第18話 ギリギリの水着
「やってきたよー」
河合好乃は開いたバスのドアからピョンと飛び降りた。頭頂に結ったお団子がプルンと揺れる。後ろを振り返る素振りも見せず、わー、と声を上げて走り出す。
「もう、好乃ちゃん、可愛過ぎ!」
続いて降りた時田翠子は笑顔で追い掛けた。
二人が走る先には広大な海が広がっている。その手前の白い砂浜にはパラソルという鮮やかな原色の花が咲き乱れていた。隅の方には仮設の建物が並んでいて飲食物を手にした若者の出入りが激しい。
「ここにしよう!」
好乃はそれとなく周囲を見て決めた。その場にしゃがむと両手で白い砂を掻き集める。早速、城のような物を作り始めた。その可愛らしい目印に翠子は笑顔で震えた。
「好乃ちゃん!」
翠子は背後から抱き締めた。好乃を持ち上げてクルンと回し、正面から抱き締める。頬と頬を引っ付けて猛烈な勢いで擦り合わせた。
「熱いー、頬が燃えるー。合わせ技のベアハッグで内臓が出るー!」
「ああ、可愛い! この可愛い反応が堪らない!」
好乃は激しく揺さぶられた。首の据わらない赤ん坊と化して、どこか虚ろな笑顔で空を眺めた。
数分後、翠子の興奮が収まった。
「……今日はなんか、テンション上がっちゃって。ごめんね」
「いつものことだけど、少し抑えてくれたら嬉しいかな」
好乃はレジャーシートを広げて言った。レンタルのパラソルは翠子が片手で深々と刺し込んだ。
場所を確保した二人は履いていたサンダルを脱いだ。
「貴重品も預けたことだし、ぱっぱと脱いで海に飛び込もう!」
「あのぉ、好乃ちゃん。まさかとは思うけど、Tシャツの下は水着だよね?」
「もちろんだよ。わたしは野生児じゃなくて二十一歳の普通のOLさんだよ」
好乃は子供っぽい笑顔を見せる。耳にした者達は例外なく目を丸くした。中には頻りに瞬きをする者もいた。
「それを聞いてほっとしたよ。『自然の姿が一番なんだー』とか言い出したら、どうしようかと思ったわ」
「翠子ちゃんの中のわたしが危ない人になってる! まー、長話はこれくらいにしてヌギヌギしないとね」
ダブダブのTシャツの袖を引っ張って腕を抜く。残った方も同じようにしてハーフパンツのベルトを緩める。その姿で、えへへ、と笑って一気に脱いだ。
「じゃじゃーん、これが今日のために買った水着だよー」
「え、それって裸!?」
翠子の驚きは当然で近くにいた数人が飲み物を吹き出した。
「違うよー。ほら、肩紐を引っ張ったらわかるよね。ベージュのマイクロビキニなんだよー」
楽しそうに笑うと豊満な胸が重そうに上下した。好乃は一向に気にしていない。着心地を確かめるようにスキップを始める。
「……ロリ巨乳」
「本物だ……」
「マジかよ」
囁き合う声に翠子が
翠子は別のところを睨み付ける。仙石竜司は呆けた顔で突っ立っていた。自身を指差し、何か言いたげな表情を浮かべた。
好乃に気付かれないように手で招く。竜司は白い特攻服の裾を撥ね上げて走り寄る。
「なんですか、姉御」
「……好乃ちゃんの水着、あれはどういうことなのよ」
翠子は男に
「俺も詳しくはわからないもんで。パーティーグッズで面白いものを見つけたと、はしゃいでいたのは知っていますが」
「普通の水着じゃないのね。仕方ないわ。私が目立って好乃ちゃんに注がれる目を引き剥がすわ」
翠子は力強い声で拳を固める。竜司は軽い驚きで、一瞬、視線を下げた。
「……今、どこを見た? もう一回、死んでみるか」
「あ、あの、違うんです。そ、そういう意味じゃないんです」
泣き笑いの顔で激しく動揺した。翠子は視線だけを動かす。
「そのあからさまな動揺に殺意が
「あ、ありがとうございます! 仙石竜司、今後も河合さんの守護霊として頑張る所存であります!」
「誰が守護霊よ。暴走族あがりの亡霊が調子に乗ると」
「わかっております! 姉御を差し置いて出過ぎた真似は絶対にしません!」
直立不動の姿勢で竜司は言い切った。
「ま、いいわ。私も水着になるから」
翠子はパンツを先に脱いだ。素足の状態から半袖シャツのボタンを外し、はらりと足元に落とす。
竜司は驚愕した。それに合わせて周囲からどよめきが起こる。
「あ、姉御、その水着は!?」
「天才児に貰った逸品よ。スク水とかいう、旧時代の水着らしいわ。なかなかのインパクトでしょ」
翠子は紺色の水着でくるりと回って見せる。胸元には白い布が貼り付けられていて『1の3 みどりこ』と丸っこい平仮名で書かれていた。
「あれはなんだ?」
「ヤバイな」
「キメてるっぽい」
周囲のざわつきが収まらない。竜司は項垂れた姿で頭を振った。
「姉御、それは俺の特攻服と同じ時代のもので、その、なんというか。ある一定の需要はあると思うんですが」
「そうなんだ。あんた、死んでる割には長生きなのね」
「はは、まあ、そうですね」
竜司は翠子のなだらかな胸に目をやる。
「じゃあ、行ってくる。これ以上、好乃ちゃんを晒し者にする訳にはいかないから」
「俺は守護、じゃなくてボディーガードとしてタチの悪い霊を追い払うことに集中します」
「うん、よろしくね」
翠子は朗らかに笑うと好乃のところに急いで向かった。
その後ろ姿を竜司は腕を組んで黙って見詰める。
「姉御にはスク水もアリかな」
翠子は好乃を小脇に抱えて海へと走り出した。波打ち際で大きく跳躍して笑顔で海に飛び込んだ。
竜司はパラソルの下、胡坐を掻いた。
「ぐあー、鼻に入ったー。胸もポロリだよー」
「ごめん、ごめん。ちょっと勢いが付き過ぎちゃった」
二人は海面に顔を出して楽しそうに遣り合う。
「……姉御、意外と笑顔は可愛いな……胸はないけど」
ごろりと仰向けに寝転がる。竜司は青い空に浮かぶ、白い入道雲を眺めながら目を細めた。
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