CHAPTER EX4 -VALENTINE SPECIAL-
2122年、2月14日。その日が意味するものを知らない女子は、たぶんいない。分かっていて、知らんぷりを通すことはあるかもだけど。
◇
始業前、或いは休み時間中。恋とバイトに生きる華の女子高生達は皆、あらゆる手を尽くして意中の「彼」にチョコを送ろうとしている。
全く、ばからしい。あれを全部食えとでも言うのか。暗に糖分過多で死ねと言ってるのか。というか、バイト先に何しに来てんだお前ら。うちら駅前のカフェで働くウェイトレスやぞ。
「相変わらずモテモテだよねー、あいつ。で、
「……いい。別に、そんなに仲良いわけじゃないし」
隣でコーヒーを淹れている友人も、そんなことを口にしているが……私は無駄な戦いをするつもりなど毛頭ないのだ。いっぺん見てみろ、休憩室のテーブルに積まれた「
もはやピラミッドではないか。あれを築き上げる為に一体、どれほどの恋の奴隷が使役されたというのだろう。
私は違う。私は、あんな浮かれた連中とは違う。
現実を見て、一歩引いて、冷静に判断しているのだ。チョコなんて渡さなくていいと。
「あんたがいいってんならいいんだろうけど……そんなんじゃ、いつか取られちゃうんじゃない?」
「……別に、取るとか取られるとかないし」
だが、愚かなことに。私は、渡さないと決めていながら――制服のポケットに隠している、安物のチョコを震える手で握り締めていた。
昔馴染みの駄菓子屋で間に合わせた、300円の爆安チョコを。
長い付き合いの友人は、そんな私の真意を容易く看破しているらしく。眼前の景色から目を背けている私を、心配げに見つめていた。
ミディアムボブに切り揃えた私の茶髪を、無遠慮にわしわしと掻きながら。……やめろ、ハゲたらどうすんだよ。ていうか仕事中だぞ。
「またそんなこと言って、もー。舞香だってスタイルは良いんだから、絶対勝ち目はあるって。ホラ見せ付けてやりなさい、あんたの白くてスラッとしててほどよく肉感的でエッロい御御足」
「やめろスカート捲るなぶちのめすぞマジで」
「えー釣れないなー。……後悔とか、ホントにないわけ?」
「……ないってば」
何も言ってくれるな。素直さなどという概念は、とうに捨て去っている。そんな私には今のような姿がお似合いだ。
自分の気持ちに蓋をしている、惨めな姿が。
◇
刑事だった父が亡くなってから、
高校くらいは出ろとうるさい紗香姉の為に進学はしたが、大学生のバイト代だけでは限界があるだろう。何より、いつまでも紗香姉1人の収入に頼るわけにはいかないのだ。
――そういうこともあり。ピンクと白を基調とする可愛らしい制服に惹かれた私は、千住大橋駅前のカフェでウェイトレスのバイトを始めることになったのだが。
そこには、新人のレジ打ちとして入って来た「彼」がいたのだ。今の私には最も不要な「初恋」という感情を齎しやがった、「彼」が。
高校に入って間もない頃。紗香姉ほどではないにしろ、そこそこ見た目だけは良かった私は、あの
紗香姉とは違って、荒事なんてからっきしダメな私は、どうしようもなくて……そのまま車で連れ去られそうになったんだけど。そんな私を颯爽と救って、ホラ吹きのチンピラ達を簡単にやっつけてしまったのが、「彼」だったのだ。
その時のお礼として咄嗟に、300円の安いチョコを差し出したのが――私が唯一、「彼」に触れることが出来た瞬間であった。
「彼」は今、超イケメンで気さくな外国人だということで、同じバイト先の女子達だけでなく、客の主婦層からも絶大な人気を博している。こないだは確か、女性誌の記者が取材に来ていた。
……けど、今になって彼を囃し立てる連中とは違って。私はあの時からずっと、「彼」を知っていたのだ。
なのに周りの連中は、「彼」が目立つ場所で働き出した途端、ミーハー丸出しで「彼」を持て囃すようになった。
――そしてタチが悪いことに。そんな連中の方が、私よりもずっといいものを持っていたのだ。
休憩室のテーブルに積み上げられた、あの
あの中の誰と勝負しても、勝てる気がしない。
……そもそも今の私と「彼」の間には、大した接点もない。私にとって、あの日に見た「彼」の眩しい背中は、昨日のことのようだが……「彼」自身にとっては、
もし、「彼」にチョコを渡しに行って。「誰?」なんて言われたら。
そんなことを考えて、悩んで、出した答えがこれなのだ。だから、これは逃げじゃない。
戦略的撤退だ。勝てない戦いは、しないのだ。
◇
「……ま、これは紗香姉と2人で食べりゃいいし。元々そのつもりだったんだし」
一体誰に言い訳しているのか。頭の中がぐるぐるし過ぎたせいで、いよいよ私もヤキが回ってきたらしい。
私は結局、終ぞ「彼」と対面することなく帰路についていた。渡しそびれたチョコを手に、薄明かりに照らされた夜道を歩き、ぶつぶつと独り言を呟きながら。
女性の独り歩きなんて褒められたものじゃないが、生憎免許どころか自転車を買う金もないのである。なんとでも言いやがれ。
「……」
……なんとでも言いやがれ。どのみち私はバイト漬けの日々なのだ。遠くから、ちょっと目の保養をさせて貰うくらいで丁度いいのだ。
「……なんとでも、言いやがれ」
その時。
「いや、何をだよ」
近くでは、あの時以来聴いたことのない。だけど聴き間違いようのない声を、聴いた。
「……へ」
――それは夢だろうか。というか、夢であって欲しかった。
いつの間にか、隣で白いバイクを押していた「彼」が。困惑した様子で、私の顔を覗き込んでいたのだから。
「……っ!? なっ、なんっ……!?」
「……こんな遅くに1人で歩いてるし、いくら話しかけても反応ないし。マジでどしたんだよ、
一体いつから隣にいたのだろう。私が、当人のことを考えている傍らで。あかん。恥ずかし過ぎて死ぬ。殺してくれ。
――っ、て、え? 待って。今、私の名前……。
「あ、やっ……私、バイトで……」
「ははぁ、バイトか。……でも、こんな夜更けだし危ねえよ。ほらっ」
彼は私の動揺なんて意に介さず、颯爽とバイクに跨ると、親指で自分の後ろを指す。乗れ、と言外に告げていた。
無理があんだろ。こっちはあなたが現れただけで、心臓バクバクなんだぞ。段階を考えろ段階を。
ていうか、ちゃんと喋れ私。動け私の口。なにカマトトぶってんだ、そんなキャラじゃないだろ私。
「で、でも、ガソリン代……」
「ガソ……はは、そういうことね」
そんな私の胸中を、知ってか知らずか。「彼」は気にすんな、とは言わなかった。
私を乗せることによって消耗するガソリン代。それが気になって仕方ない私を、否定しなかったのだ。
すると。
「じゃあ……お代はそのチョコってことで、ここはひとつ!」
「え……」
「今日、チラッとだけど見えたんだわ。買っててくれたんだろ? 前にもくれた、駄菓子屋のヤツ!」
前にも。ひょい、と私からチョコを奪った「彼」は、前にも、と言った。
「あっ……」
……覚えてくれていた。私を助けてくれたことも、私がチョコをあげていたことも。全部……全部。
「オレも変に高いのより、そっちの方が落ち着くわー。てことで、よろ!」
「……もう」
相変わらずめちゃくちゃだ。初めて会った時から、変わらない。
バイクの後ろに跨がれば、眼に映る背中は眩し過ぎるくらいに逞しくて……かつてないほどに近くに感じる「彼」の温もりが、私を焦がしていた。
「じゃ、行くか。ちゃんと掴まっとけよー」
「……う、うんっ」
そして。
「彼」――フルアクセル・ドミニオン・ファイブスターさんと、再び言葉を交わして。あの時以来の、繋がりを持てた今。
過去の思い出のままで、止まっていた私の時間は――胸の奥で静かに、動き始めている。
◇
「ぶぅえっくしょんぬっ!」
「ジョン? 寒いの?」
「い、いや……大したことはないぞ、リック。お前が気にすることはない」
「えー、でも首回りとか寒そうだよ? ……そうだ! こないだ、パパにお裁縫教えてもらったんだよ! 今年のクリスマスは、ジョンにマフラー編んであげるね!」
「……そうか。すまん」
「ちがうよー、こういう時はありがとうって言うんだよ! パパが言ってたよ!」
「そうだな……ありがとう、リック」
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