4.夜のもどかしさ

 自分からプレーツアーマーの使用を申し出たが、却下されて良かった。

 機能に支配された着心地の悪い戦闘服のまま毎日、相棒であるこの車の狭いコクピットで長時間張り込むのは堪える。

 但し、実年齢を考えると昼間では運転できないため、貴重な時間だと割り切るべきか。

 優人が今乗っているのは、テスラロードスターと呼ばれるオープンモデルの車種だ。

 特徴的なのは、一般的な内燃エンジンの車両とは異なり、六千個以上のリチウムイオンセルから電源供給され、誘導モーターで駆動するEVであること。

 動力性能は高いが排気音が無く、静音タイヤの効果もあり走行音が小さい。そのため夜中に走行する場合、通常のガソリン車よりやや目立ちにくいというメリットがある。

『こちらリーダー。そっちの方は調子どう?』

 陽香の声がヘッドギア内蔵のスピーカー越しに聞こえてくる。

 この通信はホテル内にある極秘の地下通路を抜けた先にある、情報作戦室からのものだ。

「こちらアタッカー。暇潰し用品を持ってこなかったことを後悔してますよ。そちらは?」

 ヘッドギアのフェイスガードに内蔵されたマイクにぼやく。

『こちらアドミニストレーター。おつかれさま、各カメラ映像に検出アルゴリズムを走らせてるよ。でも使うの初めてだから、直接画像を見ての監視も今日は少しやってるとこだよ』

 マコトと陽香の二人は、作戦室で監視の役目を続けている。

 張り込み初日、車内に待機してから一時間が経過。

 この作戦は何日も掛かる長丁場、初日から犯行現場に踏み込めるとは思っていない。

 しかし揃えた装備達が、役目はいつかと出番を待ち侘びている。

 まずは今も身に着けているジャケット型のソフトアーマー。パラ系アラミド繊維が幾重に織り込まれ、前面には軽量なセラミックプレートも挟まれた積層構造をしている。

 他には、超高分子量ポリエチレンを用いた多機能ヘッドギアが頭に、素材が同じであり関節以外をカバーするプロテクターが四肢にある。

 これらが防護装備になる。

 さらに助手席には、主武装として設けている小型拳銃ワルサーppk。

 いくつかの作戦を共にこなし、グリップは握り馴染んできたところだ。しかし最近、この銃には性能面で不満が出てきている。

 出番があるかわからないがそれ以外にも、左大腿側面にマウントしている二本のフォールディングナイフや腰のベルトに固定したナックル型のスタンガンがある。

 他にも、実行犯に付ける発信機、フラッシュバン、消音器、ヘッドギアのスピーカーが破損した場合に保険として動作する外耳道に仕込んだ超小型イヤホンなどがある。

 それに普段しているメガネは伊達であり、今は外している。

 さほど意味はないが、学校生活での自分とリングスの任務中の自分を切り替える、軽い願掛けのようなものだ。

 あとは陽香に半強制的に着けさせられた謎の腕輪型装置。

 役に立つ機会があるのか疑問だが外せない、上司の命令は絶対である。

『しっかし残念ね。マコちゃんの隣にいるのにイチャイチャできないなんて、もどかしいわ』

『検出アルゴリズムは即席で作ったので、今日は動作確認半分だから気が抜けないんですよ』

『うふっ。それじゃ、明日からなら良いのね?』

『そんな……丸雄さんもいるじゃないですか』

『丸ちゃんはいいのよ。人だけどキャラクターというか、部屋に置いてあるぬいぐるみみたいなもんだからさ』

 失礼な、という野太い声が微かに聞こえる。

 丸雄と呼ばれた男は無駄な会話は好まない、普段から無口である。

 彼はバックスという肩書きがあり、主に物資の調達や設備のメンテナンスを担当している。今はマコトが操作する監視システムのサポートをしているのだろう。

『そんなわけでマコちゃん、あたし達の愛を妨げる者はいないのよ。明日からは楽しみにしてるわ。よろしく……ねっ』

『ひゃんっ』

 陽香に何か際どい事をされたのだろう。

 幼くも艶っぽい声から、背筋を仰け反らせるマコトの姿が浮かぶ。

『ふふっ、体は正直ね。きっとマイクの向こうで優人も聞き耳立ててるわよ』

「――中学生じゃあるまいし」

 やや反応は遅れたが、焦りは出さずに言い返せた。

『マコちゃんの声を聞いて、今あいつ一本柱のテントを作ってるわよ』

『それってな……はうっ』

 マコトはマイクごと顔を手で覆い隠したのか、ゴソゴソと大きな雑音が入ってくる。

 音声ではそんな呑気なやりとりをして気楽ではある。

 しかし会話が途切れると、優人の視界に広がるのは暗い現実。

 フロントの防弾ガラス越しに見えるのは、深夜で閑散としたベッドタウン。

 無音の冷たい静寂に満ち、灯りが少ないその風景に変化はなく、ときに殺伐とする非日常だ。

 以前も似たような作戦はあったし、気が滅入る事は無い。

 但し、昼間は学校に通い一般社会にいる自分、真夜中は社会の裏仕事をこなす自分、二つのギャップを思い返すことはたまにある。

 そんな浮遊感のある感覚に身を預けながら時間は過てぎ、町が薄明を迎えるまで何も起きず一日目の作戦行動は終了となった。


********************


 一週間後、まだ作戦は続いていた。

 この光の柱が確認されたのが三回。いずれも、陽香が指揮する第一管理部隊の管轄外で発生したことだった。

 他の管理部隊も同様の作戦内容で、絞った地区だけ確実に対応する方針。しかし未だどの部隊も実行犯とは遭遇できずハズレが続き、事態は進展していない。

「ふー」

 他のメンバーと違って狭い車内で待機、体のあちこちが痛む。

 睡眠は変則的で授業中と夕方からの数時間だが、それにも少しずつ慣れてきた。

 ホームルームが終わって放課後、今日も夜の張り込みのためにセーフハウスで仮眠と取ろうと席を立つが、踏み止まって後ろの席を見る。

 由梨が誘拐されたあの日から、景は無気力で毎日を過ごしている。

「よっ、さっきの数学どうだった? 最近は寝ててさ、ちと内容わかんなくなってきたよ」

 優人は最低一日に一度は、景へ当たり障りない言葉で話し掛けていた。鬱陶しいと思われるかもしれないが、何もしないよりは良い。

「えっ、ああ、うん。難しいよね」

 目が虚ろで心ここに在らず、反応も鈍い。

「この前ライブハウスで観たホークウイング、あのCD少し前に発売されてるんだよ。ちょっとだけ店に見に行かないか?」

 言い終えてから失敗したとすぐに後悔する。

 そのバンドのライブは以前、由梨と政明を含めた四人で観に行ったものだからだ。

「うん、今度ね」

 淡白な返事。

 景にとって、由梨は幼い頃から家族同然に接してきた間柄、半身を失ったようなものだ。

 休み時間も授業中も放心状態で、教師を含めて優人と政明以外はそんな彼女を持て余して、誰も声を掛けられない状況が続いていた。

「あっ、政明くん」

 優人と景の様子を見てか、ガタイの良い友人が近付いてくる。

「ねえ、どう? 何かわかった? 何か聞けた?」

 景は大きく見開いた目で、捲し立てるように政明へ問う。

 すでに平常心は無く、由梨への心配と不安にとり憑かれているようだ。

「いや、聞いてみてはいるが、まだめぼしい情報は入ってこない」

「……そう」

 男らしい低い声に期待を否定されて、景はよろめいて再び席に座る。

 政明は校内でも広い人脈の持ち主であり、それを利用して由梨に関する話を集めていた。

 しかし残酷だがそれは所詮、一般の学生が行っていること。

 優人が陽香から聞いたレベルの情報に辿り着くことはないだろう。

「元気出せよ」

 励ますつもりで政明は景の肩に手を置くがその瞬間、優人は「危うい」と直感した。

「止めてよ!」

 しかし時すでに遅し。政明の太い腕は振り払われる。

 まだ教室に残っていたクラスメイト達が、突然の金切り声に振り返る。

「気休めはしないで」

 その一言に優人は、心臓に杭を打たれたような気分になった。

「あんたに何がわかるの? あの子はね、一人だとすぐに電車の定期は無くすし、誰かが見てやらないと試験勉強もできない子なのよ!」

 長い髪の毛を振り乱して必死の形相で叫び散らすが、その姿は痛々しいほどに脆い。

「昔からずっとそう! お昼の弁当は忘れちゃうし、制服のリボンはきちんしてないし、いつもわたしを困らせるのよ! ふわふわしてて、放っておくとどこかに行ってしまいそうで……うっ、うう、由梨、由梨」

 誰もいない壁際に顔を背けたのは、景の中に残った唯一の自尊心。

 嗚咽を堪えようとしても声は漏れ出て、スカートに次々と滴が落ちていく。

 そんな切ない景の姿を見て優人は気づいた。

 これまでも自分は、昼は学校の教室で過ごし、夜は装備で身を固めて作戦に参加してきた。

 しかし今は少し違う。

 学校という日常と、作戦行動という非日常が、交差したことなど今まで一度も無かった。

「なあ、景」

 手で触れることはせず、近づき過ぎずの場所から話す。

「なぜ由梨は連れ去られたんだと思う?」

「そんなのっ、決まってるじゃない。口封じよ」

 睫毛に薄らと涙を浮かべたまま、まるで敵を睨むように答える。

「そこまでのことをするのに、由梨の携帯電話は現場に残っていたみたいじゃないか」

 これは一般のニュースでもすでに報道されていること。

「やっていることが中途半端だと思わないか? 誘拐をするくせに、自分達に繋がる致命的な手掛かりは見落とす。連中はそこまでの、なんというか……プロではないんじゃないか?」

 景の中で震えていた怒りが、徐々に収まっていく。

「連中は慣れていない。なら覚悟もない。きっと問題は保留するだろう。だから……さ?」

 その続きを景自身に言わせるために、口にせず目線で結論を送る。

「まだ由梨は無事かもしれない、ってこと?」

「そうだ。ただの素人の考えだけどね」

 いくつも論理飛躍がある無理やりなこじつけ、直感の域を出ない話だ。しかし完全な的外れでもない。

 景は突然そんな話をされ、どう受け入れたら良いかわからず考え込む。

 しかしずっと沈み込んで思考停止するより、何倍も健康的だ。

 泣いたこともあるが希望が見えたせいか、顔に赤みが随分戻っている。

「あ、ありがとう」

 優人の配慮を理解しないまま、自分に元気が戻ってきたという事実だけで景は感謝する。

 彼女はそれでいい、しかし自分はどうなのかと、優人は今までの状況から考察する。

 衝動的で身勝手な責任感だとわかっている。ただそれでも何か行動を起こしたい。

 では自分に出来ることは何だろうか?

 ただこれまでと同じように、命令通りに真夜中に車の中で待機しているだけが、自分にできる行動なのだろうか……そこまで考えれば、具体的な方策が思い浮かぶのはすぐだった。

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