第一章 小夜曲

1-1

 西暦2018年、1月。夕陽を背景にして制服姿の三人の少女が踏切の遮断機が上がる線路内に侵入した。


「絢。ちゃんと撮ってよ」

「……うん」


線路の外側にいる稲垣絢はカメラモードにしたスマートフォンを三人に向ける。線路内で笑顔でポーズをとる三人組を何枚か写真に収めて絢はスマホを香奈に返した。

香奈はその場で写真の写り具合を確認してから画像加工アプリを使って写真をさらに加工する。


「でーきた」


 香奈は加工が仕上がった写真を写真を投稿して共有できるSNS、インスタグラムに載せた。

写真に添えられたキャプションには#学校帰り #イツメン #ljk #jk1 #ljkの素敵な思い出 #jkブランド #青春 #夕焼け #綺麗 #いいね #いいね返し……など、文章ではなくハッシュタグ(#)と呼ばれるタグをいくつもつけて投稿した。


 総務省情報通信政策研究所の〈情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査〉によると、SNSの利用はスマートフォンの普及と共に増加。

2016年の全体のSNS利用率は71.2%、年代別では十代が81.4%、二十代では97.7%。


香奈が利用するインスタグラムの日本ユーザーは2017年10月に2,000万人に達した。撮った写真を加工して気軽に投稿できるインスタグラムは十代、二十代には欠かせない存在となっている。


 香奈と共に写真に写る歩美あゆみ瑞樹みずきも香奈と同じように加工した写真を自分のインスタグラムに載せた。せっかく目の前に綺麗な夕陽があるのに三人が見ているのはスマホ画面の加工した〈自分〉

今を切り取りたい、それが香奈の口癖だ。彼女達のとは何だろう?


絢は香奈達が加工や投稿に夢中になっている間も一瞬足りとも同じ瞬間なく変わり続ける今日の夕焼け空をスマホの画面で切り取った。


 まだ線路内にいる香奈達の後方から車がやって来るのが見えた。車は線路に留まる香奈達に気付いて速度を落として近付いてくる。


「香奈ちゃん車来るよ。もう出た方が……」


絢は遠慮がちに彼女達に線路を出るよう促した。香奈も歩美も瑞樹も、SNSへの投稿に夢中になって周りのことはお構い無し。

楽しくお喋りしていたところを邪魔された香奈は絢を睨み付けて線路の外に出た。


「絢ー。あそこで何か買ってきて。三人分」


 香奈はスマホ画面から目を離さずにすぐそこのコンビニを指差す。人に物を頼む時も香奈はスマホを見ながら指図する。

欲しい物があるなら自分で買ってくればいいのにと思っても絢は香奈に逆らえなかった。


コンビニで三人分のお菓子やジュースを買ってもお礼の言葉もない。それらの代金もすべて絢が支払っている。

支払った金額が返ってこないことも、ありがとうの一言がないことにも、今では慣れてしまった。


 ようやく香奈達から解放されて家に帰る途中、絢はスマホを取り出して自分のインスタグラムアカウントに接続した。

インスタグラムのタイムラインの一番上には〈@ka_naaan706〉のアカウントの投稿。香奈のアカウントだ。


香奈が投稿した写真は絢が撮影した夕焼けの線路での三人組の写真。写っているのは三人のみで撮影者の絢の存在はそこにない。最初からいない扱いをされる。


 投稿して1時間も経っていないのに、香奈の投稿にはすでに60件を越える〈いいね〉がついている。

絢は無心で香奈の投稿に〈いいね〉印のハートボタンを押した。本当にいいねと思っているのではない。

いいねをから、事務的に〈いいね〉を押しているだけだ。


歩美と瑞樹の投稿にもそれぞれ〈いいね〉を押した後、絢は画面をインスタグラムからツイッターに切り替えた。


 ツイッターは140字以内の短文で言葉を綴るSNSアプリ。写真ではなく言葉を共有するツールだ。

2016年7月のツイッターの全世界ユーザー数は3億1,300万人。絢もインスタグラムの他にツイッターも利用している。


〈あや@自殺垢〉これが絢のツイッターのアカウントだ。


 ―――――――――

 いいねの数欲しいだけの投稿うざい

 もう嫌。死にたい

 あいつら電車に轢き殺されて死ねばいいのに

 ―――――――――


 絢は今の気持ちをツイッターの文面に吐き出して、スマホをコートのポケットにしまった。

香奈達から嫌がらせを受け始めたのは秋頃。仲良くしていたつもりだった。


 香奈も歩美も瑞樹も、高校に入学して初めてできた友達だった。教室移動も体育のグループも昼休みも放課後も一緒にいた。

夏休みまでは今の瞬間を切り取る写真に絢も写っていた。

それなのに今の絢の立場は“瞬間を切り取るための撮影者”。


 夏休みのある日、絢は香奈達と原宿のパンケーキ店に入った。ティーン雑誌の人気モデルが広告塔を務めるその店のパンケーキは“見た目も味も可愛いパンケーキ”がキャッチフレーズだった。

客層は絢達と同じ年頃の若い女の子が多く、皆がこぞって“可愛いパンケーキ”を写真に収めていた。


その夜、香奈がインスタグラムに載せたパンケーキの写真に絢は〈いいね〉を押さなかった。香奈はパンケーキの写真を撮るだけ撮って満足した後、太るからと理由付けしてパンケーキを一口も食べなかったのだ。

一緒にいた歩美や瑞樹もパンケーキの写真を撮ってから少し食べただけでパンケーキを残した。


SNSに載せてるためだけに購入された食べ残しのパンケーキは店に放置。これを見た店員がどう思うか、絢は店員の気持ちを考えると香奈の投稿に〈いいね〉を押す気にはなれなかった。

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