝国へ抗議するという案は難しいかな」
「何故?」
「既に実行したもん。でも襲撃は止まなかった。……多分、帝国は私の抗議を、小娘の戯言と処理してる」
それは……少々、怪しい話だ。
クレナは吸血鬼社会では貴族に該当する。ただの小娘ではない。にも拘わらず、帝国はまともに取り合っていないということか?
「帝国は、王族かつ純血の血を求めているんだろ? なら、他の吸血鬼は被害に遭ってないのか? クレナ一人じゃ無理でも、被害者たちで徒党を組めば……」
俺がそう提案すると、クレナは首を横に振った。
「あのね……今、思えば、帝国は最初から私だけを狙っていたのかもしれない」
クレナが言う。
「吸血鬼領にいた頃から、偶に帝国の軍人が私に会いに来ていたの。私は子供の頃から、その人たちに血液検査を受けてきた」
「血液検査?」
「うん。私、他の吸血鬼と比べて、"格"が高いんだって」
「"格"って……身分って意味じゃないよな?」
クレナが頷く。
「人間と違って、亜人には種族特性以外にもう一つ、強さを表す指標があるの。それが"格"。……"格"が高い亜人は、種族特性以外にも、身体能力とか精神力とか、色んな能力が生まれつき高いの。……つまり、文字通り"格"が違うってことね」
「成る程。じゃあクレナの場合、その"格"が不自然なくらい高いから、検査を受けていたということか」
「うん。まあ高いと言っても、王には程遠いけれどね」
「王?」
俺が訊くと、クレナは歩きながら説明する。
「吸血鬼の王様。昔から亜人社会では、最も"格"の高い人が、王を務めることになってるの。私も、一度だけ吸血鬼王を見たことあるけれど……目を合わせた瞬間、無意識に跪いちゃった。……そのぐらい、王と私たちには"格"の差がある」
「人間の王様とは、随分と仕組みが違うんだな。実力主義というか……」
「あはは、まあ亜人の場合、見ただけでその人の"格"の高さが、なんとなく分かるからね。飛び抜けて"格"が高い人には、誰も逆らえないし、逆う意思を持つことすら難しい。だから自動的に、その人が王になるって感じかな」
思ったよりも、行き当たりばったりな制度だ。
しかし現に亜人の社会はこうして昔から回っているのだ。人間である俺には"格"がどういったものなのか分からないが、亜人にとっては生きていく上で大切なものなのだろう。
「話を戻すけれど。……吸血鬼領で血液検査を受けていたのは私だけだった。だから、狙われているのは私だけかもしれないって思ったの」
単に王族かつ純血の血が欲しいのであれば、クレナ以外にも標的はいる筈だ。検査の実態が、軍の兵器開発に関するものだった場合、クレナ以外にもその検査を受けている吸血鬼はいる筈である。
「しかし、その検査が特種兵装の開発に関わっているとは限らないだろ。もしかしたら、本当にただの検査だったのかも……」
「ううん。多分、あれは真っ当な検査じゃないと思う。だって、その検査を拒否してから、襲われるようになったんだもん。……血液検査なんて言ってたけど、あれは検査にしては明らかに血を抜き過ぎているし、それに回数も多かった」
自信ありげにクレナは言う。
もしそれが事実だとしたら――既に、クレナの血は何度も帝国の手に渡っている。
クレナにとっては最悪な気分だろう。自分の血が兵器の開発に利用されているのだ。その心中は俺には推し量れない。
「ごめんね、こんな大事に巻き込んじゃって」
落ち込んだ様子でクレナが言う。
「その分の報酬はもらってる。……一日につき、金貨五枚。忘れるなよ?」
冗談めかして告げる。
クレナは笑みを浮かべて「うん!」と答えた。
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