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 港区に建つ汐留シティセンター前ではドラマの撮影が行われている。

ドラマやCM撮影にたびたび使用されるこの場所でのロケは特に珍しい光景でもなく、汐留シティセンター内のオフィスに勤務するサラリーマンやOLは撮影風景を少しだけ眺めた後にその場を去っていく。


しかし中には撮影風景の物珍しさに足を止めて見物していく観光客や通行人もいた。

海外から訪れた観光客、キャップにジーンズ姿の女性や缶コーヒーを片手に見物する男性は通行人だろうか。様々な理由でここを訪れた人達によって撮影現場付近には人だかりができていた。


『一輝。こっちこっち』


 ロケバスで待機していた一ノ瀬蓮がバスの乗車口から手招きする。矢野は素早くバスに乗り込んだ。車内には蓮と蓮のマネージャーだけが乗っている。


『社長に聞いた。乃愛がここに来るかもって?』

『彼女が玲夏ちゃんのスケジュールを入手しているのなら来る確率は高いです。玲夏ちゃんは撮影中ですか?』

『玲夏は黒崎とのシーンの撮影。社長が監督やスタッフには知らせたから警戒はしてると思うけど……なぎさちゃんは? 一緒じゃなかったのか?』


吉岡社長からはなぎさもこちらに来ると聞いていた蓮はなぎさの姿がないことを不思議に思った。


『なぎさちゃんは玲夏ちゃんのマネージャーの山本さんと合流して先に現場に行ってます。俺もそっちに行かないと……』

『俺も行く。そろそろ出番なんだ。俺と玲夏が同じ場所にいた方が一輝達の動きが楽だろ?』

『その分だけ蓮さんの危険も増しますよ』

『構わねぇよ。俺だけ安全圏にいて玲夏を危険な目に遭わせることはできない』


衣装のジャケットを羽織った蓮は瞬時に俳優の一ノ瀬蓮の顔に切り替わる。彼のこの切り替えの早さはいつ見ても見事だ。


『それに俺は一輝となぎさちゃんを信じてる。もちろん早河さんもな』

『それは信用に値する働きをしないといけませんね』


 ロケバスを降りて蓮のマネージャーと矢野、阿部警視が手配した護衛の警官が蓮を取り囲んで撮影現場に向かった。

現場ではまだ玲夏と黒崎が撮影中だ。遠巻きに撮影の様子を眺めていた矢野は蓮に小声で話しかけた。


『黒崎については調べていてひとつ気になる事がありました』

『なんだよ?』

『黒崎は高校時代に同級生が死んでいるんですよ。自殺で処理されていますがその同級生の死体の第一発見者が黒崎だったんです』


当の黒崎来人はこれから撮影するシーンのセリフの言い回しを監督と話し合っている。


『まさかそれを黒崎がやったとか?』

『いや……学校での首吊りでしたが死因に不明な点はなく、間違いなく自殺と判断されたようです。死亡推定時刻は午前7時頃……黒崎が発見した時間は死亡推定時刻の直後でした。発見した時にはまだ息があったのかもしれない』

『もし黒崎が発見した時にまだそいつが生きていたとしたら……ってこと?』


 矢野は頷いた。巨大なビルの隙間から見える狭くて窮屈そうな青空がビルの窓に反射している。空が二つ存在しているみたいに見えた。


『いつも遅刻寸前で登校してくる黒崎がその日に限って朝早くに登校していたことも気になります。当時も警察ではそこを追及されていましたけど、黒崎はたまたま朝早くに起きて登校したら教室で死体を見つけたと』

『はぁ……都合の良い話だな』

『確かに。でも死因は自殺で間違いないことから警察も黒崎を調べることができずに捜査は終了』


スタイリストが蓮の衣装チェックに来て二人の話はしばらく中断する。スタイリストが去った後、話が再開した。


『自殺した同級生は黒崎と親しかったのか?』

『友達だったようです。その同級生は劇団に所属していて舞台にも出演したりして、それなりに人気があったらしいです』

『俺もその頃には芸能界にいたから、もしかするとどこかで顔を合わせていたかも。名前は?』

三浦みうら英司えいじ。生きていれば黒崎と同じ33歳でしたね。もしも自殺していなければ、今頃は黒崎ではなく、三浦英司がこの場所にいて蓮さんと共演していた……なんだか、俺はそう思えてならないんですよ』


 矢野は周囲に視線を張り巡らせる。今のところ目立った怪しい動きはない。少し離れた場所にいるなぎさもマネージャーの沙織と共に撮影を見守っていた。


(乃愛が現れるとすればロケ現場かスタジオのあるテレビ局か……。テレビ局は警備が厳重だ。事務所や自宅の侵入も難しい。となると、街中でのロケが一番狙いやすい)


 玲夏と黒崎のシーンが終わると見物人から拍手が沸き起こった。

スタッフジャンパーを着た女が玲夏に近付く。その姿は乃愛ではないが、女がジャンパーのポケットから出した銀色に光るナイフを見て矢野は叫んだ。


『玲夏ちゃん! 逃げろっ……!』


矢野の声に振り向いた玲夏にナイフを持った女が突進する。なぎさが玲夏の腕を引き、その反動で二人は地面に倒れた。


 矢野が女を後ろから羽交い締めにして取り押さえる。もがく女の手からナイフを払い落とし、スタッフや刑事と協力してようやく矢野が女の動きを封じた刹那、見物人の群れから悲鳴が上がった。


見物人の群れが引いたそこには二人の人間が残っている。ひとりはスーツ姿の女性。

彼女は後ろから拘束されて首もとには細い刃先のナイフが当てられている。


もうひとりは眼鏡をかけて黒いキャップを被ったジーンズ姿の女。手に持つナイフを女性の首に当てたまま、女は反対の手でキャップと眼鏡を外して地面に捨てた。


キャップの中に押し込められていた長い黒髪が背中に流れる。カジュアルな装いの下から現れた素顔はかつて美少女コンテストでグランプリを獲得して芸能界デビューを果たした元女優の沢木乃愛。


『変装して見物人に紛れていたのか。俺としたことが見落とした』


玲夏に襲いかかってきたスタッフジャンパーの女を刑事に託した矢野は玲夏と、玲夏の側に駆け付けた蓮の前に立って盾になる。


「蓮さん、玲夏さん。お久しぶりです」


 顔の造形は以前と変わらず美しいが生気は乏しい。虚ろな瞳を細めて乃愛は微笑んだ。


陶器の人形が笑っているような薄気味悪さを感じてなぎさは玲夏の服の裾をぎゅっと掴んだ。それに気付いた玲夏がなぎさの手に触れて彼女の手を握り締める。


乃愛に得体の知れない不気味さを感じたのはなぎさだけではなく、玲夏も蓮も矢野も同じだった。

乃愛の変わり果てた姿に玲夏も蓮も動揺を隠せない。


『乃愛……すっかり様子が変わっちまった』

「もう私達の知るあの子じゃないのかもしれない。……乃愛! その人を離しなさい」


玲夏が乃愛に向けて叫ぶ。乃愛はきょとんとした顔で玲夏を見つめた。


「じゃあ玲夏さんがこの人の代わりになってくれますか?」


 やはり乃愛の狙いは玲夏だ。矢野は前のめりになる玲夏を腕で制して乃愛の背後を見る。

阿部警視が手配した警官隊が乃愛を取り囲んで拳銃で威嚇している。乃愛は威嚇されても人質を離さずに平然としていた。


人質の女性の身体は震えている。押し当てられたナイフの刃先が触れた首もとは皮膚が少し切られていて血が滲んでいた。


「わかった。私が代わりになるから!」

『馬鹿! 何言ってるんだ。お前にそんなことさせねぇよ!』


代わりに人質になろうとする玲夏を蓮が怒鳴り付ける。蓮は玲夏の腕を強く引いて抱き寄せた。


「だってこのままじゃ乃愛は……」

『対策もなしにお前を人質には行かせられない。そうだろ? 一輝』

『そうですね。乃愛の標的は玲夏ちゃんです。そうそう思い通りにはさせない。……阿部警視、乃愛から人質を引き離せれば発砲は可能ですか?』


 矢野は阿部と通話の繋がる携帯を耳に当てた。


{そちらの映像は確認したが周囲に人が多すぎる。発砲はあくまでも威嚇の為だ}

『では人質が乃愛から離れた一瞬の隙さえ作れば……』

{その一瞬の隙に確保する}


阿部警視との意志疎通はできた。矢野はまずなぎさを見て、それから玲夏と蓮を見る。


『玲夏ちゃん、蓮さん。俺に命預けてくれる気、ある?』


 普段は調子よくヘラヘラとしている矢野の、いざというときの頼もしさになぎさはいつも驚かされる。


『何か考えがあるんだな?』

『一か八かの賭けってところですね。ただ玲夏ちゃんと蓮さんには無茶をさせることになりますが』

「いいよ。どうせこのままじゃいられないなら、何もしないよりはマシ。一輝くんに命預けるよ」


玲夏は蓮と顔を見合わせる。蓮も苦笑いして頷いた。


『一輝、俺達はお前を信じてる。俺も命は預けた』

「だから一輝くんも約束して。私達を守る前に自分の身を守って。あなたに何かあったら私が真紀に怒られちゃう」


矢野の胸元を玲夏が拳で軽く押した。矢野は拳に込められた想いを受け取って笑う。


『俺も真紀を残しては死なないよ。この世に絶対なんてものはない。けど最善を尽くすことはできる』


 決意を固めた矢野はなぎさに耳打ちした。


『なぎさちゃんはここにいて』

「でも……」

『黒崎の姿がどこにもない。もし黒崎がカオスの人間なら、なぎさちゃんはここを動かない方がいい。こんな人目のある場所で黒崎が俺達に何か仕掛けるとも思えないからね。いいね?』


本当は危険な賭けに出ようとする矢野達をなぎさは止めたかった。もし早河がここに居ればどうしていた? きっと早河も矢野と同じ決断をしているはずだ。


「矢野さん、玲夏さん、一ノ瀬さん、気を付けて……」

『ありがと。なぎさちゃん、これが終わったらデートしよっか』

「こら! 蓮。どさくさに紛れてなぎさちゃんを口説かないのっ」


緊迫した状況でも蓮と玲夏の変わらないやりとりになぎさの不安も少しだけ溶けた。

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