第四章 Marionette

4-1

 フライパンの中で炒めた焼きそばの麺にソースが絡まり、食欲をそそる匂いが充満する。

渡辺亮が三人分の焼きそばの盛り付けを済ませたタイミングで玄関の呼び鈴が鳴った。家主の代わりに渡辺が玄関に出て幼なじみの加藤麻衣子を出迎える。


『ちょうど夕食できたとこ』

「ご飯の足しにスーパーで唐揚げとエビフライ買ってきたよ」

『お、でかした』


玄関で靴を脱ぐ麻衣子は室内に漂うソースの香りに鼻を動かした。


「この匂いはお好み焼き? 焼きそば?」

『焼きそば。渡辺家の自慢料理』

「渡辺家って言うよりは亮の自慢料理でしょ。……隼人は?」

『まぁ、ずっとあんな調子』


 渡辺が顎で差した先にはソファーに座って煙草を吸う木村隼人の姿があった。ここは大田区の隼人の自宅だ。

隼人の様子はいつもと同じようで何かが違った。心ここにあらずのような、ぼうっとして焦点の定まらない目をしている。


『隼人のあの様子、爆破事件と美月ちゃんが行方不明になっていることだけが原因じゃない気がするんだよな。他に何があったか聞いても何も話してくれなくてさ』

「そっか。……隼人」

『……おう。麻衣子か』


 麻衣子の来訪にたった今気付いたらしい隼人は煙草を咥えて彼女を一瞥した。渡辺と麻衣子は目を合わせて肩を竦める。


『とりあえず夕飯にしようぜ。隼人も煙草ばっか吸ってねぇでちゃんと食べろ。渡辺亮特製焼きそばだ。あと麻衣子が唐揚げとエビフライ買ってきてくれたから』

『ああ。サンキュ』


 焼きそばの皿とインスタントの味噌汁、麻衣子が買ってきた鶏の唐揚げとエビフライのパックがテーブルに並ぶ。

ここにビールでもあれば乾杯といきたいが、三人とも今夜は酒盛りをする気分にはなれない。


『麻衣子。電話で言ってた事……お前の同僚がカオスのキングだったって話、詳しく聞かせてくれ』


隼人が口火を切った。麻衣子は味噌汁のお椀をテーブルに置いて箸も一度置いた。


「詳しくって言われても……。さっきの電話で話した通りだよ。今年からうちのカウンセリングチームに入った神明先生って人がカオスのキングだったの」

『まじに恐ろしい話だな。麻衣子はそいつと親しくしてたのか?』


ずるずると麺をすする渡辺が咀嚼した後に尋ねる。麻衣子は首を左右に振った。


「同僚としての付き合いで食事を一緒にしたことはある。でもそれ以上の付き合いはなかった。なんとなく仕事以外では関わりたくなくて。苦手な人だった」

『あー……良かった。もしそんな奴と麻衣子が個人的に何かあったらと思うとぞっとする』

「私もそう思う。今考えると知らず知らずのうちに神明先生に危機感や不信感を抱いていたのかも。知らない間に犯罪組織のキングと接していたのかと思うと怖くなった」


口火を切った張本人の隼人は麻衣子と渡辺の会話を聞くだけで何も言わない。


「隼人。私が話せるのはこれだけだよ」

『わかった。ありがとな』

『人に話させるだけじゃなくて今度はお前も話せよ。何かあったんだろ?』


 礼を言うだけで終わらせようとした隼人に渡辺が詰め寄る。隼人は無言で唐揚げを口に運んだ。


『……悪い。今は話せない』

『じゃあ、いつなら話してくれるんだ? 言いたくねぇなら無理強いはしたくない。でも今回はそうも言ってられないんだよ。お前の会社が爆破されて美月ちゃんが居なくなってる。お前と美月ちゃんが狙われたって考えるのが妥当だろ? 俺達はお前が心配なんだよ』


口を閉ざす隼人とまくしたてる渡辺。両者の睨み合いの狭間で麻衣子は不安げに二人を見つめた。

幼なじみとしての20年の付き合いの歴史には多少の喧嘩や関係の亀裂はこれまでに何度もあった。だが今日ほど隼人と渡辺の間に尖った空気が流れたことはなかったと麻衣子は思う。

渡辺も隼人を心配するが故なのだ。


 隼人が小さく溜息をつき、背もたれ代わりにしていたソファーの座面に片肘を乗せた。


『亮。もしもお前の知っている奴がカオスの人間だったら、お前はどうする?』

『いきなり何だよ』


隼人の質問の意図がわからない渡辺は狼狽する。


『考えてみると俺達の周りはカオスの人間で溢れてるな。最初が佐藤、次に青木。里奈は青木に抱き込まれただけだけど。麻衣子の職場に潜り込んでいたキング、あとは……クイーンの寺沢莉央』


莉央の名前が出て麻衣子の顔が強張った。隼人は麻衣子を見つめてから渡辺に視線を戻す。渡辺は眉間にシワを寄せて唸った。


『お前や麻衣子の周りには、な。俺にしてみれば佐藤と青木以外はカオスの人間と言われてもピンと来ないね。青木だって俺は大学の後輩だったあいつしか知らない』

『そうだな。青木に関しては俺も同じだ』

『で? なんで急にそんなこと言い出す? 知らないうちに犯罪者集団に囲まれていたことネタにして自叙伝でも書くつもり?』

『それもいいかもな』

『アホ。思ってもないこと言ってはぐらかすなよ。まじにどうしたんだ?』


 ポーカーフェイスは健在でも普段と具合の違う隼人の態度には付き合いの長い渡辺も麻衣子も戸惑いを隠せない。そんな二人の内心を察していても隼人は知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。

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