3-2

 美月達を乗せた車は青山通りを赤坂方面に進み、赤坂御用地の前を通ってやがて高層の建物の側で停車した。

ロータリーの目の前には煌びやかな装飾が施された扉と恭しく頭を下げるホテルマンの姿がある。


「ここって……」

『一度来たことがあるから覚えているかな。食事はここのレストランにしよう』


ホテルマンが後部座席の扉を開ける。先に降りた貴嶋に手を差し伸べられ、美月は戸惑いがちに彼の手を取って車を降りた。

美月の荷物を持った三浦も反対側の扉から降りている。


 美月は高層の建物を見上げた。重厚な石造りの壁にAKASAKA ROYAL HOTELと彫られたこの場所には2年前の夏にも貴嶋と共に訪れている。

あの時は貴嶋の正体はどこかの社長か資産家だと思っていた美月は貴嶋への猜疑心さいぎしんなどなかった。だが今は違う。

彼は犯罪組織のキング。法によって裁かれる立場の人間だ。


『どうした? 行かないのかな?』


車を降りても足を進めない美月の疑いの眼差しを受けても貴嶋は素知らぬ顔で微笑んでいる。

今は貴嶋に逆らってはいけない。逆らえば何をされるかわからない。


 彼女は肩を落として貴嶋に続いてロビーに入った。ロビーの中央には大きなクリスマスツリーが飾られていて、ツリーの周りに巡らされた電飾がチカチカと眩しく光っていた。


 美月と貴嶋と三浦、三人が乗り込んだエレベーターが三十五階で停まった。美月は貴嶋に促されてエレベーターを降りる。

三浦だけが中に留まり、エレベーターの扉が静かに閉められた。


「三浦先生はどこに行くの?」

『彼には他の仕事を頼んでいる。三浦先生に会いたければいつでも呼んであげるよ?』

「……別に……いい」


美月は閉ざされたエレベーターに背を向けた。三浦の何を考えているかわからないあの独特な視線から解放されたことへの安堵と貴嶋と二人だけになってしまったことから生まれた危機感が同時に訪れる。


 真紅の絨毯が敷かれた通路の先にはホテルのレストランがあった。ウェイターが扉を開けて二人の到着を待っている。


正午前のレストランの席は半分程度埋まっている。洒落た服装の婦人達が賑やかにテーブルを囲んでいた。

美月と貴嶋が案内されたのはレストラン奥の個室。三十五階の全面ガラス張りの窓からは赤坂御用地やその向こうにそびえるビル群が一望できる。


 正方形のテーブルには椅子が二脚用意され、カトラリーもセッティング済みだ。

ウェイターが椅子を引いて美月を迎える。美月はウェイターに会釈して椅子に腰掛けた。

貴嶋は挨拶に訪れたシェフと話をしている。


シェフもウェイターも、出迎えに出たホテルマンも、このホテルの人間は皆が一様に貴嶋に対して丁重にもてなしている。

接客業としては当然の姿勢だと思えても程度が異常だ。


貴嶋は2年前の夏も雨に濡れた美月のためだけにこのホテルのスイートルームを数時間借りていた。レストランの個室にしても貴嶋だけが他の客よりも特別待遇を受けているように感じた。


『さっきから私の顔ばかり見ているね。私の顔に何かついてるかい?』

「このホテルの人達はキングの正体知ってるの?」

『正体……ああ、私の仕事を知っているのかってこと?』

「うん。だって、ホテルの人達みんなキングに挨拶に来るでしょ。そういうのって偉い人の扱いって言うか、VIPって言うか……」


 ガラス張りの窓のおかげで個室に閉じ込められている感覚は多少は軽減されているものの、この男との二人だけの状況は落ち着かない。


『美月の言いたいことはわかったよ。このホテルの人間は犯罪者を特別扱いしているのかってことだろう?』

「……まぁ」


そうハッキリ言われると身も蓋もない。


『私の素性をここの人間がどこまで知っているかは私も知らない。私のことはお得意様、出資者、そんなような認識だろうね』

「キングが悪いことしてるって知らないのね」

『美月の方がよく知っているかもね?』


 わざとらしくおどけて眉を上げる貴嶋を睨み付けた。すべてがこの男の思惑通り。貴嶋の手のひらの上で踊らされているようで腹が立つ。


 前菜が運ばれてきた。白い皿の上には色鮮やかな野菜や生ハムが芸術的に配置されている。あまり空腹は感じないが美月は野菜と生ハムの前菜を口に運んだ。


「キングのことだって私はよく知らない」

『少なくとも、この皿を運んできたウェイターや出迎えに出たフロントの人間よりは私が何者であるかを知っているよ』

「犯罪組織のキングだもんね」

『その犯罪組織のキングと向かい合って食事をしている女子大生が君だ』


(好きで向かい合って食事してるわけじゃないっ! そっちが脅して無理やり連れて来たんでしょ!)


 心の叫びを水を飲んで押し込めた。スープやパン、メインのパスタが運ばれてもこんなに腹が立つ状況では高級な料理を味わう余裕もない。


スマートな手つきで食事を進める貴嶋とは対照的に作法は守りながらもやけ食いの勢いで美月は運ばれて来る料理を食した。美味しいと思ってもそれを貴嶋の前で素直に表すことも癪に障る。

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