第31話

「ちょっと! どこほっつき歩いてたのよ!」


「だからお兄ちゃんも、いい加減、携帯電話持ちなって!」


「なんだよ」


家に帰りつくなり、うるさい女共に囲まれた。


「導師が、車にひかれて倒れてたの!」


何を言われているのか、耳の理解を超える言葉の羅列。


世界が凍りつく。


俺はすぐに、身を翻した。


「どこに行くのよ!」


「あたしとお姉ちゃんとで、もう病院に連れてって、入院させてるから!」


振りむいたら、むっつりとふくれた二つの女の顔。


「外傷はないけど、内臓がどうなってるのか分からないから、今夜は病院で様子みるって」


「明日、お見舞いにいってあげて」


二人からそう言われて、なにも返さず二階へ上がった。


子供の頃から何も変わらない、小さな部屋。


小学生の時から使っている、机と簡易ベッド。


窓から見える景色は、道路脇のすぐ向かいの家の壁に阻まれていて、夜でも明るい空は、視界の三分の一程度。


この家の壁に囲まれて、目が覚めたら世界が変わっていたらいいのにと、何度願ったことか。


幾度となく裏切られても、そう願わずにはいられない。


どうにもならないって、いい加減あきらめらたいいのに。


今日はもう、このまま寝る。


朝になって、臨時休業の張り紙を店の前に出してから、動物病院へと向かった。


「いや~驚きましたよ! カリスマ経営者の荒間尚子と、超人気アイドルの荒間千里が姉妹だったなんて!」


先生は、連絡先が記載されたカルテを指差しながら、「この住所と電話番号であってます?」とか聞いてくる。


なにかあったら、連絡するために必要らしい。


「でも、そう言われてみると、顔とかそっくりですよね、ホントよく似てますよね、やっぱりお姉妹なんだなぁ~」


病院の奥から連れてこられた導師は、ゲージのなかでぐったりと横たわっていた。


「朝イチで検査したので、麻酔がまだ効いてるんです。もう少ししたら元気になりますから、お家につれて帰ってもらって大丈夫ですよ」


命に関わるような怪我はないから、おうちでゆっくり様子をみたのでいいと言われた。


お金は尚子が払ってくれていたらしく、預かり金があるからいらないと言われた。


ぐったりとした導師を抱いて、俺は家に戻る。


空は秋晴れの気持ちのいい空で、土手の上を歩いているうちに、導師はもぞもぞと動き出した。


目は閉じているから、まだ疲れているのだろう。


「ねぇ導師。空がきれいだよ」


むぅ、という小さな鳴き声がして、導師は寝返りをうった。


麻酔はもう、切れたみたいだ。


家にたどり着いて、俺は居間での導師の定位置に、座布団を敷いて寝かせた。


「ニャー」


「どうしたの、導師?」


座布団の上で、ゆっくりとのびをして顔を上げる導師。


導師はこちらを見上げるばかりで、なにも言わない。


後ろあしで、あごの下を掻いた。


「導師、体はどう?」


導師は、目を細めて鼻をひくひくさせる。


「ねぇ、導師ってば」


耳の後ろに手を伸ばした俺に、導師が答えた。


「ニャア」


「ねぇ、なにそれ、ニャアだけじゃ分かんないよ」


導師を膝に抱き上げる。


導師はゆっくりと目を閉じて、また開けた。


「病院はどうだった? なんで車になんか、ひかれたんだよ」


導師は黙ったまま、気持ちよさそうに目を閉じる。


「ねぇ、今日はなに食べたい? 今日だけは、特別に導師の好きなもの作ってあげる」


導師は俺の膝から下りると、首の下を掻いた。


あくびをして、その場にうずくまる。


「ねぇ、導師、なにかしゃべってよ」


「ニャー」


俺は、伸ばした腕ごと、全身が固まった。


「え、なにそれ、ちょっと待ってよ」


もしかして、導師の声が聞こえなくなってる? 


どうしよう、なんで? なにがあった?

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