【第十五走】辛口と甘口
「ふあぁああ――」
本日、何度目だろうか。
教授の声が講堂に響く中、俺は人知れず大きくあくびをした。
眠い目をこすりながら、昨晩のことを思い出す。
結局、あれ以来
もちろん、普通は原付が口をきかないのが当たり前なのだから、それ自体は本来、何もおかしくはない。
だがしかし。
あいにくとユキは普通の原付ではない。しゃべる原付である。正確には、原付に転生した異世界者である。ついでに非常に不本意かつ不可抗力な出来事の果てに、いちおう俺の彼女でもある。
そのため、しゃべらない
そう思った俺は、能力の有無を確かめるべく、アパートに帰るやいなや俺に力を与えた
が、しかし――。
夜が遅かったせいか、子供神が現れることはなかった。
本当は何度でも呼び続けたかったのだが、深夜に騒ぐのは隣人に迷惑になると思った――隣人には以前、本来の意味での『壁ドン』をされたことがある――ので、俺はすぐに諦めて、おとなしく床に着くことにした。
だがしかし。
横になって眠ろうと目を閉じても、疑念は晴れないでいた。まるで再生が始まらない動画の読み込みマークのように、ぐるぐると頭の中を巡り続けるのだった。
(このままでは、美桜さんとの約束が果たせない。「任せろ」と言った矢先にこれでは、彼女に合わせる顔がない)
(もしも能力が失われているのなら、他の転生者の救済活動も滞るということとなる。話す能力がなければ、愚痴を聞くも何もない)
(その結果、ひいては――俺の願いも叶わなくなるということになる。そうなったら、俺の彼女は一生原付のままだ。それだけは困る)
(どうすれば能力は戻るんだ?)
(それ以前に、本当に能力は失われたのか? ユキがへそでも曲げているだけでは? 心当たりはないが――)
(だとすれば、どうしてアイツは――)
などと考え続けていたせいで、結局明け方まで眠りに落ちることはできなかった。なお、俺は純粋に『異世界転生者と話をする能力』の有無が気になっていたのであって、決して『ユキと話ができないこと』を気にかけていたわけではない。勘違いしないで欲しい。
それはともかく。
明くる朝、つまり今朝。
俺は能力の有無を確認するべく、改めてユキに向かって、いつものように挨拶をしてみたり世間話を振ってみたりもしたが――まったく反応は無かった。それゆえに、ユキの声が聴こえなくなった理由は、依然として不明のままであった。
そのかわりに一つだけ、気づいたことがある。
『返事のない相手に向かって話しかけることほど、虚しいことはない』ということだ。ましてその相手が、本来はしゃべらなくて当然の〝無機物〟となれば――その虚しさは二乗にもなる。
果たして彼女が口をきかないだけなのか。
それとも俺の力が失われてしまったのか。
その判別がつかないため、いくら夏を先取る眩しい日差しが照りつけようと、俺の心中は未だ暗雲が立ち込めたままだった。それでも、眠気をおして睡魔と戦いつつ前後不覚に陥りそうになりながら、なんとか俺は講義を乗りきった。
*
午前中の講義がすべて終わると、俺は学食へと足を運んだ。
(ここは一発、激辛ものでも食べて目を覚ますとするか)
そう思って注文した季節限定激辛カレーとやらは、期待に反してまるでリンゴとハチミツがとろけていそうなほどマイルドな甘口ものだった。これならば、ユキの毒舌のほうがよほど辛口であると思える。
ちなみに甘口といえば。
甘口の具現体のような存在である友人のきっちゃんこと
きっちゃんは管弦楽団の部活――サークルではない、本物の部活動――に所属している。その練習のため、週に一度か二度、授業を休むことがあるのだ。
彼の腕前は確かなものであるらしく、次期団長もしくは
とはいえ。
いくらヴァイオリンの腕があっても、授業に出なければ試験をクリアすることはできない。
試験をクリアしなければ、単位が取れない。
単位が取れなければ、進級ができない。
進級して三年生にならなければ、団長にもコンマスにもなれない。
以上の論理により、きっちゃんは「授業に出ずに試験をクリアする」という、非常に難解な課題に直面していた。
二年生が始まった当初、きっちゃんはそのことにとても頭を悩ませていた。俺はそんな彼を見かねて、麗しき友情でもってこう提案した。
「俺が君の代わりに授業に出るよ」
――と。
もちろん彼は遠慮したのだが――しかし貴重な友人とともに進級できないのは、俺の大学生活にとってもマイナスである。そこで口だけは達者な俺は、必死で彼を説得した。
「気持ちは嬉しいけどさ、
「いいんだって、どうせ暇だし」
「でも、悪いよそんな」
「余分に講義を受けておけば、万が一他の科目を落としたときの保険にもなるだろ? 俺にも得はあるから、
「でも――」
「正直に言えば、心配なんだよ。このままだときっちゃん、無理しすぎてパンクしそうだしさ。頼むから少しくらい手伝わせてくれよ」
「そこまで言うなら、じゃあ、お願いしようかな――」
こうして俺は――なんだか意中の女性を、無理やり家まで送り届けるがごとき交渉を経て――きっちゃんの代わりに授業に出ることになった。今日の一限にどうしても出る必要があったのも、実はこのためである。決して、きっちゃんがお礼として提示した〝夕食のおごり〟が目当てではない。あくまでも麗しき友情のためである。
(とはいえ――独りで飯を食うのは正直、味気ないんだよなぁ)
そんな思いで、名ばかりの激辛カレーを胃の中へ押し込んだ。食べ終わって口の中を洗おうと、コップの水を手に取ろうとした瞬間――俺の視界は謎の手によって閉ざされた。
こんなことをする人間の心当たりは、俺の数少ない友人の中でも一人しかいない。
「だーれだ! 正解、ナナコだよー!」
解答をする間もなく、正解を告げる声が――ひどく楽しそうに、俺の背後から響いた。
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