第3話 KAWASAKI ZEPHYR1100(カワサキ ゼファー1100)

 襲ってきた男の上に馬乗りになりながら、キースは心配げにミルドレッドの後姿を見つめる。だが、腕力では到底敵わず、じきに男に体をはじき飛ばされてしまった。銃口が自分に向けられた時、青年画家は、強く唇を噛み締めた。

 

 こめかみに当てられたピストルの銃口が冷たすぎる。

 カチリと引き金を引く音。


 冗談じゃないよ! こんな所で、理由も分からず撃ち殺されちまうなんて……、


 脳裏に、飛び出してきた田舎のうららかな風景が走馬灯のように浮かんでは消える。こら、俺、追憶してる場合なんかじゃないんだぞ。

 ところが、瞼をぎゅっと閉じた時、


 “わぉん!”


と、聞きなれた声が、キースと彼を捕えた男の頭の上から響いてきたのだ。とたんに目の前が真っ暗になる。すると、ぺろりと暖かい感触を頬に感じてしまった。


 え? 


 そっと、目を開く。


「……パトラッシュ?」


 目前にいる茶色と白毛の中型犬。黒い瞳がくるくると嬉しげに輝いている。隣に目を向けると、寸でのところで、彼の相棒にタックルされて、下敷きの憂き目にあった男が失神状態で路上に転がっていた。


「……でも、何で、お前がこんな場所に……今日は留守番だって、学園においてきたのに」


 シティ・アカデミアがあるピータバロ市は、ここから車でだって、1時間近くかかるんだよな……。


 だが、パトラッシュは、

“くわん”と、一声吠えてから、近くに止まっていた軽トラックの方に鼻面を向け、得意げに尾を振った。


「まさか……お前、あの軽トラックをヒッチハイクして、俺たちを追いかけてきたって言うんじゃないだろうな」


 しかし、にわかに信じ難い顔の飼い主に、彼の相棒の中型犬は、


 “くわん”


 と、もう1度、元気な声をあげてみせた。


* *


 一方、キースに促されるままに逃走したミルドレッドは、四方を東洋マフィアとおぼしき敵に囲まれて、絶体絶命の状態に陥っていた。キースは大丈夫なのかという心配と同時に、自分だってどうなるか分らないという不安が心に湧きあがってくる。

 辺りを見渡してみても、広すぎる敷地の林の向こうに見えるグレン男爵の館には、ここの騒ぎは聞こえないのか、助けがくる様子もない。逃げなければという気持ちと裏腹に、状況は彼女に絶対不利になりつつあった。


 男たちの手がミルドレッドに伸びてくる。


「嫌あっ、誰か、助けて!」

 

 追い詰められたお嬢様。


 ……が、その瞬間、目が覚めるような鮮血が彼女の前に飛び散ったのだ。


「……!」


 驚きで声も出ない少女の腕を、咄嗟に背後から引く強い力。

 そして、前のめりの姿勢から、路上に倒れてゆくマフィアの姿に向けられるミルドレッドの視線を遮るように、黒い車体が割り込んできた。


 けたたましい空冷直列4気筒のエンジン音。

 黒い曲線を描いたボディと、その車体の側面に書かれた文字は、


 KAWASAKI ZEPHYR1100(カワサキ ゼファー1100)


 日本製のバイク?


 だが、ヘルメットを取り、唖然とするミルドレッドに視線を向けた、そのライダーの髪は、深い亜麻色。そして、赤みががった瞳の色は、この世のものとは思えぬ悲哀を秘めた灰色をしていた。


ミルドレッドは、突然現れた不穏な姿に目を瞬かせる。


「だ、誰?」


 彼女の視界がヘルメットで遮られたのはその直後だった。

「ちょ、ちょっと、これ、何のつもり!」

 男は言った。

「死にたくないなら、さっさと乗れよ」


「……」

 

 死にたくないわよ。でも、こいつもかなり危い……。


 だが、次々にマフィアたちが近づいてくる。迷ってる暇なんかあるもんか。ミルドレッドは、彼女の頭にはかなり大きめのサイズのヘルメットをつけたまま、ゼファーの後部座席に乗った。


「しっかり、つかまってろ!」


 と、ライダーの男はアクセルを回し、そのバイクのギアを上げた。

 エンジン音を吹き上げながら、チャイニーズマフィアに突進してゆく。

 もうもうと吹き上がる砂煙。その中にバイクの姿を紛れ込ませても、遠慮なく正面から撃ち込んでくる敵からの銃弾を、車体を倒して避けながら、彼らの背後に廻る。

 あやうく、後部座席から落ちそうになって体を傾けたミルドレッドに、乗り手の男は声を荒げた。


「バイクの重心を変えるな! お前は荷物みたいにまっすぐ座っていろ」

「荷物って失礼な……」

 ……が、ミルドレッドがその台詞を言い終わらないうちに、


「啊!」 


 空気を引き裂くような幾つもの中国語の悲鳴が響いてきたのだ。すっぽりと被せられているフルフェイスのヘルメットのせいで、その様子はつぶさには見ることはできない。が……、

 バタバタと、目前で倒れてゆく男たち。そして、足元に飛び散ってきた生暖かい感触。バイクから振り落とされては堪らないと、しっかりと前にいる男の腰にしがみついたものの、ヘルメット越しに、ミルドレッドが垣間見た光景は、生のサスペンス映画みたいだった。


 ゼファー1100のスピードに合わせて、切り裂いてくる! 手にしたナイフで!


 ぞっと、背筋に冷たいモノが通り過ぎてゆく。

 そういえば、今朝のタブロイド誌にこんな記事が……


 “切裂きジャックの再来か! 今、ロンドンに横行する連続殺人事件”


 その見出しが、ミルドレッドの脳裏を稲妻みたいに通り過ぎていった。


 ちょ、ちょっと待ってよ。……もしかして私……その切裂きジャックのジュニアだか何だかわからない奴の後ろに乗ってるの。

 これって、もしかして、東洋マフィアなんかより、ずっと危ないんじゃ!


 やがて、一通りのマフィアたちが倒れて動けなくなってしまったのを見極めたライダーの男は、薄く笑うとナイフをブーツに装着した鞘にしまい、ゼファーをくるりと回転させた。そして、ヘルメットの少女を乗せたまま、一気に通用門の方向へバイクを爆走させていった。


 徒歩でゆうに30分もかかりそうな距離を5分もかからず、走りつめてしまう。すると、通用門で、門番が大の字になって道路にそっくり返っているのが見えてきた。

 ミルドレッドはもうヤケクソ気味でバイクの男にまくしたてた。


「ちょっと、あの男もあんたが殺ったの!」

「冗談じゃない。あれを殺ったのは、さっきの奴らの方だ」


「どっちだって一緒じゃない! もうっ、キース! どうにかしてーっ!! みんなイカれちゃってる!」


 その台詞がよほど可笑しかったのか、バイクの男が背中で笑っている。けれども、そんな少女の雄叫びは、けたたましいバイクのエンジン音にあっという間にかき消されてしまった。

      

 

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