3-10

 赤坂ロイヤルホテル三十階、3003号室。


 ソファーに寝そべっていた浅丘美月は目を開けた。枕代わりにしたふかふかのクッションに顔が半分沈んでいる。

少し横になるだけのつもりがいつの間にか眠っていた。目元のマスカラに注意して目を擦り、身体を起こした。


(今、何時?)


金色の縁の周りに花の装飾が施された掛け時計の針が間もなく午後6時を示す。


 貴嶋にこの部屋に連れて来られてからは部屋に置いてある映画のDVDを観て時間をやり過ごした。好きな邦画のシリーズ物だったので退屈しのぎにはちょうどよかった。

映画を観終えた後に眠気に襲われてソファーに横になった。現在時刻を考えると1時間半は眠っていた計算になる。


携帯電話は貴嶋に奪われ、パソコンも本もない。あるのはテレビのみ。とても暇だ。

予想通りと言うのか、この部屋にはホテルの部屋に当然設置されている電話機が置かれていない。携帯を取り上げたくらいだ。美月が外部と連絡を取れないよう部屋の電話も前もって外したのだろう。


 テレビをつけて画面をDVD画面から民放局のチャンネルに切り替える。どこのテレビ局も今はニュースの時間帯だ。

昼に爆破された明鏡大学のニュースが観たかった。被害の規模や負傷者の情報が知りたかった。


{一ノ瀬蓮さんと本庄玲夏さんの噂は以前にもありましたよね}


ニュースはエンタメのコーナーのようで、今は俳優の一ノ瀬蓮と女優の本庄玲夏の熱愛が発覚したと報じている。エンタメ担当のまだ女子大生の雰囲気の残るアナウンサーが、一ノ瀬蓮が近々記者会見を行うと所属事務所から発表があったことを伝えた。


(あの二人、付き合ってるの? それに沢木乃愛が脱獄って……?)


 ソファーの上で体育座りをしてふかふかのクッションを抱えた。テレビでは一ノ瀬蓮と本庄玲夏の関連ニュースとして元女優の沢木乃愛と元教師の受刑者が脱獄したニュースが流れる。


脱獄犯の元教師、佐伯洋介は渋谷区の聖蘭学園でナイフを振り回して暴れ、居合わせた生徒と教師、マスコミを含めた二十名以上が負傷した。

沢木乃愛は一ノ瀬蓮と本庄玲夏のロケ現場に現れ、人質をとって一時は玲夏に刃物を向けたが警察の威嚇射撃に気をとられた隙に確保されたと報じられた。


手元に携帯電話もパソコンもなく、ここに閉じ込められてからは外部との通信を遮断されていた美月には知らない出来事の連発だった。


(渋谷にパトカーが多かったのって聖蘭学園の事件のせい? 渋谷と汐留……今日は事件が多い)


 今日起きた事件、事故の総まとめのコーナーとなり、ニュースの項目が一覧表で画面に表示される。先ほど報じられた受刑者の脱獄や元衆議院議員の竹本邦夫氏の射殺事件の項目の上に〈大手食品企業 JSホールディングスと明鏡大学で爆破騒ぎ〉の項目を見つけた。


「JSホールディングスって……隼人がいる会社?」


ソファーを降りた美月はローテーブルに身を乗り出してニュース画面に食い入る。アナウンサーが読み上げる言葉を一言一句聞き逃すまいと耳に意識を集中させた。


 今日午前10時50分頃、港区の大手食品会社JSホールディングス本社六階と十二階から破裂音がして煙が上がり、全社員が避難した。

その数分前にJSホールディングスの一部の部署がハッキング被害に遭ったとも伝えられた。負傷者は煙を吸って呼吸困難になった者や階段から転げ落ちて骨折した者など、爆破の影響で十三名が負傷したが死者は出ていない。


死者が出ていないことに安堵するも、隼人の会社と自分の通う大学がほぼ同時に爆破被害に遭ったことが気になった。

明鏡大学爆破のニュースも流れ、こちらも負傷者数名で死者はいない。


(やっぱり全部キングが仕組んだの? 隼人の会社の爆発もキングが? キングに話を聞かなくちゃ)


 居ても立ってもいられなくなり、広い部屋を横切って扉の鍵に手をかけた。


「……え? なんで……」


 鍵のロックは外れている。あとは扉を開けるだけなのに一向に扉は開かない。押しても引いても扉は微動だにしない。

ドアノブの回るガチャガチャとした金属音が虚しく聞こえた。


「はぁ?」


不動の扉を前にして思わずすっとんきょうな声が出てしまうほど、美月にとってあまりにも予想外の事態だった。


「閉じ込められた……?」


 正真正銘、ホテルの部屋に閉じ込められてしまった。鍵を開けても動かない扉、電話機のない部屋、奪われた携帯電話。


「これって……クローズドサークルじゃないっ! 閉じ込めるのは小説だけにしてよ!」


推理小説用語を口にして扉の前にへたりこむ。クローズドサークルを扱った推理小説は好きだが、実際に外部との連絡手段がない状況で閉じ込められたくはない。


 貴嶋を甘く見ていた。まんまと彼の手中に囚われた。

比奈や大学の人間を人質に取られた中で迫られた選択。あの時はそうするしか手段がなかったとしてもやはり貴嶋から逃げるべきだった。


 ピピッと何かの操作音が聞こえて美月は顔を上げた。信じられないことに押しても引いても叩いても動かなかった扉が静かに開き始めた。


「なんで……」


開かれた扉から現れたのは貴嶋ではなく三浦英司。


「三浦先生どうして……」

『そろそろ夕食の時間だ』

「……は?」


驚く美月に構わず三浦は部屋に入ってくる。美月は慌てて彼の後を追った。


「あの! どうやって入ってきたんですか? 私が鍵を開けても開かなかったのに」

『この部屋は中からは開けられない。そういう設定にしてある』


 リビングルームの大きなソファーに三浦が腰を降ろした。美月はソファーの側に立って三浦をねめつける。


「中からはって……私が逃げないように? じゃあ外からは鍵が開けられるの?」

『そういうことだ』

「私は外に出られないのにそっちは自由に入りたい放題なんですね! プライバシーの侵害じゃない。酷いっ! 最低っ……!」

『なんとでも言え。すべてキングの指示だ』


澄まし顔の三浦の態度に余計に腹が立つ。


「先生が大学の講師に来たのも私を監視するためでしょ? そうやってツンツン澄ましながら私を見張っていたんだ」


三浦と距離を置いてソファーの端に座り、美月はクッションを抱き抱えて彼に背を向けた。


 三浦に変装している佐藤瞬は拗ねている美月の扱いに困り果てる。無邪気で素直な美月しか知らない佐藤には機嫌が悪い美月とどう接すればいいかわからなかった。

貴嶋はこうなることを想定して佐藤に美月を任せるから質が悪い。


『夕食はルームサービスをとってある。もうすぐここに運ばれてくる』

「そうですか」

『俺もここで食事をとらせてもらう』

「それもキングの命令?」

『ああ』


 静かな室内で交わされる続かない会話。相手が三浦英司だから美月は受け入れてくれない。今ここにいる男が佐藤瞬だと知れば美月はもっと笑ってくれるのか?


正体を明かせないもどかしさとすぐ側にいるのに触れられない歯がゆさが佐藤を苦しめる。

美月の悲しい顔は見たくない。どうすれば彼女を笑顔にできる?


『外に出たいか?』

「どうせ出してくれないでしょ」

『俺の側を離れないこと、それと逃げ出さないと約束できるなら夕食の後に少しだけ外に連れ出してやってもいいが』

「……本当?」


 ふて腐れていた美月が横目で三浦を見る。三浦と美月の視線が交わり、二人の鼓動は同時に跳ね上がった。


三浦である佐藤は美月の愛らしさに、美月は彼の微笑にそれぞれ心臓の動きを速くしている。

美月は赤らんだ顔をクッションで隠した。


『着替えや洗面用具は揃っているが他に欲しい物があれば買いに行こう』

「私をここから出すなってキングに言われているんじゃないの?」

『そう。だから逃げ出さないと約束できるなら連れ出してやる』


答えに迷う美月はすぐには返答できなかった。ここを出れば隙を見て逃げ出すこともできる。美月が逃げ出さない保証はない。


 呼び鈴が鳴り、ホテルマンがルームサービスを運んできた。三浦がいる前では鍵が内側からでは開けられないことや電話機がないことをホテルマンに伝えられない。


 料理の皿を並べ終えてホテルマンが去ると再び部屋に美月と三浦の二人きりとなった。

隣の部屋はベッドルームだ。襲われる心配をするのは自意識過剰だとしても恋人でもない男とホテルの部屋に二人きりというのは緊張する。


『冷めないうちに食べよう』


 丸いダイニングテーブルの席について三浦と向かい合う。前に友人の絵理奈が三浦に質問攻めをした際、三浦は恋人はいないと言っていた。

でも恋人はいなくても37歳の男はハタチの女子大生には見向きもしない。そう思うと気楽なようで何故か寂しく感じた。


ルームサービスで登場したのはデミグラスソースのハンバーグだ。いただきますと小声で囁いて美月はハンバーグにナイフとフォークを差し入れた。


「さっきの外に出してくれるって話……」


 三浦の真意は謎に包まれている。冷たくなったり優しくなったり、無関心なフリして気遣ったり、変な男だ。


味方なのか敵なのかもわからない。貴嶋の側近ならやはり敵なのかもしれない。

それでもこの男の言葉の裏に隠された優しさに気付いてしまった。彼と一緒にいたくないのにもっと一緒にいたいと願っているもうひとりの自分に気付いてしまった。


「本を買いに行きたい……です」

『わかった。俺の側を離れないこと、逃げ出さないこと、この約束守れるか?』


デミグラスソースのたっぷりついたハンバーグを頬張って美月は頷いた。


 自分は美月にはとことん甘いなと呆れつつ、佐藤は三浦英司として美月と過ごすひとときに安らぎを感じていた。

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