第130話 Bertina's perspective 5:灼け落ちた翼




 ――少佐、私はきっとやり遂げてみせます……。



 作戦開始1時間前。私は一人でいつものように朧月夜の手入れをしていた。その所作はすでに何千回、いや何万回と繰り返しているだろう。少佐にこの魔剣を譲り受けてからずっと、私は大切に扱いながらこの刀と向き合ってきた。



 刀身を空に掲げると、それは赤黒い光と相まって綺麗に発光する。少佐もこうやって、よく手入れをしていたのは昨日のことのように思い出せる。



「……よし、こんなもの……かな」



 そして私はそれを鞘に収める。確かな重みが腰にあると感じながら、私は歩みを進める。もう少佐に近い年齢になってしまった。早い、本当に早かった。少佐が亡くなって、ちょうど10年。何の因果か知らないが、今日でぴったりと10年だ。もう少佐がいない時間の方が長くなってきたようにも感じる。



 それだけの時間が経過しても、私は決して彼を忘れることはなかった。



 大切な人を亡くした悲しみというのは、この心に刺さり続けている。じわじわと燃えるように、そして灼けるように私を苦しめるそれはきっと死ぬまで私を解放してくれることはないのだろう。



 だがそれでよかった。その悲しみが、その痛みがあるからこそ、私は少佐を忘れずにいることができるのだから。




「なぁベル。俺はな、お前がどんな対魔師になるか楽しみなんだ」

「なんですか……いきなり……」

「今の俺と同じ年になった時、お前はどんな風になっているのかなぁと思ってな」

「それ……気になりますか?」

「あぁ。お前は口下手で、仲のいい対魔師もいないだろう? 孤立してるんじゃないかと心配でな」

「余計な……お世話」

「はは、そうだといいがな」




 そんなやりとりをしたことを、唐突に思い出してしまった。そして心の中でいつものように、彼にメッセージを伝える。大きな戦いの前には、これをするのが習慣になっている。






 ――少佐。私はもう、あなたに追いつきそうなほどに年齢を重ねました。そして大切な人たちもできました。それにあなたと同じように……弟子もできました。想像できますか? 私に弟子ですよ。私が少佐の弟子だった時のように、私も誰かに剣技、それに秘剣を伝えたんですよ? 


 そりゃあ、私も歳をとりますよね。でもその弟子はシェリーちゃんと言うんですが、まぁ……才能に溢れています。その出自は純粋な人間ではないけれども、その心の在り方は間違いなく人間そのものです。


 きっと彼女は私以上の剣士になります。すでに15歳にして、秘剣を全て扱っていて今の私にも匹敵するほどです。彼女だったら、もしかしたらあの秘剣も使えるようになるのかもしれません。と言っても、私もまだまだ現役です。最前線から引くつもりはありません。今ならあの時の少佐の気持ちがわかるような気がします。弟子がいるからこそ、引くわけにはいかないのだと。


 どうかこの黄昏の果てにある青空の彼方から見ていてください。私は、私たちは、この黄昏で戦い続け……そしていつかこの世界をあなたのいる空と同じにしてみせます。この手に確かな、青空を。






「少佐、まだ私はあなたの元にはいけません。大切な仲間たちとともに、戦い続けます。これからもずっと……」



 そう呟く。まだ、まだ死ぬわけにはいかない。まだ私は何も、何も成し遂げてはいない。特に少佐の復讐だけは成し遂げたい。あれから私はずっとあの魔人を探していた。少佐を殺した、あの魔人を。だが一向に見つかる気配はない。屠ってきた魔人にその問いを投げかけても、答えるものはいなかった。



 私にはもう時間はない。そのことは誰よりも自分自身が知っていた。



 黄昏症候群トワイライトシンドローム。それはもう……あの頃の少佐と同じくらいに侵食している。なんとか騙し騙しやってきたが、とうとう誤魔化しきれない領域にきてしまった。この前の定期検診では、もう三年は保たないだろうと言われた。むしろ、こうして普通に戦えている私は異常なのだという。確かに鏡を見れば、この体が黄昏に侵され尽くしているのはよくわかる。



 それでも、痛みはないし、特に害もない。20代後半には、慢性的な痛みが続いていたがそれを超えると私は適応してきたのか何も感じなくなっていた。



 そのことなども踏まえて、私にはある仮説があった。



 黄昏症候群トワイライトシンドロームは乗り越えることができるのではないかと。今までの研究では、黄昏症候群トワイライトシンドロームは人を魔族化させ、そして死に至らしめるものだという結論が出ている。でも、ユリア君、エイラちゃん、シェリーちゃんという例もある。彼、彼女らは先天的なものだが、後天的にもこの身体は黄昏に適応できるのではないか。



 それは研究で示された客観的なデータを、ただの主観で否定する愚かな行為だとしても直感があった。




 ――私はきっと、人の先にたどり着くことができる。




 そうして私は、第一小隊の先頭に立つために歩みを進める。


 もう立ち止まっていい時は、終わった。人類はこの先に、黄昏の先にたどり着くのだ。その誓いを胸に抱いて、私は進んでいく。




 ◇



 作戦は開始された。目標は、危険区域レベル3にある地下空間だ。リアーヌ様の知覚に寄れば、その場所に膨大な地下施設が隠されているとのことだった。そしてそこには巨大な魔素が固まっているとも。今までは完全に隠蔽されていたというのに、知覚能力が低い私ですら、今はこうして感じることができる。



 ――この魔素は尋常じゃ……ない。



 第一小隊はすでに目標地点まで来ている。ちなみに他の隊はここの周囲の魔物を狩ることになっている。バックアップに第二小隊が地下空間に来る予定になっているが、それはまだ先の予定だ。とりあえずは、私とユリア君で前線を切り開く。



「ありました、ベルさん。ここです」

「……間違いない、ね」



 巧妙に隠された通路。そこはかなり大きな穴が地下に続いているようだった。でもこれは結界で隠されていて、普通は気がつくことはできない。ユリア君、それにリアーヌ様ほどの知覚能力がなければ不可能だっただろう。



「では、行きましょうか」

「うん……みんな、進むよ」



 私はそう言って、彼の後を進もうとしたが……その刹那、ある気配を感じ取る。



「……みんなッ!! 行ってッ!! 早くッ!!」



 らしくもなく、大声を張り上げる。でもここは、これは私がすべきことだ。



「ユリア君、ごめんね。みんなを……頼んだよ。私は……ここで足止めをするから」

「ベルさん……目標を撃破したら、必ず助けに戻ります」

「うん……でも、その前に私がこいつを殺してるから……心配は無用……だよ」

「……わかりました。ご武運を」




 最期にそう言葉を交わして、みんなを地下空間に送り込む。そして私は背筋を伸ばすと、その気配がする方に向いてゆっくりと腰の朧月夜に手を当てる。それと同時に、木々の後ろから見せる姿は10年前に見たものと……全く同じだった。




「ほぅ……気がついたか」

「それほどの殺気を……ばら撒いていれば、誰でもわかる……」

「クククク、どうやらお前がいることに俺は悦びを覚えてしまったようでなぁ。なぁ、ベルティーナ・ホワイト」

「……」

「? 名前のことは聞かないのか?」

「どうせ、サイラス、クローディア辺りにでも聞いたんでしょ……」

「あぁ。お前らの内情はすでに魔人間で共有されているからなぁ。ちなみに俺の名前はアルフレッド。聖十二使徒、序列十位だ。よろしくな」

「……これから死んでいくやつの名前を覚えておくほど、私の記憶容量は大きはない……」

「ほぅ、言うじゃねか……ま、嫌いじゃないぜそう言う奴は」



 刀を抜くアルフレッド。その刀身は、朧月夜とは真逆。全体は真っ赤な色をしているも、刃の部分だけは真っ黒だ。そのドス黒い色はあいつの内面を顕在化しているようにも思えた。



 そして私もまた、ゆっくりと抜刀。両手でしっかりと握り締めると、相手をしっかりと見据える。



 私もまた、こいつと同じように喜びで打ち震えていた。こいつは間違いなく、10年前に殺し損ねた魔人であり……少佐を殺した、魔人だ。復讐する時がまさか、こんな劇的な瞬間だなんて……喜ばすにはいられない。




「……ッ!!」

「……ッ」




 そして互いに大地を蹴って、その剣戟を始める。10年以来の戦闘。あれから私は、努力に努力を重ねてきた。いつかこんな日が来ると信じながら、こうして復讐を確実に果たすことできるように、毎日を送って過ごして来た。



 だが……私のそれは無駄と言わんばかりに、世界は現実を突きつけてくるのだった。



「クククククク、アハハハハハハハハ!! なぁどうした!? おい!? 本当に10年前の小娘なのか? 弱い、弱いなぁ……ベルティーナよぉ!!!」

「う……ぐう……う……」



 一瞬の攻防。見えなかった。相手の剣先が首を通り過ぎようとした瞬間、私はとっさに体を捻って直撃を避けたがそれは見事に左肩をバッサリと切り裂いていった。ボタ、ボタボタとこぼれ落ちる血液は、地面に溜まり……広がっていく。


 おそらく左腕はもう動かないだろう。辛うじて繋がっているそれは、もう邪魔でしかない。比喩的な表現だが、皮一枚で繋がっているに等しいそれはきっと刀を振る際にはいらないものだ。



 ならば……。




「おぉ! 思い切りはいいみたいだなぁ!」

「……」



 私は自らの刀で左腕を切り落とした。もう使えないのなら、それはただの飾りでしかなく、邪魔でしかない。ならば余計な重りは切り離すに限る。躊躇などない。この先のことなど考えてはいない。私が生きているのは現在いまなのだ。そしてこいつを殺すためだけに、私は戦っている。だからこそ、腕が自ら切断するという選択に迷いなどはない。常に合理的に、常に戦況が良くなるように戦う。それこそが少佐の教えなのだから。もう動かない左腕は……いらない。



 そしてすぐに治癒魔法で止血をすると、私は右手だけで朧月夜を構えると、改めて意識を集中させる。



「……すうぅうぅぅうう、はぁああああああああああ」




 痛みはアドレナリンのおかげか、すでにない。腕がなくなろうとも、動きに支障はない。問題は左手がないことで、今までと同じように剣技が、特に秘剣が使えるかどうかと言うことだった。少佐もあの時、こんな状況で戦っていた。ならば私も同じように、戦うまでだ。あの時は、少佐と私の二人だった。でも今は私しかいない。



 もう、少佐は隣にはいないのだ。



 そんなことはとうに分かりきっている。でも私は隣に彼がいて、こう囁いている気がした。




『ベルいいか。腕がなくなろうとも、お前にはまだ戦えるだけの力がある。信じろ、お前がこれまで積み上げてきた全てを』

『……はい』



 改めて、眼前に朧月夜を真横に構える。先ほどは油断していてわけではなかった。だが私は致命傷を受けてしまった。それは純粋なまでにこの魔人が強いということを示していた。あの10年前よりもはるかに強い。足りなかったのは想像力だ。私の物差しは10年前を起点にしていたが、もう頭に入った。見えなかったと言っても、私はすでに特異能力エクストラで感覚的には理解していた。



 もちろん、先ほどのアレが本域とは思えないがベースは理解できた。



 辿る、辿る、辿る。今までの全てを、少佐にもらった全ての技を使って……私はこいつを殺すのだ。




「ほぅ……いい目だ。これは少しばかり、本気で行くか」




 相手もまたその殺気を高める。腕を一本飛ばしたくらいでは、油断はしてくれないようだ。相手はこの世界で最高峰の剣士なのだろう。魔人の中でも最上位の剣士なのだと理解する。それに持っている刀もまた、魔剣の類だろう。あれからは以上な魔素を感じ取れるからだ。



「……」

「……」




 そうして私たちは、死闘を繰り広げることになる。文字通り、生死をかけた戦いだ。



 もう、怖いものなどない。たとえ腕が無くなろうが、ただただ目の前の敵を斬り捨てる。それだけ。それだけだ――。








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