自信

 部屋の扉をノックする音が聞こえる。重厚な扉越しに響くカツカツといった音は少し浮かれ気味のシャナンの意識を一気に現実へ引き戻した。音の主が誰かは検討がつく。侍女達も同様なのだろう、ノックに応じて、近くにいる侍女が扉を開ける。

 開かれた扉の先には同じく軍人としての礼装を纏ったオリアンヌがいた。

 

 オリアンヌはうやうやしくシャナンに敬礼し、シャナンに時を告げる。


「シャナン様、そろそろお時間です」


 敬礼の終わりと同時に、オリアンヌはシャナンの礼装を見て感嘆した声を漏らす。その声はシャナンに対する敬意と美貌を称える声であった。


 シャナンは思う。


 オリアンヌは綺麗な女性だ。その彼女が感嘆するならば、今の自分はそれなりの格好に見えるに違いない。先ほどまで鏡の前で自分の姿を自己評価していたシャナンは自らの見栄えを確信してグッと拳を握りしめた。


「凛々しいお姿です。流石は勇者です。ご準備は万端の様ですね」

「ありがとう、オリアンヌ。じゃあ、みんな、行ってきます」


 オリアンヌに促されたシャナンが次女たちに出発を告げて歩を進めると、その内の一人がスッと前に出てきた。手には小さなポーチを持っている。

 

「あ、お待ちを……シャナン様。最後のお化粧が残っております」


 侍女は手持のポーチから白粉おしろいを取り出してシャナンに薄く化粧する。最後に、薄紅色のリップを唇に塗る。


「如何ですか? シャナン様」

「えぇ…これが、私?」


 初めての化粧で彩った自らの顔に目を丸くする。こんなにも綺麗になるなんて、シャナンは思いもよらなかった。


「それでは、いってらっしゃいませ。シャナン様」

「うん。ありがとう。行ってきます!」


 二人は侍女たちに見送られ、部屋を後にする。シャナンは先程までアルフォンスに対して抱いていた不安も忘れ、軽いステップで歩き出した。

 

 その後、二人が去った部屋は侍女たちによるシャナンとオリアンヌの品評会であった。これも女性ならではの楽しみなのだろう。二人がこれから会合する政治的な舞台など関係無いとばかりにかしましい話題で持ちきりとなった。


 ─

 ──

 ───

 二人が歩く先に、その男はいた。腕を組み険しい顔をして進み行く二人を睨んでいる。男は二人に声が届く距離となると大きな声で言い放った。


「勇者シャナンよ。待ち兼ねたぞ。いつまで私を待たせる気だ!」

「も、申し訳ありません、カプラン殿下」


 第一王子のカプランはイライラした面持ちでオリアンヌとシャナンを怒鳴りつける。その怒りに対して、オリアンヌが謝意を述べた。だが、オリアンヌがシャナンに代わって謝る事に納得のいかなかったのか、カプランの怒りに油を注いだ。


「オリアンヌ! 貴様には言っておらん。私は勇者シャナンに言っておるのだ。割って入るなど、おこがましいぞ!」

「申し訳ありません! 殿下、ですがまだ調印式まで時間が……」

「何度言わせる気だ! 貴様は黙っていろ!」


 カプランの強い言葉にオリアンヌは萎縮する。二の句が継げない。これ以上は不興を買ってしまう。

 オリアンヌの家はセシルの実家であるシャーヒン家の陪臣であった。そのシャーヒン家は第一王子派の筆頭貴族でもある。そのような立場の者が王国の──それも第一王子の──覚えが悪くなることはオリアンヌだけでなく家全体で損失を被ることになりかねない。自分の行いが父や兄に迷惑を掛けることを考えると、オリアンヌは黙るしかなかった。


 無言を貫くオリアンヌを他所にカプランはシャナンに怒声を浴びせる。幼き少女には聞くに耐えない罵詈雑言ばかりだ。

 シャナンは袖を掴み、ただ時が流れることを待つしかなかった。


 そもそも、カプランは『遅い』と言っているが、別段シャナンが遅れたわけでは無い。寧ろ、カプランが無駄に早過ぎたのだ。


 カプランは焦っていた。


 彼は、弟であるアスランと自分との間にある実績の差に焦っているのである。カプランは兄であり、王位継承権からすると、第一位である。だが、第二位のアスランを推す貴族の数は少なく無い。

 当然ながら、彼を推す貴族も有力貴族のシャーヒン家を筆頭にそれなりにいる。だが、カプランを推す者は利に聡い貴族が多い。言い換えれば、カプランをダシにして甘い蜜を吸おうとする者が多いのである。カプランのと悟れば、あっさりと手の平を返すに違いないと彼は考えていた。


 だからこそ、カプランはザンビエル王国との同盟締結の躍起になっているのである。失敗は許されない。何としても同盟を成立させなくてはいけないのは、彼の使命だけでなく、存在意義を示しているからであった。例え、それが弟が呼び出した気に入らない勇者小娘の力を借りようとも、だ。

 

 怒りの感情を放出させきったのだろうか。カプランは軽く肩で息をした後、ポンとシャナンの肩に手を置く。


「多々申したが、これは貴殿のためでもある。勇者たる者、国の代表として振る舞わねばならぬ。だからこそ、些事さじとは言え、気を引き締めて欲しいから強く申したのだ。分かってくれるな?」

「……はい…殿下…」


 カプランの怒りが治ったとは言え、シャナンの心は悲しみで暮れていた。

 泣いてはいけない。せっかく着飾った衣装が涙で濡れてしまう。それに薄らとはいえ、化粧をした顔が崩れてしまう。シャナンはカプランのどうでもいい気休めの言葉を振り払い、若干赤い目を軽く拭って前を向いた。


「では、行くぞ。ついて参れ、二人とも」


 カプランはオリアンヌとシャナンを後にしてサッサと前に歩き出す。二人はカプランの後をただただ無言で歩く他なかった。

 先ほどのカプランの怒りにより意気消沈したのか、二人は暗い顔をして無言で歩く。一方、カプランは女性の歩みを理解していないのか、二人を無視してドンドン先に行ってしまう。そして、距離が離れた二人に怒鳴り声を浴びせ、先を急がせる。言われて二人は駆け出してカプランに追いつくが、彼はまたドンドン先に行き、怒声を浴びせ掛けた。


 無言が続く。シャナンはオリアンヌに何か話して欲しかった。カプランに怒鳴られることも嫌だが、二人の間に静寂が流れる暇が気分を一層暗くした。自分から会話の糸口を切り出そうかとシャナンがオリアンヌの顔を見ると、彼女の瞳が薄らと濡れていることに気付いた。


「オリアンヌ……どうしたの?」

「シャナン様…お許しください。私が…不甲斐ないばかりに…」


 カプランの怒声が響く。だが、そんな声よりも目の前の女性の涙がシャナンの心を掻き毟る。何故、自分が謝られるのだろうか。シャナンは謂れのない謝罪に何か自分がオリアンヌを悲しませることをしたのだろうかと不安になった。


「シャナン様…私は…あなたがカプラン殿下に叱責されている時……何もできませんでした。イエ、それよりも道中であなたを護衛する役目なのに、賊に捕われて迷惑を掛けてしまい……私は…自分の非力さが…情けなく…」


 ──同じだ。あの時の自分と同じ感情だ──


 シャナンはオリアンヌが感じている感情を自分も味わったことがあると思い出す。以前、フォレストダンジョンで自分が何の役にも立たない存在だと思い、自信を無くしていた時があった。仲間の活躍の裏で自分は何の力にもなっていなく、落ち込んでいた時の自分の気持ちと同じなのだ。

 

 オリアンヌの顔を見る。大人びた言葉遣いや態度を取るが、年齢的には二十歳に満たない。まだまだ幼さが残る年頃なのだ。

 しかし、オリアンヌは少ない小隊の隊長である。若輩ながらも隊長を任ぜられる身であれば、無能とは程遠いだろう。だが、実の兄が優秀すぎるのか、旅の道中の会話では、言葉の端々に若干自虐気味な言い回しをシャナンは感じていた。

 

 実の兄へのコンプレックスと度重なる失敗で心が折れてしまったのだろう。いつもの気丈さが無くなり、オリアンヌは頼りない雰囲気を醸し出す。


「私は……やはり兄の様には…」

「オリアンヌ! 大丈夫よ。自信を持って!」

「シャ、シャナン様?」

「オリアンヌは立派だよ。私も学級委員長だったから、分かるもん。あんなに多くの人をまとめるオリアンヌがダメな訳ないじゃない!」


 シャナンの強い言葉にオリアンヌは心を打たれる。如何に勇者といえども、自分の妹よりも小さいだろう子供に諭されることになるとは、オリアンヌは思いもよらなかった。


 その時、カプランが怒り心頭で近づいてきた。二人がカプランの声を無視し続けていることに堪忍袋の緒が切れたのだろう。赤い顔をして二人に詰め寄る。


「貴様ら! 何度言えば気が……」

「ごめんなさい! 殿下! 今行くからお待ちください!」


 突然シャナンが大声で言葉を返す。あまりの声の大きさに、カプランは虚を突かれて二の句を継げなかった。オリアンヌもシャナンの顔を見て目を丸くする。


「あ! カプラン殿下はお優しいので、わざわざ戻ってきてくれたのですか? ありがとうございます。私たちが歩くの遅いからごめんなさい」

「う、うむ……あ、ああ。そうだな。そうだとも」


 褒められて悪い気がしない。カプランは戸惑いながらも応諾の意を示す。カプランの顔を見て、シャナンは更に大きな声で返事をする。


「でも、大丈夫です! 気をつけますので、駆け足で行きます! 行こ、オリアンヌ!」


 シャナンはオリアンヌの顔を見て合図をする。そして、手を引っ張り、強引に駆け出した。


「シャ、シャナン様? あ、あの……」

「行くよ! オリアンヌ! でないと、置いていくよ」


 小さな手に引かれる自分の手を見て、オリアンヌは己の小ささに少し恥じ入る気持ちとなった。それと同時に、何をウジウジしていたのだろうかと、気を持ち直した。

 失敗しても良い、自分は兄とは違うのだ。それをこんな少女に教わるとは……そう思ったオリアンヌはかぶりを振る。

 

 いや、勇者だからこそ、かも知れない。オリアンヌはシャナンの手を強く握り、一緒に走り出す。その瞳には自己嫌悪の色は無い。前を向く強き女性の瞳であった。


 呆気にとられたカプランは二人の姿が見えなくなり、ハッとする。


「お、おい。お前ら! 私を置いていくなぁ〜!」


 二人を追いかけて、カプランがドタドタと駆け出していった。

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