最終話~ それが贋作者のテクニック
キースはミルドレッドに言った。
「俺は、グレン男爵にウィリーを送り届けたらすぐに戻ってくるけど、ミリーは、早く、パトラッシュと一緒にアトリエに戻るんだ。じきに落雷の騒ぎを聞いて目を覚ました人が集まってくる。ここに倒れてるチャイニーズ・マフィアのことを色々と詮索されると、後が面倒だろ」
「ええっ、私も一緒に行きたいのに」
「駄目、駄目。大人数で行ったらかえって目立っちまうじゃないか」
ミルドレッドは小さくため息をつく。けれども、リムジンの後部座席から不安げな視線を送ってくる少年に目をやってから、
「……仕方ないわね。ウィリアム、元気でね。心配しなくても大丈夫よ! キースは普段はぼうっとしてても、やる時はちゃんとやるんだから」
「おぃ、誰がぼうっとしてるって?」
眉をしかめて、セレブな小学生に一瞥を送る。けれどもその後に、“あ、それと”と、前置きしてから、
「アトリエに残してある二枚の贋作はレイチェルに見せないように隠しておいて。帰ったら、俺はもう一仕事やるつもりだから」
「もう一仕事って……? いったい、あの絵をどうする気?」
「ウィリーの入っていた方は破棄して、俺の描いた”ヴァージナルの前に座る婦人”の方には、もう少し手を加えるのさ。今よりもっと完全な贋作にして、レイチェルに差し出すためにね」
何だか嬉しそうに、そんなことを言う青年画家を見やって、ミルドレッドは口をとがらせた。
「でも、そんなことをしたら、あの女、その絵を使って、また性質の悪い商売を始めるかもしれないわよ」
「願ったり敵ったりだ。贋作村の権利を得ることも然り、いずれはあの女は、俺に上手く作らせたと思い込んでる贋作を過信しすぎて、大失態をやらかす。それを俺は待っているんだから」
なっと、パトラッシュと犬の頭をなぜると、キースは、リムジンに乗り込む寸前にくすりと笑ってこう告げた。
「それが贋作者のテクニックってもんだよ」
* *
3ヵ月後、
約束どおり、グレン男爵は、彼が取り仕切っていた贋作村の権利をすべてピータバロ・シティ・アカデミアに譲渡する契約を結び、おまけに、資産の一部だけを残して、館も手広く展開していた事業もすべて手放して、ウィリアムを連れ、自然の豊かなスコットランドの小都市へ引っ越していった。
女教師レイチェルといえば、贋作村を新しく経営する細々とした事務手続のために、まともな者から怪しい者まで、各種の関係筋を飛び回っていた。その成果もあってか、あの突然の落雷があった未明に現れた、チャイニーズ・マフィアはぴたりと成りを潜めていた。
「けどさ、あの日以来、ロンドンの街中を騒がしていた”連続切裂魔事件”までがぴったりと止ってしまったんだから驚くよな」
朝日がまぶしく差してくる、シティ・アカデミアの自分のアトリエで、相棒のパトラッシュに話しかけながら、キースは手にしたタブロイド紙の記事をを隅から隅まで探してみた。
「やっぱり、どこにもそんな話題は載ってないなぁ」
イヴァン・クロウ……。ゼファー1100のスピードのままに咽喉を切裂いてくる連続殺人犯。
「あいつもグレン男爵みたいに、どこか、別の街に行ってしまったんだろうか。そりゃあ、殺人犯が町からいなくなるっていうのは有り難いことだけど……」
少し気がぬけたような気分で、入れたばかりの珈琲をすする。
ってことは、用心棒になってくれるっていう俺との契約は、もう、なしってことなのかよ。
そんな風に考え込んでいた時、
「キース、ミルドレッドが出発するから、早く玄関に出てきてよって!」
アトリエの向こうから、シティ・アカデミアの生徒の声が響いてきた。
「いけね、もうそんな時間だったのか」
キースはパトラッシュを伴って、足早にシティ・アカデミアの正面玄関に向かっていった。つい最近、ミルドレッドから、聞かされた突然の話には彼も驚いてしまったのだが、彼女は絵の勉強のために、これから欧州を中心に世界各地を歴訪するのだそうだ。
何でまた、そんな壮大な計画を思いついたかは知らないが、彼女の家にはふんだんな資金もあるし、美術に関しての広いコネクションも世界中に持っているんだから、まぁ、良いのか? と、キースは思う。それに、いつ、あの東洋マフィアがまた、暴れ出すかもしれない。こんな場所にいるより、外に出ている方がずっと安全かもしれないし。
キースとパトラッシュが、シティ・アカデミアの正面玄関に出てきた時、ミルドレッドが乗った黒塗りのリムジンは、すでに沢山の見送りの生徒たちに囲まれていた。
「キース、パトラッシュ!」
彼らの姿を見つけたミルドレッドが、リムジンの窓越しに大きく手を振る。それに答えて、青年画家は小走りに彼女の元へ駆けて来た。
「ミリー、急な話で驚いたけど、元気で。最初に行くのはフランスだって? 羨ましいな。また、色々と話を聞かせてくれよ」
くわんと窓越しに頬をよせてきた、パトラッシュの頭をなぜながら、ミルドレッドは、華やかに笑う。
「キースも元気でね。グレン男爵から譲渡された贋作村を実際にうちの学園が経営するには、まだ時間がかかりそうだけど、レイチェルを出し抜こうって絶対に無茶はしちゃ駄目よ。私もなるだけ色々な情報を集めてきてあげるから」
キースは少し顔をしかめ、
「お前こそ、危ない真似はするんじゃないぞ……で、いつ頃、帰ってくる予定なんだ?」
「次に帰ってくるのは……3年後よ」
「えっ?」
淡々と言ってのける、黒髪の美少女に、青年画家は驚いたように琥珀色の瞳を向けた。
「……でも、一時帰国とかはするんだろ? その時は連絡くれよ。俺、空港まで向かえに行くから」
すると、ミルドレッドはすまし顔で、
「さあ、どうなかぁ。実は父のお得意先の中東の王族の息子が私を気に入っちゃって、今回、最初に行く国をフランスに決めたのは、その息子からの招きがあったからなのよ。彼、今、あちらに留学中なんですって。意気投合しちゃったら、もしかしたら、3年じゃ帰ってこれないかもね」
戸惑ったような青年画家の顔。ミルドレッドは、その反応にちょっと嬉しいような気分になった。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべると、窓から身を乗り出し、じゃあねと、その頬に軽くキスをした。
“次に帰って来た時には、こんなもんじゃ済ませないんだから”
キースにとっては意味不明な台詞を口元で呟いてから、ミルドレッドは、彼に右手を差し出し、
「私、この機会に外で色々な物を見たり、聞いたり、もっと、もっと、今の自分に足りない物を補ってくるわ。だから、キースも頑張ってね。そのためには少しくらい時間がかかっても構わないじゃない。焦らずゆきましょう。きっと、私たちは上手くやれるわ。そして、ピータバロ・シティ・アカデミアを手に入れるの」
キースは、へぇと驚いたように、リムジンの中から黒い瞳を向けてくる少女の顔に視線を向ける。
6月の朝の日差しが明るくミルドレッドの頬を照らしていた。3ヶ月前の寒い夜明けに、絵の中から抜け出してきた少年と一緒に、この場所でリムジンを待っていた彼女より、ずっと凛としたその表情。
「そうだな。けれども、俺はそう長くは待っていられない。なら、俺はミリーが帰ってくるまでに、色々な段取りをそろえて準備万端にしておくよ。だって、レイチェルが色々と動き出しているこの機会を黙って見ているわけにはゆかないだろ?」
ミルドレッドが差し出した右手を、自分の右手で握り締めると、キースはこう問うた。
「なあ、ミルドレッド、俺がこの学園と契約した時に言った言葉って、お前はまだ覚えてる?」
動き出したリムジンのせいで、ミルドレッドにはその答えを返すことができなかったが、リムジンの後を追って走ってゆくパトラッシュの姿を見つめながら、
「俺は、将来、ピータバロ・シティ・アカデミアと聖堂美術館を手に入れる男なんだってこと」
青年画家は胸がすくような笑みを浮かべて、そう言った。
【贋作者のテクニック ~完~】
*本編の後に、イヴァン・クロウの正体にかかわる短編を掲載しています。その後に、最終章に入りますが、ミルドレッドとキースの行き着く先は? さて、どうなりますことやら。もう少しお付き合いくださると有難いです。 by RIKO
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