世界を滅ぼしにきました
ちとせ
こんにちは、世界を滅ぼしにきました
「ではハル様、復習です。人間の七つの大罪についてお答えください」
私の問いに、ハル様は退屈そうに脚をぷらぷらと遊ばせていた。小さいお身体に大人用の椅子は余りあり、今は靴を片方脱いでいるおみ足は、床から離れて揺れている。退屈でたまらないといったお顔は不満気で、今にもテーブルに突っ伏してしまいそうだ。
ハル様はまだ幼い。白い髪に金色の目をお持ちになる彼は、髪の隙間から申し訳程度に山羊の角を生やしている。人間の見た目に当て嵌めるならば、五歳児程度が適切だろうか。
そのため、様々なことが拙い。
「んっと、……おなかすいたと、怒るのと、それから……えらそう!」
「はい、ハル様。三つまで言えました! あと四つです!」
「ええっと……? たいくつだなぁと、あそびたいなあと、外行きたいなー……」
指折り答えるハル様が、窺うようにこちらを見上げる。
あーっ、残念! 「たいくつ」はギリギリセーフとして、残りは完全にご自身の欲求ですね! うるうるしたおめめが大変愛らしくございますが、これもお勉強のためです!
にっこり、微笑んで教本をぽんと叩いた。
「惜しいです、ハル様! もうひと踏ん張り!」
「メア、勉強はもうやめよう? 俺は外に行きたい……」
「駄目ですよ。七つしっかり答えていただきます」
「うううっ」
飛び切りの笑顔でお断りすると、ハル様が力なくテーブルに突っ伏した。
私はメア。ハル様の教育係だ。
形態は女性型を取らせてもらっている。金の髪に、ハル様と同じく金の目。体型はやはりナイトメアを語る以上、魅力的でなければならない。
私の使命はハル様に、如何に人間が自堕落で粗暴でどうしようもないほど誘惑に弱く、まあ手っ取り早く滅ぼすべき存在であるかを教えることだ。
ハル様は世界を滅亡させるために必要なお方だ。そのためにもしっかりと人間の悪いところを学んでいただきたい。しかし現実は無情なもので、未だ『基本のき』で止まっている。
「メアぁー……」
縋るようにこちらを見上げるハル様に、ついついため息をついてしまう。仕方ない。ハル様はまだ幼いんだ。
「残りは、嫉妬、強欲、色欲です」
「うぅん? ……メア、これで勉強は終わりか!?」
ぱっと身体を起こしたハル様が、きらきらと金色の目を輝かせる。
くっ、眩しい。結局また私が答えてしまった!
「休憩にしましょう。後ほど復習として先ほどの……」
「俺、じいちゃんとばあちゃんのとこ、行ってくる!」
「ハル様!? お待ちください!!」
ぴょんと椅子から飛び降りたハル様が、そそくさと靴を履き、いそいそと部屋を飛び出してしまう。慌てて追いかけるも、彼は角を隠すようにフードを被り、外へ飛び出して行ってしまった。ああっ、ハル様!!
一直線に小道を駆けたハル様が、隣の民家の呼び鈴を鳴らす。あっさりと門を潜って行ってしまった彼が、裏庭の方へ顔を出した。
「ヘンリーじーちゃーん! こんにちはー!!」
「んえぇ? なんねぇ?」
「こ、ん、に、ち、は!!」
「ああっ、こんにちは」
よぼよぼとした皺だらけのご老人が、目許の皺を更に深めて笑みを浮かべる。杖をつく彼はベンチに座っており、軽やかに駆け寄ったハル様がご老人の隣に腰を下ろした。
「じいちゃん、ばあちゃんは?」
「んえぇ?」
「ばあちゃん! いないの!?」
「ああっ、ばあさんか。おるよおるよ」
ミスターヘンリーは耳が遠い。ハル様は聞き返される度に口の横に手を当て、大きなお声で話していた。
何の因果か、ハル様は滅ぼすべき対象である人間と仲良くなってしまった。片田舎に留学したことが運の尽きなのか、このご老人の元へ毎日毎日飽きることなく遊びに行っている。
何と嘆かわしいことだろう……!! 両手で顔を覆ってため息をつく私にお気づかれることなく、ハル様はにこにことおみ足を揺らしていた。
「あれぇ、ハルちゃん。来とったとね」
「マリーばあちゃん! こんにちは!」
「はい、こんにちは。ハルちゃん大きくなったねー」
「ミスマリー。私はメアだ」
「ばあちゃん、俺こっちだよー」
腰を曲げた老婆が家から顔を出し、私の顔を見上げて皺だらけの顔を微笑ませる。ぴょんとベンチから飛び降りられたハル様が、ミスマリーの腰にしがみついた。
柔らかな頬を膨らませ、上目に老婆へ訴えていらっしゃる。くっ、ハル様。貴いです……!
「あれま。ハルちゃんごめんねぇ」
「いーよー。なあなあっ、ばあちゃん! お手玉おしえて!」
「はいはい、お手玉ねぇ」
ミスマリーは視力が弱い。老婆と手を繋いだハル様が、ゆったりとした歩みに合わせて足を進められる。
「あのなあのなー。今日の朝ごはん、メアがたまごやいたんだー」
「おや、良かったねぇ」
「それでな! 一個のたまごから、きいろいのふたつ出たんだ! ふたご!」
「あらぁ、当たりばい。ハルちゃん、今日よかごとあるよ」
「えへへー!」
毎日会っているはずなのに、ハル様の話題は尽きない。次から次へと「あのなあのな」と話しかけるお姿は、見ていてとても微笑ましい。
ハル様は心から留学生活を満喫されていらっしゃる。その助力となれることは私としても幸いだ。
って、ちがーう!! ハル様が学ぶべきは、スローライフとじじばばの憩いの相手ではなく、人間の醜さとどうしようもなさだ!! うっかり本職を忘れるところだった! 危ない!!
縁側に腰を下ろしたハル様が、茶箪笥を開ける老婆の背中を見守っている。ミスターヘンリーは変わらずにこにことひなたぼっこを続けており、平和ボケした空気を打ち破ろうと眦をつり上げた。
「ハル様!!」
「あら、メアちゃん、来とったとね! 蜂蜜酒あるけん、持って帰らんね!」
ひょこり、廊下の奥から顔を出したみつあみの女性が、快活な笑みとともに手招く。
彼女はミスハンナ。このご老人らの血縁者らしく、かなり手強い。
「……くっ、……いただこう」
「メアちゃん、お酒好きやっけん。あとねー、お花のお酒も漬けとると。楽しみにしとってー」
からからと笑うミスハンナが、再び奥へと引っ込む。
ああ、そうだ。私は酒に弱い。何せ堕落の象徴だ。嫌いなはずがないだろう!?
おのれ、ミスハンナ! 私の弱点をつくなど、小癪な……ッ!
「メアぁ、またおさけ?」
「よかたい、よかたい。持って帰らんね」
縁側ではのほほんとハル様とミスマリーがお手玉に興じている。完全なほのぼのばばまごの図だ。
ぐぬぬ、唇を噛み締める。ハル様の教育の手前、私がしゃんとしなければならないのに! ハル様の、幼子の呆れた目が胸に痛い!!
「お待たせ。メアちゃん、また瓶持ってこんね。おかわりあるけん」
「わかった」
一升瓶を風呂敷で包んだミスハンナが、にこにこと注ぐ動作をする。彼等の話し言葉は難解だが、私にも「おかわり」くらいの意味はわかる。きりり、頷いた。
ミスハンナはいい人だ! 私は確信した!
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