5-13

 日比谷公園の大噴水の前に佇む早河の横を公園に遊びに来ていた幼稚園児達が駆けていく。冬の寒さでも子どもは元気だ。


『そうですか……わかりました。……ええ、こちらは予定通りです』


 上野警部からスコーピオン死亡の連絡を受けた早河は通話を終えて息をつく。上野はスコーピオンを生きて逮捕できなかったことを悔やんでいた。

スコーピオン……本名は田村克典。国家維持の名目で暗殺業を背負った代償に家族を奪われた男は最期は自ら命を絶った。


田村とは珈琲専門店Edenのマスターとして何度も顔を合わせ、談笑を重ねた。田村が淹れたコーヒーの味を早河は忘れない。


 幼稚園の黄色い帽子を被った男の子が数人、こちらに走ってきた。どうやら鬼ごっこをしているらしい。

先頭を走っていた男の子が足を止めて早河の方を振り向いた。男の子と目が合ってもどうすればいいかわからない早河は無表情に彼を見つめ返すことしかできない。


無表情を貫く早河を見て何を思ったのか男の子は早河に近付き、握っていた手を開いた。


『おじちゃん、コレあげる!』


男の子の小さな手のひらにはドングリがひとつ転がっている。


『もらってもいいの?』

『うん! 元気になるダイヤモンドだよ! あげるっ!』


受け取ったドングリは男の子の体温で温められていてほんのり温かい。早河は男の子の胸元についた名札を見る。

さくらを型どったピンク色の名札には【さくら組 しみず はじめ】とある。


『はじめ君、ありがとうね』

『じゃーねー!』


 鬼ごっこの仲間の姿を確認したはじめ君は早河に手を振って仲間の群れに混ざって走り去った。


『元気になるダイヤモンドか』


 久しぶりに見るドングリに目尻が下がる。子どもの頃は、はじめ君のように公園で拾ったドングリや石ころが宝物だった。

ドングリや石ころを宝石や魔法の石だと定義すれば、それは子どもにとって本物の宝石や魔法の石だった。


地面に描いたデタラメな魔方陣と意味不明な呪文、木の枝は魔法の杖になり、石ころはなんでも願いの叶う魔法の石、空き地は秘密基地、公園の遊具は敵のドラゴン、そうやって発想を広げて遊んでいた。

誰にだってそんな無邪気な時期がある。無邪気な思い出がある。


 いつの間にか宝物はドングリでも石ころでもなくなり、大人になるほど金や権力に執着する。小さなドングリで満足できていた子どものままでは居られなくなる。それが人間だ。


はじめ君が元気になるダイヤモンドと定義したドングリをポケットに入れて早河は歩き出す。間もなく行動開始時間だ。


 日比谷公園は日本の権力の集合体、霞ヶ関と呼ばれる一帯には早河の以前の職場の警視庁を筆頭に、東京高等裁判所、外務省、文部科学省、財務省などの国の主要機関が集まっていた。

霞ヶ関一丁目中央合同庁舎第6号館には法務省が入っている。


 日比谷公園内の自由の鐘の前に男が立っていた。しきりに腕時計で時間を確認していた男が顔を上げる。

驚きを態度に出すまいと懸命に無表情を装っていても男の目の動きに動揺の気配が見えた。


『……どうして君がここに?』

『総監はどうしてこちらに?』


早河は男の質問に質問で返した。鐘の前にいるのは早河が刑事時代に警視庁トップの警視総監の任に就いた笹本尚之警視総監だった。


『私は……待ち合わせをしていてね』

『待ち合わせの相手は岩波法務大臣ですよね?』


岩波法務大臣の名を出すと笹本の目がさらに泳ぐ。


『“カオスの今後について話がある、待ち合わせ場所は日比谷公園の自由の鐘の前で。”……岩波大臣からこんな内容のメールが今朝届きませんでした?』

『何故……君が……』

『岩波大臣のメールアドレスを拝借してあなた宛にメールを出したのは俺達です。同じ内容のメールをあなたのメールアドレスから岩波大臣にも送りました。……来ましたね』


 ふくよかな体型の男がきょろきょろと周りを気にしながら公園に入ってくる。その男は鐘の前で睨み合う早河と笹本を見て血相を変えた。


『これは……笹本さん、一体どういうつもりだね? 何がどうなっている?』

『岩波大臣。お呼び立てして申し訳ありません。お二方とそれぞれ話をするには時間が惜しかったもので。恐縮ですが一ヶ所に集まっていただきました』


早河は前に進み出て岩波大臣に会釈する。それを見た笹本が鼻を鳴らした。


『大臣。私達はこの早河にはめられたらしいですよ』

『よくわからないが用がないなら失礼するよ。私はこれでも忙しいんだ』


踵を返そうとした岩波大臣は公園の小道を進んでくる人物を目にしてグッと喉を鳴らした。


『もうお帰りですか?岩波さん』

『武田財務大臣……。そうか、すべてあなたの差し金ですか』

『誤解してもらっては困るね。あなたを陥れるためじゃない。この国の未来のためだ。貴嶋に支配される国などあってはならない』


 武田健造財務大臣が警察庁の阿部警視と公安の栗山警部補を引き連れて鐘の前に到着した。岩波と笹本の周りを早河、武田大臣、阿部、栗山が取り囲む。

栗山の部下の公安の刑事達も園内で待機していた。


六人の男達の足元で枯れ葉が風に舞う。


『笹本警視総監、岩波法務大臣。犯罪組織カオス並びに貴嶋佑聖との関わりについてお聞きしたいことがあります。警察庁までご同行願えますか?』

『私は何も知らないっ!』


笹本は阿部を睨み付け、岩波は青ざめた顔を横に振るばかり。


『詳しい話は後で伺います。身分のある方がこのような場で騒ぎを起こせばマスコミが嗅ぎ付けますよ?』


 有無を言わさぬ阿部の威圧感を受けて笹本と岩波は抵抗の言葉を呑み込む。舌打ちした笹本は阿部の後方に控える早河を見据えた。


『こんな姑息な手段で私を追い詰めても裁判でいくらでも覆せる。所詮しょせん、証拠はないのだからね』

『ではこれをお聞きになりますか?』


 早河はポケットから出したICレコーダーの再生ボタンを押した。ノイズがしばらく続いた後に男の話し声が流れる。


{――やぁ、これは西山相談役。お久しぶりですなぁ}


レコーダーから真っ先に聴こえてきたのは紛れもなく笹本の声だった。それを聞いた笹本が目を見開いて狼狽する。


{――昨日は歌舞伎町でやらかしたようですね}

{――真壁の組長の死に様は呆気ないものだ。これでうちは関東イチの勢力。カオスと組めばいずれ我々が日本を牛耳る日も近い……}


早河がレコーダーの停止ボタンを押し、再生は止まった。無言の空気がその場に残る。


『総監と話をしていた相手は和田組の西山相談役。昨夜、あなたは同期の大阪府警本部長と銀座で飲み歩いていたようですね。あなたと府警本部長の会食の席に貴嶋のビジネスパートナーである西山相談役が合流していた。この録音の他に証拠写真もありますよ。ご覧になりますか?』


 笹本の目の前に掲げた写真には銀座の高級クラブで豪遊する笹本と大阪府警本部長の安西、二人の間には白髪の男がいる。この白髪の男が西山相談役だ。


『警視庁トップのあなたがヤクザの元組長と同じ席で酒を酌み交わしていた。これだけでも充分、警察庁に出向く理由にはなりますよ。この件は阿部警視から警察庁長官に伝わっています』


栗山の部下の公安刑事達が昨夜の笹本を尾行して入手した証拠を突きつけられて笹本は項垂れる。公安刑事に掴まれた腕を笹本は冷たく払いのけた。


『早河……。お前のそのヒーロー気取りで目障りなところは父親そっくりだ。親子共々憎たらしい』


 堕落して追い詰められた警察組織のトップが早河を嘲笑っている。


2年前に射殺された元警視総監の門倉は早河の父親、早河武志の元上司だったが、笹本も武志が捜査一課にいた頃に捜査本部の責任者として指揮をとっていた時期がある。

笹本と門倉にしてみれば早河武志は命令系統に従わない扱いにくい部下だっただろう。


『正義感を振りかざして悪者退治をするのはいいが、それによって大切な物を奪われないようにしろよ?』

『……どういう意味ですか?』

『お前の母親はお前の父親のくだらない正義感の巻き添えを喰らって命を落とした。お前も父親と同じ過ちを犯さないことだな』


捨て台詞を吐いて笹本は早河に背を向ける。腰を抜かして座り込んでいた岩波大臣と薄ら笑いを浮かべる笹本を公安の刑事達が日比谷公園から連れ出して行った。

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