1-9
木村一家は豊洲のショッピングモールから文京区の住宅街に向かった。何度も訪れているマンションの呼び鈴を隼人に抱き抱えられた斗真が押す。
『ぴんぽーんっ!』
斗真の声と共に呼び鈴が鳴り、扉から女性が顔を覗かせた。
「いらっしゃーい!」
出迎えた渡辺泉はまず斗真の頭を撫で、美月の腕の中にいる美夢の頭も撫でた。斗真も美夢も泉によくなついている。
隼人と美月は泉に招かれて渡辺家に入った。ここは隼人の幼なじみの渡辺亮と妻の泉の自宅だ。
『よっ。新婚』
『おう』
隼人が照れ臭そうに笑う渡辺亮と挨拶のハイタッチを交わす。部屋にはもうひとり、来客が待っていた。
『ヒロにぃちゃーん』
『斗真、また背が大きくなったなぁ』
渡辺の従弟の松田宏文が駆け寄ってきた斗真を膝の上に乗せた。隼人は松田の隣に腰を降ろす。
『ヒロと会うのは久しぶりだな』
『3ヶ月ニューヨーク出張だったからね。これニューヨーク土産。こっちは斗真と美夢に』
松田は二つの黒色の袋を隼人に、金色の袋を斗真に渡した。美夢への土産は美月に手渡す。
「先輩、いつも子ども達にまでお土産を買ってきてくれてありがとうございます」
『いえいえ。斗真と美夢が喜ぶ顔想像するとつい買ってきちゃうんだよ』
松田と美月は大学の先輩後輩の間柄。大学時代に松田が美月に恋心を抱いていたことは当時を知らない泉以外の者達には周知の事実だ。
木村一家の到着の数分後に隼人と渡辺の幼なじみの麻衣子が揃い、本日のパーティーが開催となった。
『では、皆揃ったところで。亮、泉ちゃん、結婚おめでとう』
隼人の合図で美月、麻衣子、松田と斗真も一斉におめでとうと口ずさむ。1歳になったばかりの美夢だけは大人達の事情も素知らぬ顔でオモチャで楽しく遊んでいた。
渡辺と泉は頬を染めて来賓に笑顔で応える。渡辺夫妻は立ち上がって一礼した。
『えーっと……皆には色々とご心配をおかけしましたが……』
『本当にな。同棲解消騒動になった時はどうなることかと思った』
尊大な態度でソファーに座る隼人が渡辺の言葉を遮る。渡辺がバツの悪そうな顔で隼人をねめつけ、隼人は口元を斜めにして笑っていた。
美月はこの光景に既視感があった。記憶を辿ると6年前の美月と隼人が結婚した時に渡辺達が集まったパーティーでは隼人と渡辺の立場が今と逆転していた。
(この幼なじみ二人は本当に仲良しだなぁ)
本当に仲が良いからこそ、軽口も嫌味なく叩けるものだ。仕切り直して渡辺が咳払いした。
『まぁ紆余曲折ありながらも、こうして俺と泉は夫婦になりました。結婚式の準備もぼちぼち進めていきます。仕事の方は4月から
隼人への小さな反撃をしつつ、渡辺はスピーチを締めくくった。隼人は目を潤ませる麻衣子を見て苦笑する。
『おい麻衣子。なんで泣いてるんだよ』
「だってあの悪ガキだった亮がこんな立派な挨拶するようになって……ああもぅ……」
『麻衣子は俺の母親かよ』
渡辺の一言で一同の間に笑いが起きた。涙腺を緩ませる麻衣子の下腹部はふっくらしている。
麻衣子も一昨年に結婚した夫との間に今春には第一子が誕生する。
『これでこのメンバーでの独身はヒロだけになったな』
『俺は結婚は当分ないよ。まず相手がいない』
渡辺が松田に話を向けたが、松田は肩をすくめてかぶりを振った。隼人が話に加わる。
『あの彼女と別れたのか?』
『アメリカ出張から帰って来てすぐに振られた。仕事ばかりして私のことはどうでもいいんでしょって言われてね。どうでもいいなら日本に戻ったその日に会いに行かないのにさ』
「えー。ヒロくん私と同じ匂いを感じる」
大学院生時代に研究に夢中になっていて元カレに浮気された経験を持つ泉は自らの過去と重ねて大きく頷いた。
渡辺夫妻の結婚を祝うパーティーは和やかに進み、ノンアルコールのシャンパングラスと斗真のオレンジジュースのグラスが乾杯する。
『俺も隼人も結婚して高校生だった美月ちゃんが二児の母で麻衣子も母親になって、時の流れは速いな』
『そうだな。あれから12年か……』
渡辺の言葉に隼人が同調した。部屋の片隅では座布団をベッド代わりにして眠る美夢の傍らに美月が寄り添い、麻衣子と泉が斗真と遊んでいた。
12年前の2006年8月に静岡で起きた連続殺人事件。あの真夏の白昼夢から今年で12年。
終わりのない始まりのプロローグ。永遠と絶望の一夜に流れるセレナーデは今も彼女の為の旋律を奏でている。
隼人の視線に気付いた美月が顔を上げた。
真実と秘密と恋と愛。
彼らは二人にしかわからない秘密を二人にしか通じない言葉で紡いで、絡み合う視線の糸に閉じ込めた。
第一章 END
→第二章 月夜烏 に続く
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