マコト
1.マコトと陽香の日常
ペーパーを被せたクリーニングロッドをチャンバーから差し込み、渦巻き状の穴の中を通過させる。これを何度か繰り返しバレルは完了。火薬カスの汚れなどをすでに落としてあるスライドやフレーム、特に可動部にガンオイルを馴染むまでしっかり塗り、組み立てる。
最後にスライドを引き感触を確かめてメンテは完了。
自分の武器の整備は怠るな、という師匠たる陽香の教えを優人は守り続けている。
「やっぱり小型過ぎるかな」
使い慣れたワルサーppkを眺めつつ考える。
日本人高校生の標準的な体格で大きくはない優人の手でも、軽快に取り回せるほど小型で扱いやすく頼れる相棒ではある。
ただ優人は少し前から、主に装弾数の少なさに疑問を感じている。
例えば、金曜日の戦闘中にリロードした回数は二回、敵に隙を晒した回数だ。戦闘時間との割合を考慮すると、やや多い……そう考えたところでより大きな疑問を思い出す。
車で逃げるリーダー格の男を追おうとしたときのこと。
タイヤを狙った連射が全く当たらず、最後の一発を打った時に起こった奇怪な現象。
一瞬のことだが鮮明に覚えている。
打ち出された弾丸にまとわりつく――翡翠色のオーロラ。
あれはまるで、目標を狙う使用者の意思を汲み、弾道を誘導したかのようだった。
心当たりはある。
司令室で作戦説明を受けているときに陽香から押し付けられた、薄手の腕輪。
今は保管棚に置いてあるそれを手に取り、訝しく眺める。
中央に収まっている楕円形の水晶部には、薄く淡い緑の燐光が浮かんでいる。それは戦闘中に起こった謎の発光現象を連想するものだった。
「何だったのやら」
溜め息混じりでぼやいても意味はなく、陽香本人に直接聞くのが良いだろう。
ワルサーや腕輪を保管棚に戻し、装備保管室を出る。このフロアには他にブリーフィング用の情報作戦室や装備の改造などを行う工作室などもある。
民間人は進入不可能な地下通路を進み、プラザホテルと通じるエレベーターを呼び出す。
今はまだ夕方を過ぎた時刻。
通常の階層では一般客がエレベーターを利用するため、呼び出しに時間が掛かるのが焦れったい。数分後に到着し、IDカードを通して二十五階にある司令室へ行く。
「入ります」と優人がいつも通り断ると「はーい」という不抜けた返事。
今はゲームのコントローラを叩く激しい操作音も無い。
扉を開けると、陽香はデスクに頬杖を突くだらしない姿勢で、コーラのペットボトルを片手に、壁の大型ディスプレイに向けて足を組み、テレビ番組をぼんやりと眺めていた。
怠けた姿だが随分似合っているとは、口が裂けても言わない。
『写真の怪奇現象、これらはミステリーサークルにキャトルミューテュレーション、全て宇宙人のUFOの仕業です。彼らは水面下で地球を調査・研究しているんですよ!』
『全て人が行ったイタズラだ……なんて暴論はしませんが、根拠は聞いておきたいですね』
中年男性達が二組、机を向かい合わせて座っている。おそらく討論番組だろう。
『ロズウェル事件で墜落した未確認飛行物体を、米軍がエリア51に回収した話は聞いたことがあると思います。実はあのとき米軍内部に宇宙人が入り込んだのではないか、という仮説もあります』
『ははっ、それはすごい。シグマ計画の真相というやつですか?』
『そうです。米国の一部は既に宇宙人に掌握されている。だからアブダクションのようなことが計画的に行われ、誘拐体験談も数多くあるわけです』
『なるほどね……UFO関連の出来事は米国に偏っていますね? あの国は歴史が浅いゆえに自国で文化を作り出して、それを大事にし続ける風習がある。UFOはそういった類のものでは? 国を誇張するための一種のプロパガンダのような』
『そんなことを明文化せず、国民単位でやっているという仮説は非現実的ですよ』
『そうすぐに否定しなくとも……こちらは譲って話をしているんですがね』
以前観た秘密結社の特番よりは、若干だが有意義な番組に思えた。ただやはり、出演者達の雰囲気は徐々に悪化していく。
そんな番組をつまらなさそうに眺めていた陽香が大きく溜息をつき、
「地球侵略計画はこうして進んでいるのです。人間同士の信頼感を利用するとは、恐るべき宇宙人。でもご安心ください。この仮説は遠い遠い未来の話です。えっ、なぜですって? 我々人類は今、宇宙人に利用されるほど、お互いを信頼してはいませんから」
棒読み気味に、そう語る。
やけに辛辣だが、なかなか味のある切り方であった。
「あのさ……宇宙人の『人』っておかしくない?」
「はあ、どういった意味で?」
「だってさ『人』って、わたし達のことじゃん。宇宙から来た存在にさ『人』って概念を当てるのはおかしいというか、失礼というか、そんな気がする」
「確かに主観的なネーミングな気はしますね」
だからなんだ、とは聞かないのが部下の心遣い。
「しっかし、つまらない番組ね。似たような番組は過去にいくつもあったでしょうに……早くマコちゃん来ないかなー、マコちゃんで≪・遊びたいなー」
一部の助詞がおかしいのは、今に始まったことではない。
「そういえば陽香さん、あの妙な腕輪――」
優人は会話の雰囲気が緩くなる前に、司令室に来た目的である質問をしようとするが、
「キタッ!」
そんな部下の様子を陽香は気にも止めず、セキュリティの微かな解除音に反応して、デスクをガタっと鳴らし立ち上がる。
さらに「よいしょ」と専用の踏み台から降りる緩い声がしてから、数秒後に扉が開いた。
「こんにちは~」
間延びした幼い声で挨拶し、トレードマークである紫色のリボンで結った横髪が揺れる。
とてもゆっくりとした歩調でマコトは部屋に入ってくる。なんだかぴょこぴょこと効果音でも鳴りそうな印象である。
しかし、鞄と上着をソファに置くマコトの背後から隙を伺い、陽香は忍び寄るような足取りで迫っていく。
「んふっ、でゅふふ……マコちゅわぁぁぁん」
そして掴まえるように一気に抱き締めた。
「ひぎっ」
急なことに驚いてマコトは体を固くするが、いつも通りと諦めて身を預ける。
「あー、かわいいわ、癒されるわ」
引き寄せて密着し、全身でその小さな体の感触を味わっていく。
ちなみに二人の身長差は二十センチ以上、年の離れた仲の良い姉妹に見えなくもない。
しかし少しするとソファで寛ぐ優人と目が合い、ほんのりとしていたマコトの頬の赤みが徐々に増していく。
「リ、リーダー。止めてください」
「なんでよ、昨日今日始まったわけじゃないあたしとマコちゃんの仲じゃない」
「だって……優人くんが、後輩さんが見てますから」
その頬の赤みがまた一段と強くなる。
「えっ、もしかして優人に見られて恥ずかしがってるの? きゃー、かわいいわねー、マジで天使よ。んちゅー」
切実に願うも隠せない羞恥心は、萌え上がる色欲に油を注ぐだけだった。
抱擁だけに止まらず、陽香は味わうようにマコトの頭へ接吻を続ける。
しかし優人にとってこれは何度か見たスキンシップであり、最近は見慣れてきた光景だ。
だから新しい感想もある。
腰まで届く長い髪の毛を持つ長身の女性が、小柄な女子高生を愛でている構図。
ギリシャ神話の怪物メデューサが幼女を食べているみたいだ、と感じたが優人は心の奥底に仕舞った。
「あ、あの……リーダー、ちょっとすいません」
マコトは話し難そうでなぜかたどたどしい。
「うん? どうしたの?」
「おしっこ行きたい」
陽香はその一言を聞いた途端、マコトへの視線はそのまま、落雷に打たれたかのように仰け反って、大きく双眸を見開き「はっ」と息を呑んだ。
ゆっくりとした動作でマコトを抱いていた腕を解く。
わなわなと小刻みに震えながら、その狭い両肩にゆっくりともう一度手を置く。
慎重すぎる一連の動作はまるで、禁忌に触れる寸前の正気を失いかけた変質者そのもの。
そして涎でも垂らしかねない、うっとりとした気持ち悪い笑みを浮かべ――
「マ、マコちゃん。お、お姉ちゃんが、てっ……手伝ってあげようか?」
「はい、アウトー」
優人は試合中の審判よろしく、特殊な性癖に目覚めつつある怪物から幼女を引き剥がして、廊下にあるトイレへ行くように促す。
状況がわからず困った様子で部屋を出ていくマコトの後ろ姿を、陽香は名残惜しそうに見届ける。しかしすぐに泣く子も黙るやさぐれた顔に豹変し、喧嘩腰で優人へ眼を飛ばす。
「あたしの幸せを邪魔しやがって」
「この数秒で、この変わり様」
口の悪い下品な威嚇を受け、優人は小馬鹿にした感想でニヒルを決め込む。
それに対し陽香が大きな舌打ちをすることで、司令室が一瞬のうちに緊迫した雰囲気に変容するが、
「しっかし、陽香さんはホントにマコ先輩のこと好きですね」
そんな流れを無視して、優人は何も考えずそう聞いてみる。
「えっ、そりゃあさ――」
陽香は窓の外を向き少し考えた後、少し照れるように頬を指で掻きながら言った。
「――だってあたしは、あの子の上司なんだもの」
なぜだろう。その言葉がなぜか、いつまでも尾を引くように頭の中に残り続けた。
「戻りましたー」
「お・か・え・り♪」
しかし陽香はすぐにふざけた様子に戻り、一文字ごとに歩く小気味良い動きで、再びマコトに抱きつく。
「ねえ、マコちゃん。あたしとお昼寝しようか、ね? ね?」
「えっ、えっ、えっ」
「あたしのベッドはふかふかで気持ちいいぞ」
相手に有無を言わせぬ百万ドルの笑顔を押し付けて、陽香はその細い腕を引っ張る。
そしてマコトはされるがままに、隣の部屋へ通じる扉まであっさり連れて行かれる。
隣は陽香の私室になっていて、当然ベッド等もある。
「ゆ、優人くーん」
行雲流水。
そんな可愛い声と救いを請う視線を向けられても、わたくしなどではこれ以上の抑止力にはなりません、お許しあれ。そんな意味を込めて両手を合わせつつ頭を下げ、優人はこれをはなむけとする。
最後までマコトは涙目で優人を見ていたが、男子禁制の開かずの間へと吸い込まれていった。
「これもアブダクション……うーん、面白くない。イマイチだな」
高くはない自分のセンスをこれからも磨こう。
優人はそう決意して、鞄を手に司令室を出ようとしたところで思い当たる。
「あれ、何しにここに来たんだっけ?」
その内容を思い出せたのはホテルを出て新宿駅が見えてきた頃であり、時すでに遅しだった。
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