第2話 闇の不思議サーカス団
無事に公演も終わり、私たちは眠りにつく。愛する娘が深い眠りについたのを確認すると、娘以外のサーカス団員は再びそのテントへと集う。夜な夜な噂を聞きつけた観客たちが、大金を支払ってその闇へと吸い込まれていく。
「さあ諸君、今宵もがんばろうではないか!」
落ち着いた声が響き、サーカス団の夜がはじまる。
レンフィールドが打つ鞭の音を皮切りに、望んで舞台に上がった観客たちが彼のもとへと跪き首を垂れる。
「打たれたい奴は金を詰め。」
そう口にすると観客たちは各々に小袋を差し出す。その中身を確認するたびに乾いた音が場内に響き渡る。歓喜に震える声、湧き上がる拍手。客の尻に、胸に、顔に、その鞭は飛ぶ。男だろうが女だろうが容赦はしない。
そしてその隣で、マリーは仕上げと言わんばかりに鞭打たれた客の顔に向けて高笑いをしながら放尿し、ジャックはそんな客の頭を掴むと客席に向けて放り投げていく。力ない人形のように、ぐったりと客が横たわる。そんな客を拾い上げたほかの客が、奥にあるプライベートルームへと消えていく。
一糸纏わぬ姿となったアーサーは蛇のように客席を練り歩き、その形のいい尻を叩いた客に向けて愛を囁いていく。ルーシーはその力をもって朗々と歌うように呪文を唱え客から金を引き出していく。
ジョナサンは別室で逃げ出そうとする客を監視しており、リーは愛する娘がその目を覚ますことがないよう、彼女を抱きしめその香しい匂いを堪能する。愛する妻に似てその匂いはとても甘美なものだった。
光り輝くものには、必ず深い闇がある。そう父から、祖父から、はるか昔の先祖から教え込まれてきたこの闇は今も根深く残っている。
正統派なサーカスだけでは、どの時代でもとてもやってはこれなかった。どの国にも、金のある奴は大勢いる。そしてどの国にも、人々の心が満たされるような娯楽はなかった。サーカスはその人々の心を満たした。そのぶん、団員たちの懐も満たしていった。
リーもその教えに従った。しかし、次期団長になるであろう娘にそれを押し付けることは愚か、その目に映すこともしたくはなかった。腕の中で愛しい娘が身じろぐ、月の光に照らされた青白い肌が亡き妻を思わせる。あと二年、この子が大人になるまではこの闇は隠しておこう。そう数年前に誓ったものの、あどけない顔をして眠るこの娘に教えることができるのだろうか。
「おまえ、私はいったいどうすればいいんだ…。」
亡き妻に問いかけても、そよそよと風がそよぐだけだった。
ここ数年、決まって同じ悪夢を見るときがある。なぜか夜なのに私はサーカスに出ていて、いつもと同じような顔をしたレンフィールドに鞭打たれる夢を。幼いころから兄弟のように育ってきた彼が、いつもと同じ優しい顔をして私をひどく鞭打つとき、私の心は張り裂けそうになる。信じていたのに、と裏切られたような気持ちになる。現実の彼は決して人に鞭を向けたりはしないのに、獣のように唸る私に失望しているのか、その手は止む気配がない。
「レンフィールドやめて!」
私の声は彼には届かない。迷いなく服を破っていき、私の肌にまでその傷跡をつけるようになる。次第にその痛みは別のものへと変わっていき、それを認めたくない私は嗚咽をこらえながら彼を睨みつける。
「団長の娘だからって、甘えてるんじゃないよ!」
するとマリーの声がして頬をぶたれる。これは以前現実に起こったことだ。だいぶ前、私が綱渡りの練習をさぼった時に、叱られた覚えがある。でもその先は現実とは違う、次第にマリーの長い爪が首に食い込み私の呼吸は浅くなる。このまま絞め殺されてしまうのか、と思うと今度はジョンが私を抱きしめその唇を首元に寄せてくる。
「痛かったね、でももう大丈夫。」
もっと楽にしてあげるから、とその手にはいつも舞台上で軽やかに回しているナイフが握られている。彼を突き飛ばしてテントの外へ出ようと走ると、何かに躓く。その何かは倒れた私の体に絡みついて離れない。
「どう?僕の美しい体を間近にした気分は。」
悲鳴をあげて彼の腕に噛みつくと、アーサーは砂となって消える。そして頭の中にルーシーの呪文めいた声がこだまする。
「アカネ、わたしたちのアカネ。どこにもいかないで。」
そしてそこで目が覚める。気付くと全身汗をかいていて、手探りで部屋の明かりをつける。タオルを掴んでバスルームへと駆けこむ。体中のほてりがおさまらなくて、たまらず冷たいシャワーを浴びる。
「これは嫌な夢、そう、嫌な夢。」
そう自分に言い聞かせながら、全身の穢れを洗い流す。
そんな娘の様子をベッドの下で見守っていた父は、深いため息をつく。
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