第135話 Bertina's perspective 7:人の先へ至る者



「なぁ、ベル」

「なんですか……少佐」



 いつもの部屋で、コーヒーを飲みながら私にそう尋ねてくる少佐。ちなみに今は部屋の掃除をしている。この人は放っておくと、すぐに部屋を散らかす。ここは他の軍人も来るので、本当にしっかりして欲しいところだ。コーヒーも私が入れたものだし、この人は本当に剣以外は頭にないのかもしれない。


 そうして掃除中だというのに、少佐は真剣な表情かおで何かを語り出す。



「俺はまだ停滞している気がするんだ」

「停滞……ですか?」

「あぁ。今や人類最強の剣士とか言われてはいるが……それでも俺はまだ自分が途上だと思っている」

「少佐が途上だなんて……そんな」



 そんな馬鹿なことがあるのか。そう言いたかった。この人の技量はすでに人間の域にはない。私は強くなったいまだからこそ、よくわかる。この人の剣戟がどれだけ異常なのかを。



「これは嫌味でも自慢でもない。ただ俺はまだ先に行ける。この朧月夜にそう促されている気がするんだ」

「魔剣に……意志が……あるんですか?」

「常識的に考えればないだろう。だが魔剣とはロストテクノロジーであり、常識外れの代物だ。何があっても不思議じゃないが……俺のここがおかしくなったのかもしれねぇな」



 トントン、と頭を叩きながらニヤッと笑う少佐。この人は何かと私を笑わせようとしてくるのだが、決して私はそれが嫌いじゃなかった。



「少佐のそこはもともと……おかしい……」

「はは、言うじゃねぇか」



 少佐は急にフッとどこか遠くを見ているような、虚空を見つめているような目をする。それはきっと、過去に想いを馳せているのだと思う。彼が愛した家族、それに少佐の師匠もまた彼の目の前で死んでいったと言う話も噂で聞いている。それだけの死を背負って、少佐はどこにたどり着くのか。



 今の場所からさらに高みにたどり着こうだなんて、一体どんな思考をしていれば……そんな、そんな風に考えられるのだろう。



「ベル」

「はい」

「俺の師匠も自分の壁を打ち破ろうと必死だった。俺もその当時はお前のように考えていたさ。こんなにも強い人が、まだ先に行こうと思っているのかと。唖然としたさ。そして自分はまだまだなんだと知った。もしかすると、俺は死ぬまでにその場所にはたどり着けないのかもしれない。俺の師匠がそうだったように。だが俺は、お前のことは高く評価している。その才能はおそらく、人類の中でも最高峰だ」

「そんな……わけ……」

「いや、その若さでその技量だ。俺がそこに辿り着いたのは、おそらく20代後半。でもお前は10代でその域だ。期待しているぞ、ベル」

「……そうですか」




 その時はその言葉の意味など、全く意に介していなかった。





 ◇





 ――少佐、私は……私はたどり着きました。あなたが、いや……人類が到達できなかった領域に、私は……。




「……もう、私を止めることは……誰にもできない」

「テメェ……まさか、それは……」



 相手の刀を弾き飛ばすと、私はそのまま一閃。それは紫電一閃でもない。ただの変哲もない、横振りだ。だが相手の魔人は反応が遅れたのか、腹に一文字の傷ができる。流れ出る血の量を見るに、致命傷ではない。だがその傷がついた意味を互いに分かっていた。



 今の一閃は、今まで私が使っていた秘剣である紫電一閃を上回っている。普通の秘剣ならば、こいつは同じ秘剣をぶつけてきて相殺してきたからだ。それも後出しによって。その事実が表すのは、この魔人は私の攻撃を見てから反応できると言うこと。つまるところ、実質的な技量で言えば私の方がわずかに劣っている。



 しかしもう私は今までの私ではない。この身体に黄昏症候群トワイライトシンドロームの刻印はすでにない。もうこの身がその黄昏に焦がされることはない。完全に私は辿り着いたのだ。少佐が言っていた、人の先の領域に。



 身体が軽いなんてものではない。すでに私はこの世界のあらゆるものを超越した感覚になっていた。不思議だ。不思議な感覚だ。今はもう、全く恐怖心もない。ただただ、フラットな感情。先ほどまであった苛立ち、焦燥感、怒りは次第に収まっていく。これが至る者の感覚とでも言うのだろうか。




「お前……人間じゃなくなったな? 聖人か? いやこれは……」

「そんなことは……どうだっていい。お前を殺すのに……その定義は不要……」



 朧月夜を構える。それは完全に真の姿を解放していた。刀身が黒く、刃の部分だけが赤い。それが今までの朧月夜だった。でも今は違う。この刀身は全てが灼けるような朱色をしていた。まるでそれは、私の黄昏症候群トワイライトシンドロームを全て吸収し、そして力に変えているような。



 朧月夜を握り締めると、この身体に魔素が溢れている気がした。いやそれは錯覚ではない。間違いなく、この身体には今までの容量キャパを超えた魔素が宿っている。そうして私はこいつを殺す意志を刀に込めて、秘剣の発動を試みる。



「――第五秘剣、空蝉うつせみ



 それは私が持ちうる秘剣の中でも、最も技巧に溢れ、制御が難しいものの一つ。でも今の私ならば、この秘剣を完璧に扱うことができる。



 朧月夜を横向きに構えると、私は歩みを進める。スーッと歩いていき、相手の意識の底に沈むようにそのまま悠然と、悠然と歩いてゆく。




「……くそったれがああああああああああああッ!!」




 相手の魔人もこの技を知っている。そのためどのような挙動をすればいいのか、分かっているはずだ。はずなのだが、それはもう彼の知っている秘剣ではない。相手が切り裂いたのは幻影。残っているのは、ただの魔素の塊。



 第五秘剣、空蝉うつせみ。それはありもしない幻影をこの世界に定着させるもの。それはこの世界に確かに残っているのだ。魔素形態、固有領域パーソナルフィールド。相手の認識するために必要なそれらが、確かにこの世界に残り、そして惑わす。これは剣技そのものではなく、この移動する過程も含めて秘剣扱いである特殊な秘剣だ。私はこれを最も苦手としていたが、今の……覚醒した私ならば扱うことができていた。



 視えている。確かに相手は私の姿を知覚しているのに、知覚できていない。目の前にいるのに、私の動く姿を見れば見るほどその術中に嵌ってしまう。それにこれは黄昏眼トワイライトサイトを持っていたとしても、その存在に惑わされてしまう。



 視えている。けれど、視えていない。



 その矛盾を生み出すのが、この空蝉だ。



 そうして私はそのまま間合いに入ると、首を切断するようにしてこの刀を振るった。





「……う、ぐうう……うう、うう……くそ、が……まさか、これほど、とは……」



 ボタ、ボタボタボタ、と地面に血が滴る。これは間違いなく致命傷だった。空蝉を発動している間は他の秘剣を使うことはできないが、それでもよかった。だがさすがに魔人。首を弾き飛ばすつもりだったが、それは避けられてしまい袈裟を裂くような形になってしまった。


 でもそれは致命傷に変わりはない。相手は私を視線から外すことはないが、ジリジリと距離を取ろうと後方に下がっていく。



 分かっているのだ。私の領域に入ってしまえば、自分が負けるのは確実だと。



「……逃さない」



 もちろんすぐに距離を詰める。取れる。今度こそその首を、弾き飛ばす。



「……やらせねぇよおおおおおおおおッ!!」



 魔人が放つのは、紫電一閃。私はそれを躱し、脳天を貫くようにして剣を振るう。今回は真横ではなく、縦にして紫電一閃を振るう。この速度では、流石の相手も……。



「ぐ……が……ごふっ……!!」



 相打ち。互いの刀が腹に刺さる。完璧に躱したと思っていたそれは、私の動きを最後まで追随していたのだ。そうして私たちはその場に転がるようにして、後方に吹っ飛ばされていく。



「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」



 失血量が多すぎたのか。特に初めに左腕を弾き飛ばされた影響だろうか、血が足りない。いくら覚醒し、人の外の領域に至ったとしても、その場で血を生成できる能力などはない。



 ――まずい、視界が……霞んできた……。



 一瞬だが、視界がぶれて、霞み始める。血が足りない。おそらくこれ以上の戦闘は本格的に死を招くことになる。ならば最期はこれで決めよう。文字通り、最期の、終わりの秘剣によって。



 それは少佐から教えられたものの、彼も完全に扱うことはできなかった。いやそはきっと、歴代の朧月夜の剣士も扱うこのできなかった秘剣。理論、理屈、身体の動き、それら全ては頭に入っている。しかしそれは人間の域にいては、無理だった秘剣。私もまた、不可能と思っていた。これを扱えるのはきっと、弟子であるシェリーちゃんしか無理だろう……そう考えていたが、今の私なら。



 黄昏症候群トワイライトシンドロームを乗り越え、人の外側にいる今の私ならば……扱うことができる。



「……」

「……」



 互いに見据えるのは、自分自身。ここから先は己との戦い。もちろん眼前にいるのは、魔人だがそれは些事に過ぎない。これは自分という存在をさらに乗り越え、その先に至る者だけが扱える秘剣。



 きっと相手もまた同じことを考えているだろう。



 もう決着はこの秘剣でしかありえないと――。



ついの秘剣――』



 言葉が重なる。もう止まることなどできない。この先に待っているのは決着。数秒後にはどちらかが地面に伏していることだろう。だがそれは私ではない。この魔人が敗北して、私が勝利を獲得する。




 ――少佐、見ていてください。私が真の意味で人類最高の剣士にたどり着いたことを、これで証明してみせます。



 朧月夜納めたまま、互いに交戦距離キリングレンジへと侵入。そうして……抜刀。私たちは、最期の秘剣を放った。






「――朧月夜おぼろづきよ

「――十六夜いざよい






 キィィィイイイイイイイイイイイン、と甲高い音が周囲に響きわたり……そのまま静寂。



 互いの位置は入れ替わっていた。



 一瞬。一瞬の交錯。そうして私は……悠然と相手の血で染まった朧月夜を振り払って、納刀。



「……」



 もう後ろを振り向くことはなかった。



 この刀の銘と同じ秘剣。それこそが、終の秘剣、朧月夜である。絶対に届き得るわけがないと思っていた少佐ですら、扱いきれなかった秘剣。それを私が発動させ、魔人に打ち勝ったのだ。



 後ろでどさりと、倒れこむ音がする。きっと絶命したのだろう。手応えは確かにこの手に残っていた。もう感覚はないに等しい。だが相手を斬った時のいつもの感触だけは残っていた。



「少佐、私は……」



 空を見上げる。



 復讐を果たした。私は、あの頃の自分の不甲斐なさを乗り越え、そして……少佐の仇を討ったのだ。



 すでに相手の魔素は拡散している。それはもう、見なくともわかった。




 さらば、魔人よ。あなたは強かった。でも、私はもっと強かった。この身に背負っている覚悟が違うのだ。私が背負っているのは今までの人類の意志。それこそが、私をさらなる高みへと連れて行ってくれたのだ。黄昏症候群トワイライトシンドロームを超え、人を超え、その先の彼方に私は辿り着いたのだ。それは魔人でさえも届き得ない領域。私はそこにたどり着き、果たした。



 十年前の雪辱をやっと晴らすことができたのだ。



 ――少佐、やりました。私はあなたの仇をこの手で、果たしたのです。



「……やりましたよ、少佐」



 もうこの世界にはいない彼にそう告げる。私の双眸からは、涙が零れ落ちていた。それを拭うことなく、ただ空を……この黄昏に支配された紫黒の空を見続ける。


















 だがふと思う。そういえば……最後に魔人が言っていたあの言葉。私はてっきり、魔人もまた同じ終の秘剣を使用してくると思っていた。だが最後に相手が放ったのは、全く別の秘剣。その軌跡は私の知るものではなかった。ということは、私が知りえない秘剣がまだあるのだろうか。



 そう疑問に思った瞬間、身体に異変が起きる。








「あ……は……?」



 ゆっくりと自分の体を見下ろす。そこには刀身が真っ黒に染まりきった、魔人の刀が……そこにはあった。先ほどまでは何もなかった。なかったというのに、まるで急に刀が突き刺さったような感覚。気配はなかった。相手が近寄ってくれば、今の私ならば絶対に分かる。だというのにこの体には、相手の魔剣が突き刺さっていた。



「な……どう……して……?」



 後ろを振り返る。相手は依然として、その場に伏せている。だがピクリと指先が動くと、ゆっくりと起き上がり始める。一方の私は、貫かれた刀を抜く気力すらなかった。もう全てを使い果たした。


 ギリギリだった。これ以上の出血は生死に関わる。だというのに、胸から流れ出ていく出血は止まることはない。



「ベルティーナ・ライト。見事なり。お前は正真正銘の、人類最強の剣士だった。俺が150年前に出会った、この秘剣の始祖よりも……お前は強かった。だが……秘剣はお前が知っているモノだけでは、なかったということだ」

「……そんな……一体……な、に……が」




 体を大の字にして、私は天を見つめがらさらに吐血。朧月夜を握りしめているも、もう戦うだけの力は残っていなかった。


 そうして魔人がゆっくりと近づいてくると、私の胸から刀を抜いていく。さらに溢れる鮮血。だがもう私には……それを止める手段など、なかった。





「魔剣、十六夜いざよい

「……まさ……か」

「そうだ。これはついとなる秘剣。元々は一つだったものが、二つに分かれ……そして、終の秘剣は二つ生み出された。元のベースは同じでも、至る場所が違うように。お前があと5年早くその領域に至っていれば、そこにいたのは俺だっただろう。だがお前は負けた。おとなしく敗北を受け入れろ」

「わ、私は……」



 ――負ける? 私が負ける? ここで死ぬのか、私は。復讐を果てせていないのに? 少佐にどんな表情かおをすればいい。私は何のために、今日のこの日まで戦ってきたのか?



 私は最後の力を振り絞り、地面を思い切り引っ掻くようにして立ち上がろうとするも……もうダメだった。爪が剥がれ落ちてしまうも、もう痛覚はなかった。ただ暖かいまどろみの中にいるようだった。



 徐々に視界もぼやけてきた。闇に落ちるように、世界の奈落に吸い込まれるような感覚。



「黄昏で朽ち果てる剣士、俺はお前を尊敬する。さらばだ、人類最強の剣士よ」



 そう告げてざっと音がすると、そのまま足音が遠ざかっていく。幸いなことか、それとも敢えてそうしたのか、私は右手にはまだ朧月夜が握りしめられていた。


 なぜ奪っていかなかったのか分からないが……これは引き継がないと……あの時の少佐のように……私はこれを……。





「――先生ッ!!」



 幻聴か。ちょうど、彼女のことを考えている最中にやってくる。でもそれは幻聴ではなかったようだった。



「先生、しっかりッ!! まだ、まだ大丈夫ですッ!!」



 やってきたのはシェリーちゃんだった。最愛の弟子である彼女に、最期のこの時を迎えてもらって嬉しく思った。




 ――あぁ。そうか。少佐もきっと、こんな気持ちだったのか。




 腑に落ちる。少佐の齢に近づいて知る事実。


 そうして私は伝える。最期の、自分がこの世界に残す最期の言葉を……そして想いを……。




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