第16話 テーマパーク

 窓の外で雀がチュンチュンと鳴く前に時田翠子は目を覚ました。寝ぼけた様子は一切なく、スマートフォンを顔の前に持ってきて情報収集を始める。昔ながらの掲示板や専門サイト、最新のSNSを片っ端から見ていった。


『大量殺人が起きた現場の今がヤバイ。マジで呪われそう』

『人里離れた山の裾野にあるってことは精神系の病院なんじゃないの。バスが走ってるから行くのには困らないみたいだね』

『看護師ではたまにあるが、医者もストレスが溜まるのだろう。そうでなければ患者に毒物なんか投与できないよな』

『病院の中には誰でも入れる。昔の器具が捨てられた状態になっていて記念に持ち帰るバカもいるらしい』


 翠子は情報を抜き出した。整理すると山の裾野には廃棄された精神病院が今も取り壊されずに存在するという。医師によって複数の患者が毒殺された、その現場は何十年と経過した今でも危ないと人々に認識されている。

「意外と近いし、登録者に会えるかも」

 翠子はにんまりと笑ってクローゼットに向かう。

 初対面の第一印象は大切。その思いで薄桃色のチュニックに青いスリムパンツを合わせた。可愛らしさと爽やかさを意識した組み合わせである。肌が露出したところには無香料の虫除けスプレーを噴霧した。

 出掛ける用意ができると自然に表情が引き締まる。

「破格のお小遣いが私を待っている!」

 気合も十分。翠子は大きく腕を振って出掛けていった。


 電車を乗り継ぎ、降りた駅で更にバスに乗り換える。八つ目の停留所で速やかに降りた。

「そこそこの田舎ね。あっちかな」

 翠子は一方を向いて歩き出す。

 中央線のないアスファルトの道には無数のヒビが入っていた。左手には低い山がだらけたように横たわる。右手には放置された畑が広がっていて、まるで夏草を栽培しているかのようだった。

 何も見るところがない。翠子は目に付いた小石を真新しいスニーカーの靴先で蹴飛ばした。歪な表面を慌てふためいて転がり、間もなく道の際に置かれた看板にコツンと当たった。

「また『チカン注意』だったりして」

 含み笑いで近付いていく。内容を目にした瞬間、呆けたような顔になった。

 看板の下寄りに足のない女の幽霊のイラストが可愛らしく描かれていた。上部の丸い吹き出しには『話題沸騰の廃病院はこっちだよ』と軽い調子で直進を促す。

「テーマパークじゃないんだから……」

 文句を言いながらも指示通りに歩いていくと、左手の藪に新たな看板を見つけた。同じタッチで描かれたイラストは白衣の男性であった。左手には注射器を持ち、右手は山の方向を指差している。角張った吹き出しには『君も毒殺しちゃうゾ』とあった。

「センスを疑うわ」

 不機嫌な顔で左手に折れた。踏み固められた黒土の道は木々の合間を抜けて目的地へと誘う。

 開けた場所に出た。鉄扉の門は開き、廃病院の正面玄関に向かう道の左右には屋台が立ち並ぶ。縁日のような状態で大勢の人々が押し掛けていた。

「廃病院名物、幽霊煎餅です! 青白い生地に悶え苦しむ顔が浮き出ていて、暑い夏に涼しい一時を提供します! お一つ、いかがですかー」

「注射器の容器に入ったゼリーは甘くて冷たい夏仕様だよー! 色はブラックーとレッド、お好みでどうぞー!」

 売り子の声に反応した若い面々が挙って買い求める。その場で食べて似たような感想を口にした。

「死ぬほど美味しい~」

 その様子を見た翠子は売り子と客の近くに目をやる。パジャマを着た半透明の女性や男性が半狂乱で引っ掻く。口角に泡を吹き、なら死ね、という言葉を連呼していた。

 翠子は目を伏せて早足で通り過ぎた。

 開け放たれた正面玄関を抜けて建物の内部に足を踏み入れる。床にはキラキラと光る欠片が散らばっていて、その上を人々が音を立てずに平然と歩いていた。

 翠子は一つを摘まみ上げる。指の腹で押すとゴムのような感触を伝えてきた。

「ここまでする?」

 欠片を指で弾いて奥へと向かう。

 総合受付の手前には来客用のソファーがずらりと並ぶ。古ぼけてどこかしら破損していた。その中の一台に半透明の妙齢の女性がちんまりと座っていた。手には数字が印字された紙を持っていて、呼ばれる時を待っているかのようだった。

 その隣に茶髪の青年が遠慮なく座る。背もたれに両腕を載せて脚を組み、気だるげに辺りを見回す。

「もっと薄暗い方が雰囲気でるだろ。間接照明がダメだな。壁も適度に壊さないと。こんなところで殺されるヤツは相当の間抜けだな」

 その物言いに女性は青年の方を向いた。歯をカチカチと鳴らして目を剥く。眼球が迫り出し、今にも零れ落ちそうになっていた。

 切ない溜息で翠子は歩き出す。進行方向に人だかりが出来ている。部屋の上部には『検査室』のプレートが付けられていた。

 翠子は人々に混ざって中を覗いてみた。大型の機材は取り去られ、着古した浴衣やカルテの一部。大量の注射器が散乱していた。隅に金髪の若者が座っていて集まった人々に笑顔を見せる。

「廃病院で発見された品々を集めてみました! もちろん、全てが本物! 注射器の中には犯行に使われた物もあるかもしれない! 一品につき、1000円の代金でロマンまで買える! 絶対に損はさせません!」

 興味を引かれた人々は次々と中に入って物色を始めた。一番人気は注射器で見る間に減っていく。若者は傍らに置いてあった段ボール箱に手を突っ込み、注射器を適当にばら撒いた。

「在庫はまだまだありますよ!」

「在庫って」

 翠子は青年の周囲に遠慮がちな目を向ける。病衣を着た半透明の女性達に囲まれ、食い千切らんばかりの勢いで噛み付かれていた。

「……帰ろうかな」

 ポツリと口にして、その場を離れた。来た時と同じように正面玄関から外に出た。縁日のような賑わいを改めて目にする。

「今がヤバすぎてマジで呪われるわ」

 翠子が調べた情報は、ある意味で正しかった。

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