目の見えない王子
家の中へ入るとライラは自分とペルケレと、ついでに男を衣服ごと魔術で洗浄し乾かした。体温がちょっぴり下がっていたのでそのまま長椅子へと寝かせ、冬に使う毛布を客室用の倉庫から引っ張り出す。これもカビ臭かったので洗浄の魔術を施して男に掛けた。
満足そうに頷くとペルケレを連れて薬の保管部屋へ入る。
治療目的や森の外での商売、魔術の補助として使う為に加工した草花の匂いが満ちている中、直ぐに扱える瓶詰の物を手に取る。
「痛み止めにはこれを煎じて飲ませて、骨折にはこれを塗って固定して……今の外の医療レベルがどれくらいか分からないわ。買ってもらえてるから薬は大丈夫なんだろうけど。治癒の促進としてこっそり魔術を使うのは有りかしらね」
「魔術で治せるんだから、目が覚める前に全部パーっとやっちまって外に放り出せばいいんじゃねぇか?」
助けることに文句を言っていたペルケレも、すっかり諦めていた。
「ずっと雨が止まなかったらどうするのよ。でも、そうね。何か言われたら拾った時にはけがなんてしてなかったと言えば良いものね」
薬瓶を元に戻して、ライラは長椅子へ向かう。
服をめくって先に脇腹のけがを魔術で治療し、その後骨折した足を慎重に治した。靴を脱がす痛みによって男の意識が回復してしまうかもしれないからだ。
「命にかかわるようなけがはしていないようね」
「悪運が強いと言うか何と言うか。落馬までしたのにな」
最後に目の様子を見ようと顔にかかった金髪をかき分けると、ライラは思わず息を飲んだ。
顔の、それも目の周りに蝶の羽のような赤い模様が浮かび上がっている。今までよく見ていなかったので、額に傷がありそこから流れている血だとばかり思っていたのだ。
「これ、只のけがでは無いわね」
「厄介な呪詛の気配がするな。目が見えないと言うのもこれが原因だろ。かなり恨みを買ってるみたいだぞ、こいつ」
よせばいいのに男の顔面に尻尾をびたびたとぶつけるペルケレ。慌ててライラはペルケレを抱えて離れる。
「あ、起きちまった」
目は閉じられたままだったが意識が回復したようで、大きく息が吐き出された。ライラは思わず静かに後ずさり身構えると、抱えていたペルケレが耳元で囁く。
「目が見えないと言っていたな。女の一人暮らしだとばれると厄介だから、声だけでも婆さんのフリしとけ」
ペルケレの提案にライラはコクリと頷く。
男は起き上がると、首をひねりながらしきりに毛布を触っていた。手を少しずつ移動させながら長椅子の端を確認すると、そこから床へゆっくりと足を降ろす。骨折した記憶を思い出したらしく、また首をひねり足を擦っている。すぐ傍にある靴に気付かず裸足で歩き出そうとしているので、ライラは思わず声を掛けた。
「なんじゃ、目が覚めたのかね」
声を魔術で変え口調も老婆の物に変える。もし目が見えていたら姿も変えなければならない。男は警戒しながらも「誰だ」と短く尋ねた。
「森で倒れているのを見つけたんじゃが、覚えとらんかね」
「森……ああ、覚えている。済まなかった、礼を言う。ここは一体どこだ?」
「わしの家じゃ。気を失ったまま雨ざらしにしておけば死んでいたかもしれんからのう」
ライラは慣れない口調に苦戦しながらもゆっくりと慎重に話す。それが却って老婆らしさを演出できていた。
気を失う前の記憶が徐々に戻ってきたのか、男はわき腹の辺りをさすっている。
「足と脇腹をけがしていたはずなのだが……」
「知らん。お前さんを拾った時には何にも傷なんかついとらんかった」
男は暫し無言になった。夢としてしまうにはあまりにも痛みの記憶ははっきりと残っている。けれど傷口があるはずの場所には触っても何もない。
ライラとペルケレは固唾を飲んで見守る。ただの魔法使いではなく魔女だと知られてしまえば終わりだ。恩を仇で返されることが多く、せっかく人を助けてもそのせいで散々嫌な思いをしてきた。
薬を売ったり必要なものを買ったりと村との交流はあるが、今ではそれも最低限にしている。意図的に森に入ってくるのは大抵がわけありの人間だ。
何を納得したのか知らないが、男は一人頷いた。
「そうか。言い伝えではここは鎮守の森らしいからな。どんな不思議があってもおかしくは無い」
生活に必要な交流はしていても、ぼろが出るのを恐れるあまり無駄なおしゃべりはしていないため、ライラの一般的な知識はあまり蓄積されていない。
確かに神の遺物が中央にあり守る様にして森があるのだが、そんなことになっているとは知らなかった。人を害しているのは神で、守っているのは自分なのに。
ライラは無意識のうちに拳を握りしめる。五百年も経っているので殺された父だけでなく、母と弟もとうに死んでいる。初めの頃はライラを知る人間も周囲にちらほらいたが、それも数年で無くなった。あまりにも長い時なので知られていないのも仕方がない。ただ、間違った言い伝えに自分たちの生きた時代が埋もれていくのは寂しかった。
男は目が見えないのでそんなライラに気付かずに、思ったままを口にする。
「ところで誰がここまで運んだのか?その方にも礼を言わなければ」
確かに老婆一人で運べるほど男の体は小さくない。なんて答えようか迷っていたところペルケレが代わりに答えた。
「お…お、おれが運んだんだ」
「む、もう一人居たのか。これは失敬。男性の気配は感じられなかった。俺もまだまだだな」
ライラとペルケレは冷や汗をかいた。本当は見えているのではと疑い、目の前でライラが手を振る。男は微動だにしない。
「鎮守の森に住んでいるならば、あなたが森の魔女殿か?」
森の中に住む老婆、とくれば魔女であることは否定できない。寧ろ若い声で接していた方が誤魔化しようはあったのではと、ライラはペルケレを見た。長い付き合い、以心伝心でライラの言わんとするところが分かったのか、ペルケレはつーっと視線をそらす。
男は返事を待たずに話を続けた。
「どうか、私にかけられた呪いを解いていただきたい」
「……魔女は呪いを解くのではなく掛けるもんだ。わしには無理じゃ。そう言うことなら他を当たってくれ」
ライラは諦めて素直に魔女であることを認めた。認めた上で拒否をする。事実、魔女となってからずっと残された書物やペルケレから魔法を学んできたが、数百年生きていても出来ないものは出来ない。森の呪いは封じることは出来ても解けないままであるのが良い証拠だ。
「五年間ずっと方法を探し続けてきた。もしあなたにできないのであれば仕方ない、思い切って死ぬより他は無いな」
「目が見えずとも懸命に生きる者はおるじゃろうて。それほど悲観的にならずとも良かろう?見えないなら誰ぞに迎えに来てもらうしかないのう。当てはあるのかえ?」
「現状では難しい。城に連絡が行けば殺し屋が差し向けられるだろうからな。そう言う意味で死ぬより他にないと言ったのだが」
「城?」
ライラが聞き返したところで男はまだ名乗っていない事に気付いた。
「ああ、名乗るのが遅れて済まない。私はこのヒーシ国第二王子、ヘズと言う」
ライラがいた国はフォレスティア。数百年も時が流れれば、国の興亡が繰り返されるのは当然だ。
自分が王女だった時代から国名も王族も変化するのを実際ライラは見てきた。
けれどこの王子はきっとそんなことなど知る由もない。国内で争っているのならば近いうちにヒーシ国とやらも滅びるだろう。その事実にライラは何も感じない。
いろいろなものと引き換えにして守ったはずの自分の祖国だって、あっという間に滅んでしまったから。
「信用できる者は誰もおらんのか」
「いることにはいるが、この状態で戻ってもそいつらに迷惑をかけるだけだ」
ヘズはそう言って自分の目の辺りを指す。
「けがも勝手に治ったこの森ならば、しばらく居れば治るかもしれない。どうかそれまでここに置いてほしいのだが、どうだろうか」
「ペルケレと少し話し合いをしたいので、待ってくりゃせんかのう」
「ああ、済まないな」
ライラがそろそろと薬の保管部屋に移動し扉を閉めると、抱えていたペルケレが小声でまくしたてた。
「やっぱり厄介ごとじゃねーかっ!どーすんだよあれ」
「日課をこなしながら呪詛の解明をしていくしかないでしょう?出来るかどうかわからないけど」
「しかも治ったところで森にいたお蔭とか言い始めるなら治し損じゃねーか」
「でも治らなきゃ出てってもらえないし」
「さっさと追い出せば済むことだろ。下手すると殺し屋がここを突き止めて巻き添えくらうぞ」
ライラの魔術で返り討ちにするくらい難なく出来るはず。だがその後も際限なく送り込まれて来たら、日課に支障が出るのは明白だ。
魔法陣に魔力を注ぐのは日中であればどの時間でも良いが、盲目の王子を守りながらとなると古城へ連れて行くにしろ家へ置いていくにしろ骨が折れる。
窓の外を見やれば、未だに雨が降り続いている。
「雨が止んだら出てってもらうのはどうかしら?」
「……そうだな。せっかく乾かしたのに濡れるのは魔力の無駄遣いだからな」
けがを治したのに殺されるかもしれない事には目をつむり、話し合いに決着がついたと一人と一匹は頷きあった。扉を開け、ライラはヘズに話し合い結果を報告する。
「すまんが、雨が止んだら出てってくれんかのう。殺し屋に狙われていると知っては置いとくわけにもいかん。年老いた身では守ることも出来んし」
心底すまなそうな声でライラは言う。臣下に迷惑をかけると言う理由で、森での不自由な生活を選ぼうとする優しい王子様ならばそれで理解してくれると思ったのだ。
だが、ヘズは違った。ライラとペルケレの思いもしない返事を返す。
「そうか。こちらこそ済まなかった。外に出たらここに魔女がいると言う情報で命乞いをするしかないか」
「「はぁ!?」」
驚きのあまり老婆を装うことも忘れたライラとペルケレの声は見事にそろった。ヘズはにぃっと腹黒い笑みを浮かべる。
「鎮守の森の魔女。神の森に何故住んでいるのか知らぬが、魔女は魔女だ。討伐対象になることは間違いないだろう」
「匿ってもらおうと言う癖に随分な言い草じゃねーか。大体どうして悪い魔女って決めつけるんだ?」
ペルケレがヘズに突っかかった。五百年前はたとえ魔力を持っていたとしても、悪魔と契約しない限り魔女とは呼ばれなかった。契約しているかどうかは傍から見て分かる物でもない。
ヘズもそれを聞いて驚いている。
「この国では王族しか魔力を持つものは生まれない。王族以外の者が魔力を持つとしたら、それは悪魔と契約するほかは無い。常識だろう。何故そんなことも知らない?」
「森の外に魔術師が少なくなったと思ったらそんなことになっているのじゃな。わしの若い頃は違っていたんじゃが……」
数十年どころでは無く数百年前の話である。今も詳しく話し合えば食い違いに気づくだろうが、追い出したい方と居座りたい方、どちらも横道にそれる話題に食いつくことは無かった。
「なるほど。だが今の時代は違う。一度でも助けてもらった身としては仇で返すことはしたくない。どうかおいてもらえぬだろうか」
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