第2話 悪霊退散?!
誕生日プレゼント? 12回目? って事は……。
……が、その時、
“父と子と聖霊の名において、父なる神へ信仰の告白をせよ! 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛せよ!“
高らかで、おまけに耳障りな大声が外から響いてきたのだ。今度は何ごとだと、キースは、そうっと玄関脇の小窓から外の様子を覗ってみる。
すると……館の玄関前に、無駄にでかい背丈の男が立っているではないか。
キリスト教の聖職者たちが、ふだん着る丈の長い服 ― アルバ ― の上に白い上衣を羽織り、手には不自然に大きな十字架を掲げ持ち、どう見ても“いい人”には見えない、強面の顔がまえの、その男を見て、
「また、えらく胡散臭い奴が門の前まで来てるぞ……待てよ。あの男、前にシティ・アカデミアの事務所で見た事があるぞ。あの時は、レイチェルと骨董品の価格交渉をしていた。聖職者のくせに、えらく業突く張りな男だなと俺はムカついたのを覚えてる」
一寸、言葉を止めてから、キースは、アンナの方に目を向けて、
「あいつ、知ってるぞ! 町外れの教会の神父だろ」
「あれは“エクソシスト”よ! あいつって最低! だって、最初は親切そうな言葉で話しかけてきたくせに、この肖像画のことを知った後は態度を一変させて、私を祓おうとしつこく館にやって来るんだから」
「エクソシストぉ? あの“悪霊祓い”ってやつか。あいつって、胡散臭いと思っていたら、そんな稼業にも手を出してんのか」
でも、それって……エクソシストが出てくるって事は……
この娘って、あ、悪霊ぉ?
「あのねっ、この私の顔を見てよ。そんなわけないでしょっ」
少女の幽霊は心外だと言わんばかりに、くすんと首を横に振った。
拗ねたようなその仕草がやけに可愛い。だが、キースは、その邪念を無理矢理に心から振り払った。
待て、待て。この子は幽霊。それに、俺は、決してロリコンなんかじゃないんだから。
まぁ……そんな事は置いといたとしても、あんな男がやって来るなんて、やっぱりどこか胡散臭い。
「でも、それなら、どうしてエクソシストがここに来るんだよ」
「だって、最初は普通の神父さんかと思ったから……あいつ、あれでも霊感があって、やけに親切で……でも、それって私の肖像画を手に入れるための口実だったのよ」
「肖像画って、あの11枚の肖像画の事か」
「私のお父さんってね、かなり名のある画家だったらしいの。でも、私にはくわしいことは何も教えてくれなかったんだけど」
アンナの言葉に、キースは足元にいる ― 相棒 ― パトラッシュと、なるほどねと、目を目を交わした。別に何かを語り合うわけでもないが、お互いに意思疎通ができているような気がするから不思議なものだ。
「この子の父親が有名画家だったとすれば、その人が描いた絵なら、相当な高値がつくだろうからな」
……で、その肖像画の売り先がレイチェル……表向きは名門、裏は窃盗団のピータバロ・シティ・アカデミアの女教師ってわけだ。あの女もろくな商売してないなあ。
にしても、有名画家? ……それって、誰なんだ?
その時だった。
“悪霊退散! すべからく、この場から立ち去るべし!”
その声と同時に、アンナの体が広間の壁まで吹っとんでいった。その体は壁を通り抜けるわけでもなく、痛々しく壁に打ち付けられた。
「おいっ、大丈夫か!」
「くすん……私、このままだと、いつかあいつに祓われてしまうわ」
床の上にうずくまり、ぽろぽろと涙をこぼしている少女。キースは、その姿を見つめているうちに、無性に腹がたってしかたがなくなってしまった。
幽霊だから死にはしないだろうが、こんな小さな女の子を虐めるなんて本当に最低だよ!
“悪霊退散! 悪霊退散!”
うるせぇなと呟いてから、キースは玄関に歩み寄る。そして、扉をばんと開いて叫んだ。
「近所迷惑なんだよっ! 坊主は、こんな所でわめいてないで、おとなしく教会でお題目でも唱えてろっ!」
叫んでいた神父はきょとんと目を瞬かせる。
「お前……誰だ!」
「誰って、ただの画家だよっ」
「さては、悪霊の下僕か。お前、神に背いて魂を悪魔に売り渡したな!」
こんな奴と、まともに話なんかしてられない。
キースはこそっと、隣に控えている相棒に何かを耳打ちした。その瞬間、
くわん、くわんっ!!
激しく吠えながら、パトラッシュがエクソシストに襲いかかっていったのだ。
「うわぁっ! 地獄の番犬ケルベロス!」
どう妄想すれば、パトラッシュがそんな風に見えるんだよと、キースは、せせら笑らった。
すると、“覚えておけよ!”と、捨て台詞を残した神父は、地獄の番犬に追いかけられて、あたふたとその場を去っていった。
* *
「あ~あ、口ほどにもない奴」
あっちの方はパトラッシュに任せればいいやと、キースは、泣きべそをかいているアンナに、困ったように視線を向けた。
「泣くなよ……幽霊が泣いてると、よけいに悲しい感じがする。とにかく、話くらいは聞いてやるよ……何で、今年の12月25日までに、肖像画を描く必要があるんだ? それを描いたら、何がどうなるっていうんだ」
……が、青年画家の真摯な琥珀色の瞳は、止まっているはずの幽霊の少女の心臓を、またも、高鳴らしてしまうのだ。
「ク、クリスマス ― 12月25日 ― が、私の誕生日だった。……画家だった私のお父さんは誕生日ごとに私の肖像画を描いて、それを館の大広間に飾ってくれたの。けれども、体が弱かった私は、11歳で死んでしまった。12番目の肖像画ができあがる前に」
アンナは目の前の若い画家に懇願した。
「私だって、こんな寂しい洋館に、いつまでもいたいわけじゃないの。でも、私は12番目の肖像画が見たかった。その思いが邪魔をして、私にはいつまでも天国の門が開かないの。だから、お願い! 私の肖像画を描いて。今年の12月25日を逃してしまったら、私はまた来年のクリスマスまで、この世をさまよう事になる」
やっぱり、そんなことかと、青年画家は、ふうっと一つ息を吐く。けれども、
「40年も前にお前は死んだんだろ。何で今頃、俺にそんな事を頼むんだよ。それに、あのエクソシストのことだって、館に引き込むなら、もっと真っ当な奴にすればよかったのに」
「……引き込むなんて、そんな言い方ってないわ! 私は、むやみに生きてる人に害をあたえるなんて、そんなひどい事はしないわよ」
「そう? それを聞いたら、一安心だ。……じゃ、俺、もう帰るから」
強気な態度をとってはいたが、正直言って怖かった。どんなに可愛かったって幽霊は幽霊だ。こんな場所からはさっさと出て行ってしまおうと、戻ってきたパトラッシュを伴って館の玄関に向かおうとした時、
「待ってよ!」
その声とともに、館の扉が勝手にばたんと閉まった。ひゅうと吹き込んできた冷たい隙間風が、青年画家の頬をすり抜けてゆく。
「この40年間に、私はあなた以外にも、何人もの画家に肖像画を描いてもらった。けれど、駄目だったのよ。どれもこれも、何かが足りなくて……」
館に閉じ込められてしまった状況にどきどきしながらも、キースはちょっと驚いてしまった。幽霊の肖像画を描く奇特な奴も世間にはいるんだなと。すると、再び、アンナが言った。
「40年間、誰一人として、私が満足のゆく肖像画を描いた画家はいなかった」
それがキースの画家魂に火をつけてしまったのだ。
40年間もか、面白い……って事は、この幽霊に認められたら、俺の絵は確かな価値があるって事なんだな。
「分かったよ。描いてやる! ……肖像画だったな。だから、もう泣くなっ!」
そうと決めると怖さなんかより、絵を描く事に没頭してしまう性格だ。持ってきた絵具の入ったキャンバスバックをアンナの前にどさりと置くと、キースは、取り出した鉛筆で白いキャンバスにさらさらと少女の輪郭を描きだしだ。
「ただし、今日は下書きだけ。残っている仕事を片付けないと、レイチェルにまた、どやされる。クリスマスにはまだ2日あるだろ、だから、とりあえず今日は俺を帰してくれ」
「ちゃんとここに戻ってくる? 約束できる?」
「戻ってくるよ」
空でしたようなその返事に、アンナは頬を膨らませたが、
「戻ってこなかったら、呪ってやるんだから!」
可愛い顔で少女が言った怖い言葉。ぴたりと鉛筆をもった手を止め、キースはお愛想程度の笑顔を作る。でも、なんだか不安になってしまった。
「さっき悪霊じゃないって言ったじゃないか!」
「だって、それが幽霊の専売特許だもん」
専売特許ね……。
その時、街の教会の鐘楼の鐘が午後7時を打った。
それと同時に、暗い館の中に、ぽっぽっと蝋燭の炎が勝手に燃え立ち、埃まみれのクリスマスツリーを照らし出した。色が剥げ落ちたガラスの玉飾りが仄暗い光を放ち、陰鬱な風景の中に立っている少女の姿が、その中で寂しげに揺れた。
「今日はこれでおしまい。じゃ、俺はもう行くから」
出来かけの肖像画。それを手に持ち、不安げなアンナに、一時の別れを告げて玄関を出た時、キースは少し後ろめたいような気分がした。
枯れた蔦にびっしりと覆われた、寒々とした洋館。
いくら幽霊でも、こんな気色悪い場所に小さな女の子を一人っきりにしてもいいのか……
肖像画の下書きをしている間中、パトラッシュの頭をなぜながら、はみかんだような笑みをこちらに向けていたアンナ。
目茶目茶に可愛いかったんだよなあ。
……が、
駄目駄目っ、変な心を持っちまったら、こっちまであの世に引き込まれちまうぞ。肖像画が描けたら、あんな幽霊とは、きれいさっぱりお別れなんだから。
そう自分の心に言い聞かせて、青年画家は、古い洋館から出て行った。
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