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 阿部警視から佐伯洋介と沢木乃愛脱獄の連絡を受けた早河仁はデスクに静かに携帯を置いた。彼はリクライニングチェアーにもたれて事務所のテレビをつける。


三鷹市で起きた元衆議院議員、竹本邦夫射殺のニュースが流れる画面の上部にテロップで府中刑務所、東京拘置所から受刑者二名が脱獄したと速報が伝えられた。

報道番組のアナウンサーも次々と入る緊急のニュースに戸惑っている。


おそらく脱獄者の氏名と顔写真もこの後に速報で報じられるだろう。東京拘置所から脱獄した沢木乃愛に関しては元女優だけありマスコミや元ファンの騒ぎが大きくなる可能性もある。


『佐伯と乃愛の同時脱獄と三鷹の狙撃……ハードな展開になってきましたねぇ』


 矢野一輝は香道なぎさが淹れたコーヒーを飲みながら愛用のノートパソコンのキーを操作していた。


『三鷹の狙撃は狙いが竹本邦夫だったことが気になる。貴嶋の指示だとすれば今になって何故、3年前の事件の被害者遺族を狙ったのか……』


 ニュースでは竹本邦夫の射殺事件を三鷹市民センター前から中継で報じている。

画面には近隣の学校の校舎が映り込んでいた。警察官やパトカーが道に入り乱れる物々しい雰囲気の中で生徒がグラウンドで体育の授業をしている姿も見える。


学校、授業、テレビの撮影……中継を見ていた早河は立ち上がってコートを羽織った。


『矢野、なぎさ。出掛けるぞ。それと矢野は玲夏の事務所に連絡して玲夏と一ノ瀬蓮の今日の撮影スケジュールを聞き出してくれ。吉岡社長経由なら話が早い』

『そうかっ! 沢木乃愛の行き先は……』


 早河の指示に矢野となぎさも顔色を変えた。矢野はすぐに携帯を取り出してアドレス帳から吉岡社長の番号を探す。


『乃愛の狙いは玲夏と一ノ瀬蓮だ。たぶん乃愛の行き先は玲夏達の撮影現場。今週から玲夏と一ノ瀬蓮は同じドラマの撮影だったよな?』

「はい。それと黒崎来人も……」


なぎさは手帳を取り出して、先週の舞台後に聞いた玲夏と蓮の話をメモしたページを開いた。カオスの人間の疑いがある黒崎と同じドラマと言うことで念のため、今週から撮影に入るドラマの詳細も聞いていたのだ。


「ドラマの撮影は玲夏さんが火曜日にクランクイン、一ノ瀬さんも今日からクランクイン。二人とも今週は黒崎来人と同じ出番が続くようです」

『じゃあ今頃は三人同じ現場で撮影中かもしれないってことか』

『吉岡社長と連絡つきました。玲夏ちゃんも蓮さんも今は汐留でロケだそうです。電話、社長と繋がっています』


矢野の携帯が早河の手に渡る。


『電話代わりました、早河です』

{矢野くんから話は聞いたよ。拘置所から逃げ出した乃愛がこちらに来るかもしれないんだね?}


 玲夏と蓮の所属する芸能プロダクション、エスポワールの吉岡社長のよく通るテノールの声も今は困惑の響きを伴っていた。


『はい。乃愛が狙うとするなら玲夏です。一ノ瀬さんも危ない』

{わかった。現場の警備を徹底して警戒するように言っておく}

『お願いします。今から矢野と香道を撮影現場に向かわせます』

{君は来ないのか?}

『申し訳ありません。他に行かなければならない所があるので』

{君も大変だな。無茶はしないでくれよ}

『無茶なことをするのが俺の仕事ですよ。それでは……はい、失礼します』


早河は通話の切れた携帯を矢野に返す。三人はコートを羽織って事務所の螺旋階段を駆け降りた。


「撮影現場に行くのが私と矢野さんだけなら所長はどこに?」

『もうひとり狙われてる奴がいる。佐伯が狙う人間はひとりしかいない』


階段を降りながら早河は携帯のアドレス帳で目的の番号を探し当てた。携帯から流れるコール音に耳を澄ませる。


「まさか有紗ちゃん……」

『なぎさは矢野と一緒に玲夏のところに行け。俺は聖蘭学園に向かう』


 なぎさと矢野とアイコンタクトをとった後、早河はガレージにある車に乗り込んだ。携帯電話に接続したイヤホンからコール音が続いた後に繋がった先は聖蘭学園の松本理事長への直通電話。


『早河です。お久しぶりです』

{早河さん? どうなさったの?}


理事長の上品な声色は1年前と変わらない。なぎさを乗せた矢野の車と早河の車が同時に発進した。


『佐伯洋介が脱獄した件はご存知ですか?』

{はい。警察からもご連絡いただきましたよ。大変な騒ぎになっていますよね。そのせいで学校にマスコミが来ているんです。先ほどからそちらの対応に追われてしまって……}


 脱獄犯の元職場に早々に取材に訪れるマスコミもなかなか勘がいい。鼻が利くと言った方が適切かもしれない。


『理事長、落ち着いて聞いてください。佐伯が学校に現れるかもしれません。奴は有紗の命を狙っています』


理事長の声にならない悲鳴が聞こえた。


『有紗は登校していますか?』

{登校していると思います。でもそんな……え?}


 理事長の声の背後からけたたましいサイレンが鳴り響いた。それは緊急事態の発生を知らせる非常ベルの音だった。

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