第七十話:不滅

 それは一瞬の出来事だった。

 もはや抵抗の余地すらないと思われていたイラ=タクトがつぶやいた言葉によって起きた変化。反応できたものはわずか数名。

 対応できたのはまさしく奇跡。

 あらゆる要素が複雑に絡み合い、天秤が知覚できぬレベルでほんの少しだけ傾いた結果。

 軍配はエラキノたちに上がった。


「マスターっ!!」


=GM:Message===========

ゲームマスター権限行使。

判定結果を却下。魔女アトゥの《洗脳》状態は継続されます。

―――――――――――――――――


 エラキノが叫び、彼方に鎮座する彼女の主が裁定を下す。

 しん……と。静寂が訪れ、荒い呼吸音だけが響き渡る。


「はっ! はぁっ……はぁっ!!」


 驚愕と恐怖に目を見開いたエラキノの額からは、べっとりと冷や汗が滲み出ている。

 鼓動は笑えるほどに早くなり、手足はかすかに震えてさえいる。


「くそっ! はぁ、はぁっ……。くそがっ!!」


 苛立ちと怒りを隠そうともせず、今までのどこか軽薄じみた態度すら忘れ……。

 だがそれも当然だろう。

 ――彼女の眼前ほんの数ミリの場所で、頭蓋を割らんと放たれたアトゥの触手が止まっていた。


 僅差の命拾い。

 後一歩、彼女のマスターの宣言が遅ければ死んでいた。

 精神的な疲労がどっと押し寄せ、まるで全力で活動した後かのような倦怠感が体中を包む。

 確かに相手を軽んじていたのは認めよう。

 正直なところ、すでに終わった勝負であると気を抜いたのは確かだ。

 だがまさか、すでに彼女たちのルールが見破られその隙が突かれようとは思ってもいなかったのだ。


「――ッ。固定値の暴力で、ダイス裁定をすっ飛ばして、洗脳を解くなんて!!」


「エラキノ!」

「だ、大丈夫ですか!?」


 わずか遅れて慌てて無事を確認する二人の聖女。

 心を許した仲間の気遣いにすら答えることを忘れ、エラキノは余裕なく頭を回転させる。


 破滅の王は彼女らが絶対の自信をもって看破不可能と判断したそのシステムを見抜いたのだ。

 エラキノたちが口にした言葉はさほど多くない。

 特段まずいことを言った記憶もないし、致命的な単語は口にすることは愚か二人の聖女にすら伝えていない。

 だが、それでもなお……。

 あの短い間にエラキノの言動からその能力の性質がTRPGだと見抜き起死回生の一手を放たれた。


 ――TRPG。


 テーブルトークロールプレイングゲームと呼ばれるそれは、各々が役割を演じながら予め決められたシナリオを進めるゲームだ。

 特徴的なのは参加者各々の言葉と、ランダム要素を取り入れる為のダイスをもって行うという点にある。

 古くから親しまれ根強いファンを持つ遊びの一つだ。

 TRPGではゲームマスターと呼ばれる進行役の指示にそって、各プレイヤーはシナリオを進めていく。

 言葉でゲームの世界を作り上げるという性質上、プレイヤー同士のコミュニケーションが重要視されるこのゲームにおいてゲームマスターは絶対的な権限を有している。

 ゆえにエラキノとそのマスターはその権限を持って戦闘を一方的と言えるほどまでに進めることができた。


 だがTRPGは参加者たちが言葉でもって物語を紡ぐゲームである。

 すなわち、それは同時にプレイヤーもシステムに則って行動の判断を仰ぐ権限を有していることを表す。

 イラ=タクトが行ったのはその一つ。

 自らシステムに宣言を行うことによって、強制的に洗脳解除判定の申請を行ったのだ。


 無論通常であればその間にはゲームマスターの指示とダイスの出目による成功判定が存在する。

 だが破滅の王とその従者である魔女は、ダイスの裁定すら必要としないほどに余りある互いの信頼によってその裁定を飛ばすに至った。


 〈1~100の目があるダイスを1回振って、98以上の目を出す〉

 これが洗脳の解除条件だとしよう。

 イラ=タクトとアトゥの場合、このような一文が追加される。

 〈ただしイラ=タクトとアトゥの"信頼値"を2で割った数値:200を出目に加える〉

 これが界隈で囁かれる、いわゆる固定値の暴力というものであった。


 ――ダイスという単語などから相手がTRPGに属す勢力だと判断。

 更に『Eternal Nations』のシステムを検証してきた経験から、ゲームマスターの宣言とTRPGシステムは別であり介入できるという推測を行い裁定をシステムに申請。

 固定値で強引に洗脳を解除しアトゥの所属を自分へと戻す。

 そして解除された側のアトゥは伝えられるまでもなくエラキノを殺す為にその凶悪な攻撃を放つ。

 死に瀕した状況でなお諦めず放たれた乾坤一擲の一撃。狙うは魔女の頭蓋。

 これが拓斗が行った反撃手段だ。


 ゲームマスターはあくまでキャラクターを通してでしか世界を見ることができない。

 世界を俯瞰する権能は確かに有していれど、この世界は彼が作り出したゲーム世界ではないためその力も及ばない。

 つまりここでエラキノが失われていれば、マイノグーラへ介入する手段は失われていたのだ。

 それは即ち、襲撃計画の失敗と相手に自分たちの情報を渡し対処法を確立させる時間を与えることになる。


 だが、だがしかし。運命は彼女とそのマスターに微笑んだ。

 刹那の攻防において、エラキノとゲームマスターはアトゥの洗脳解除が行われたことに気づき間一髪のタイミングで却下の裁定を差し込むことに成功する。

 かくしてアトゥの触手はエラキノの脳天わずか数ミリという地点で止まり、優越と喜悦に心躍らせていた啜りの魔女は奇跡的な命拾いに顔面を青ざめさせる結果となっていた。

 それが、わずか数秒前に行われた濃密なやり取りのあらましだった。


 エラキノは歯噛みする。

 ギリと硬い音が口腔から漏れ出て、少女のかんばせを憤怒に染め上げる。

 自分たちの手の内がどこまで暴かれたのかエラキノにはわからない。

 破滅の王がどこまで知っていたのか、彼女には判断がつかなかった。

 もしかしたら偶然かもしれないし、もしかしたらすべて知った上で先の行動――つまり彼女が持つ弱点を突いたのかもしれない。


(マスターっ! どうすればいい!? 指示を! 指示を頂戴ゲームマスター!!)


 主からは反応はない。

 とっさの出来事に彼自身動揺しているのか、それとも次の作戦を考えているのか。

 どちらにしろ相手に時間を与えることはまずいと思われた。


 チラリと、自らの心胆を寒からしめたその存在に目を向ける。

 もはや生きているのかすら分からぬ死にぞこないの王。

 光を失ったがらんどうの瞳が、じぃっと彼女を映している。

 その瞳の向こうに、なぜか彼女すら理解できぬ永遠の闇が揺蕩っているような錯覚を覚えた。


「はっ! はっ! あ、あははは! ざ、ざぁんねん! 上手にやったつもりだろうけど! エラキノちゃんたちには届きませんでした~♪ 残念無念♪ ははははは! ――はっ! はぁっ!!」


 エラキノは乾いた笑いとともに息を荒くしながら一歩後ずさる。

 そうしてようやく自らが恐怖に震えていることを理解した。


「この――くそがぁぁぁっ!!!」


「王!」


 怒りの発散は、単純な暴力であった。

 ここにいたるまで直接的な攻撃を行ってこなかったエラキノであったが、まるで自分の中にある様々な感情を発散するかのように血溜まりに伏せる拓斗を蹴り飛ばす。

 ガァンと強烈な破砕音と共に、ダークエルフたちと闇の者共が崇拝する王の身体が弾き飛ばされ、それは直ぐ側に作られた臨時の壇上にぶつかり止まる。

 崩壊した木材がガラガラと音を立てて崩れ、胸からどくどくと血を流す拓斗の体を押さえつけるように崩れのしかかった。


「エラキノ。落ち着きなさい。冷静さを失うとさらなる問題を呼び寄せるわ。貴方の主はなんて言ってるの?」


「あああああっ!!! もう!! 返事がないのっ! マスター! どうすればいいの!?」


 地団駄を踏んでヒステリックに叫ぶエラキノに無言で視線を向ける顔伏せの聖女フェンネ。

 一方の花葬の聖女ソアリーナは、自らの友人に寄り添うと心から気遣う様子を見せながら杖を掲げた。


「エラキノ、大丈夫です。確かに先程の攻撃には私も驚かされました。しかし、これで終わりです……」


 ――火葬に処す。

 その言葉と同時に、拓斗が蹴り飛ばされた場所で天をつくほどの業火が生まれる。

 螺旋状にうねり登りあがるそれは、熱風を勢いよく当たりに撒き散らし、その内にある全てを塵に帰さんと猛り狂う。


「お、王よ! 誰か、あの火を止めるのだ! 誰か!」

「む、無理です! 火勢が強すぎます――モルタールさん、近づいてはダメ!」


 ダークエルフたちが悲痛な叫び声を上げるが、聖女が放つ炎の前には無力。

 その勢いはあらゆるものを拒み、触れることはおろか近づくことすら困難だ。

 あの炎の中にあっては、どのような存在ですら生き残ることは不可能だろう。

 誰の目に見ても明らかなそれは、混乱と焦燥の中にあったエラキノに僅かな安堵をもたらす。

 自らの友が手を貸してくれたという事実が、何よりもエラキノの心を落ち着かせるのだ。


 聖女が奇跡を行使し終わってなお、炎は勢いを止めず燃え続けている。

 パチパチと燃え上がるそれを眺めながら、エラキノはようやくこの戦いが終わったことを確信した。


「エラキノ。配下の魔物が集まってくるわ。そろそろ撤退を考えましょう」


 僅かな迷いが生じる。

 残りの魔物とやらも自分たちの敵ではない。この場で一気に殲滅するべきかとも思うが、相手の残りがどれほどかわからない以上あまり時間をかけたくもない。

 延々と敵の残党と付き合う趣味は持ち合わせていないためだ。

 それに目的は達した。目的を達したのならば予定通り帰還するべきだろう。

 彼女たちが理想とする国家の為にすべきことは、まだまだ多くあり余計な時間を使っている暇などない。


「――ソアリーナちゃん?」


「……はい、大丈夫です。悪は消え去りました。あの炎の中に、生きている存在はいません」


「フェンネちゃん?」


「ええ、たしかに。あの場所に生きている存在はいない。確かに破滅の王は浄化の炎によって消滅したわ」


 聖女二人が断定した。

 彼女たちの超常的な知覚をもってしてなお消滅が確認されたのだとしたら、もはやそれは間違いのない事実なのだろう。

 遅まきながら彼女のマスターからも連絡が届く。ここにきて、エラキノはようやくいままでの調子を取り戻すことに成功する。


「おっけーっ♪ マスターからも連絡が来たよ。じゃあこんなところにもう用はないね! カエルが鳴くからか~えろっと♪ というわけで、じゃ~ね~っ! マイノグーラの皆さんっ! 啜りの魔女、エラキノちゃんでした♪」


 エラキノたちの逃走判定――


=GM:Message===========

ゲームマスター権限行使。

ダイス判定を放棄し、確定成功とします。

判定:エラキノ・ソアリーナ・フェンネ・アトゥの逃走成功

―――――――――――――――――


 そして……。この場で生きている者には決して分からぬ法則によってエラキノ達の襲撃は完遂される。

 あらゆる道理や法則を無視した、ただ結果だけをもたらすその技法。

 ダークエルフたちは、ただただその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 ………

 ……

 …


 激動の一瞬に比べ、それからはひどく緩慢で薄ら寒い空気だけがドラゴンタンを支配していた。


「ああ……終わって、しまった」


 沈む日によって赤く照らされた広場に、打ちひしがれる老人がただ一人。

 かつて呪賢者と呼ばれ数々の偉業を残し、今ではマイノグーラの重鎮として国家の中枢に携わる者の末路だ。


「全て、全て終わってしまった」


 ダークエルフたちの中でも最も長寿でありながら、それでもなおその年齢を感じさせぬ覇気に満ちた装いは今では失われ、ヨロヨロと今にも崩れてしまいそうな惨めな姿となっている。

 涙も枯れ果て、言葉も考えも浮かんでこない。

 モルタールは自らがこれほどまでに老いていたのかと呆然としながら、ただ過ぎ去ってしまったものにすがりつくようにその場所に膝をつく。


 すべてが焼き尽くされ灰燼に帰したその場所こそ、彼らが王が没した場所であった。


「王よ、どうして我らをおいて行かれた。どうして我らを連れて行ってくださらなんだ……」


 モルタール老が後始末を指示することができたのは奇跡に近いだろう。

 現在この場所は規制線が張られ、住民たちには自宅への待機命令がくだされている。

 フォーンカヴンの来賓は市庁舎に割り当てられた一室に半ば軟禁状態となっており、同盟国に対する配慮する余裕すらないことの現れでもあった。

 破滅の王イラ=タクトの死と、英雄アトゥの洗脳による寝返り。

 先の出来事を知るすべての人物には厳格な箝口令が敷かれ沈黙を貫いている。関係のない言葉を発する者すら皆無だ。

 ダークエルフとマイノグーラの配下は指導者を失ったことで混乱をきたしており、満足な軍事行動を取れずにいる。

 どうにか事態を収拾し、警戒態勢を敷くのが精一杯でこれから何をしてよいのか、何をするべきなのかすら判断がつかない。


「王よ、どうかお導きくだされ……」


 その判断をつけるべき主は失われてしまったのだ。

 襲撃者の一人、聖女と思わしき女が放った炎はまさに神の業に等しいものであった。

 すべてを焼き尽くさんとするあの業火の中であっては、いくら破滅の王であるイラ=タクトであろうと生きてはいないだろう。

 いや、その前に彼は心臓を貫かれていたのだ。

 いくら強大な存在であったとしても、死ぬ時は死ぬ。

 破滅の王たる存在に真なる意味での死が存在するかどうかは不明であったが、少なくとも無事であるなどという楽観ができるほどモルタールは落ちぶれていなかった。


「王のご遺体を探さなくては……」


 よろよろと、おぼつかない足取りで王が焼かれた場所へと近づく。

 木材は完全に炭化しきっており、あれほどあった瓦礫は焼失によってその質量を大きく減らしている。

 すでに消火作業は終わり、かすかな温もりを放つだけになった灰の山をかつて呪賢者と畏れられた者とは思えぬほどのみすぼらしさでかき分ける。

 じつのところ王の遺体に関してその捜索はすでに行われていた。

 だがあまりにも現場の状態が悪く、更に日も落ちてきており満足に見つけることが叶わなかったのだ。

 誰しもが、その場所の状況を見て王の生存を絶望視していた。

 王の御身体は敵聖女の業火によって焼き尽くされ、完全に焼失したと思われる。

 それがダークエルフたちが苦渋の思いで下した判断である。

 モルタール老の行いは、ただ失われた過去にすがりつく代償行為に等しかった。


「…………いや、おかしいぞ」


 しばらく灰の山を探っていたモルタールは、小さくつぶやいた。

 その瞳に失われていた知恵の光がやどり、慌てたように辺りをかき分け何かを探すような仕草を見せる。


「ない! ない! どこにも――」


 ガサガサと辺りを手当たりしだいひっくり返す。

 日が暗くなった為に持っていた松明すら放り投げ、まるで気が触れたかのようにモルタールはそこらじゅうを調べる。


「何故じゃ、ありえぬ。王の遺品がどこにもない!」


 王の身体が消え去ったという点に関しては、ある程度理由をつけることもできよう。

 あの業火だ。先の判断のように肉体が判別できぬほど完全に焼失していてもおかしくない。

 さらにその存在は破滅の王と称される神の如き人外の理に居る者。

 人間のように血と肉でできておらず、死ねば霞となって消え去ることもあろう。

 だがおかしいのだ。

 イラ=タクトが身につけていた衣服と装飾は全てダークエルフである自分たちが拵えて献上したものだ。

 その中には少量ながら金属製の装飾や部品などもあったはずだ。

 であればその残り滓が見つからなければおかしい。


 モルタール老は必死に拓斗が焼き尽くされたと思わしき場所を掘り返す。

 すでに捜索は終わっており、多くのダークエルフたちがこの場を調査し何も存在していないことは明らかだ。

 だがそれでも自分の中にわき起こる疑問の答えを必死で探し求めるかのように、彼は必死になって探し回る。


「王は、生きておられる」


 そう判断したのはどの様な理由か。

 少し冷静に考えれば、到底ありえないことだと分かるだろう。

 これだけの惨状と残骸だ。偶然彼らの目に拓斗の遺品が映らなかったということも十分考えられる。それこそ装飾品の原型が残らぬ程の炎であったとも言えよう。

 むしろそちらの方が正しい判断であり、日が落ちた夜半ではなく明け方から捜索を再開するのが正しい判断だ。


「王は生きておられるのだ!」


 そう叫ぶ男の瞳はどこか正常さを欠いている。

 この時、モルタール老は静かに狂いはじめていた。

 現実を直視することができない老いた賢者の、哀れな末路である。


「そうだ! 王がこの程度のことで死ぬわけがない! 我らが信奉せし破滅の王が! この世に終焉をもたらす存在が! この程度のことで死ぬはずがない!」


 老人の戯言だ。

 誰も信じることができず、到底非現実的な妄想としか言いようがない。

 ありえない願望であり、論理性に欠け、証拠が皆無である。

 イラ=タクトは確かに滅ぼされた。

 それが先の出来事を見たすべての人物が判断する、ゆるぎ難い結末である。

 だが、果たしてそうだろうか?


「王は、我らの王、イラ=タクト様は間違いなく生きて――」


 不意に彼の肩にぽんと手が置かれ。


「――正解」


 破滅の王イラ=タクトは、どこまでも底冷えするかのような悍ましく名状しがたい声音で背後からそう囁いた。


「お、おおお!」


 慌てて背後を振り返り、その姿を凝視する。

 夢でも、幻でもない。

 彼の、彼らの信じた王が何一つ変わらぬ姿でその場にいる。

 奇跡などという陳腐な言葉では表しきれぬ、ただ表現するのであれば彼が信じた絶対の結果がそこにあった。


「偉大なる破滅の王、イラ=タクト様!」


「いい夜だね、モルタール老」


 心と身体が、同時に反応しモルタール老を平伏させる。

 滂沱の涙で顔をぐしゃぐしゃにさせながら、ただただ王が無事であったことに喜ぶ。

 マイノグーラは、破滅の王イラ=タクトは未だ不滅であった。


「おおっ! 御身の無事をどれほど願ったことか!」


 安堵と衝撃、興奮と感動から思わず声量が大きくなる。

 その姿にイラ=タクトは少しだけ苦笑いしながら静かに指先を口元に当てる。


 王は健在。

 心臓を貫かれても、神の業火によって焼き尽くされてもなお不滅。

 誰しもが死の一文字で頭を埋め尽くされ、心臓を貫かれ焼き尽くされたその姿に絶望を感じた。

 だがここにいる彼は、まるでその怪我がなかったかのように見える。いや、怪我などどこにもない。

 果たしてどのような御業によってその奇跡がなされたのであろうか?

 その思索は総じて無意味。

 なぜなら矮小なるダークエルフの老いた術士如きに、その深淵なる力の深さを知り得ることなど到底出来はしないのだから。


 時間はすでに深夜。あたりは闇に閉ざされ、いくつか灯された篝火の心もとない明かりだけが薄っすらとあたりを照らしている。

 混乱と悲劇の中、まるで街全体が喪に服すかのような静寂さがあった。

 モルタールは静かに平伏し、王の指令を待つ。

 自らの役割は彼の手足となって動くこと、これからのことはすべてイラ=タクトが采配するだろう。

 これより行われるは苛烈なる復讐劇。

 その役者の一人として、モルタール老は全身全霊をもってあの愚かな襲撃者共に怒りの鉄槌を下すつもりであった。

 モルタール老は自らの王へと視線を向ける。

 地の底よりも深い、こことは別の場所からやってきたかのような闇は、少しだけ考える素振りを見せていた。


「さて、やることは多そうだ」


 破滅の王は……否、伊良拓斗は独りごちる。

 いずれ来る終末の具現は、ただ静かにそこに佇んでいた。

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