第5話 クリスマスイブ

 描きかけの肖像画を掲げあげながら、キースは恐る恐る館の中へ入っていった。割れた花瓶のガラスの欠片が、顔の横をかすめてゆく。


「アンナ、止めてくれよ! 俺は、お前と喧嘩するためじゃなくって、肖像画を仕上げに来ただけなんだから!」


 それでも、風は止まらない。頭に向かって飛んできた燭台の蝋燭をキースがぎりぎりで避けた時、


 “だって、だって駄目なのよ。止めたいと思っても、あのエクソシストの”結界“に、私の霊力がアレルギーを起こしちゃって、どうにも止まらないのよ!”

 

 どこからともなく、泣き出しそうな幽霊の少女の声が響いてきたのだ。


 結界にアレルギーを起こすって?


 知らなかった……幽霊のポルターガイストが、アレルギーで悪化するなんて……。


 そうこうするうちにも、様々な家財道具が飛んでくる。青年画家は物凄く焦った。その時、彼のポケットをパトラッシュが強く引っ張ったのだ。


「パトラッシュ?」


 キースの脳裏に、エクソシストの教会から持ってきた品のことが浮かび上がったのは、その瞬間だった。


 そうだ、この人形……

 まさか、これって、アンナの館に結界を張るためのエクソシストの悪魔祓いグッズ? 


 何だか嘘っぽいと思いながらも、キースは、ええっと、こういう場合は効果を解除できる呪文を唱えればいいのかと、一瞬、悩む。けど、あの神父の言ってた台詞で、俺が知ってるのって、


「悪霊、退散!」


 その台詞の直後に、青年画家は即、後悔した。


“キースの馬鹿っ、私は悪霊じゃないって言ってるのに!”

 

 また、花瓶が一個、飛んできたからだ。それを避けながら、キースは弱り切る。あの神父が言ってた他の台詞……台詞、ええい、なら、これでどうだ!


「父と子と聖霊の名において、父なる神へ信仰の告白をせよ! 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛せよ!」


 すると、ぴたりと風がやんだのだ。

 やがて、キースとパトラッシュの目の前に白いドレスに赤い上着を着た小さな少女が姿を現した。

 本当に冗談みたいだと思いながらも、青年画家はほっと胸をなでおろす。 はぁと床に座り込んでしまった一人と一匹に幽霊の少女は言った。


「本当にクリスマスが終わるまでに、肖像画を描いてくれるの? 本気なの?」


「そのつもりがなかったら、こんな危ない場所にまた来るもんか!」


* *


 アンナを埃だらけのクリスマスツリーの前に座らせ、キースはキャンパスに向かった。前に描かれた11枚の肖像画は、どれもこれも、このクリスマスツリーを前にして描かれている。

 埃まみれで、ボロボロで昔の見る影もないツリーだが、そこは想像力にモノをいわせて、同じようなタッチで、他の物とイメージを変えないように描かなければならない。

 絵筆を握り、アンナの顔を見つめて思わずつぶやく。


「顔色が悪いなあ」

「仕方ないでしょ、幽霊なんだから」


 蒼ざめた少女の表情に、そりゃそうだと、少し考えてから絵筆を動かし、肖像画の頬に淡いピンクをおいてみる。すると、とたんに肖像画の中に華やいだ空気が広がりだした。


 へえ、やっぱり可愛い


 小リスみたいな大きな瞳の少女が、こちらを見てる。キースはちょっと、その絵の中のアンナの姿に魅せられてしまった。


 生きている時はさぞや、愛らしい少女だったんだろうなあ。


「何? 何で、うるうるしてるの」


 アンナが首を傾げながらキャンパスの傍にやってきた。自分の絵をじっと見つめている。すると、ぽろぽろ涙を流し始めた。


「ど、どうしたんだよ? 泣く事なんて何もないだろ」


 俺の描いた絵が下手だからとか、さっきのアレルギーがまた出てきたとか、そういうんじゃないよな。キースは、少しうろたえながら、アンナの顔を覗き込んだ。


「生きてる頃を思い出した。パパがいて、ママがいてクリスマスには暖かい暖炉が燃えてて……でも、今は誰もいなくて、私の手はこんなに冷たくて……」


 なす術もなく見つめるだけのキース。すると、いきなり、アンナが自分の腕の中に飛び込んできた。驚いて彼女を支えたもの何だか、哀しくってたまらなくなってしまった。


 冷たすぎるよこの子の体。


 いくら幽霊だって、震えながら泣いている小さな女の子を突き放す事なんてできるもんか。ふうっと一つ、息を吐き、キースは思い立ったように両手でそっとアンナを包み込んだ。


 もう、いっか。ずっと、こうしていても……今日はクリスマスイブだもんな。


 キースは、そっと目を閉じた。そして、アンナは、うふと、はにかんだような笑顔を頬に浮かべた。


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