ある教授の善意

 食糧問題。

 それは人間がこの世に生を受けてから、今の今まで付き纏ってきた問題だろう。人口が増加すれば食べ物が足りなくなって飢えが蔓延り、しかし食糧を十分に増産すれば人口が増え……この繰り返しはそれこそ野生動物の増減と同じであり、そういう意味では未だ人類は知的生命体の域に達しておらず、まだ野生動物の類だったのかも知れない。

 だが、その時代はもう終わりだ。


「……以上のデータから、この三ヶ国の人口は安定していると分かります。つまり百年前に発表された、フォーク氏考案の人口制御モデルは正しいと考えられるのです」


 学会にて、英語で自前の論文を読みながら、観衆の方に視線を向ける。

 この学会に集まったのは、誰もが権威のある教授達。彼等はいずれも真面目な顔で私の話を聞いてくれていた。中には顰め面の者も居るが、同じだけ興味深そうに聞いている者も居る。

 賛否両論と言ったところだが、学問とはそういうものだ。大きな討論なしに諸手を挙げて受け入れられるようなものは、科学ではなく宗教である。

 私が今回発表したのは、百年前に提示された人口制御モデルについて。

 二十世紀後半から、人口増加について問題視されていた。同時に先進国では、少子高齢化による人口減少が問題視されていた。人口を増やさず減らさず、というのはどんな国でも問題になっていた事だ。

 百年前に提示されたモデルは、このコントロールを可能にするというものだった。簡単に言えば補助金の出し方、そのタイミングについての論文。幾つかの国がこれを百年前に採用し、実施した。

 その百年間の人口変動を追ったところ、有意な結果が出た……と私は考えている。


「これにて発表を終わります。質疑は、ありますか?」


 話し終えた私が問うと、ちらほらと手が上がる。誰を当てるかは司会の人に任せた。

 一人の若い男性が指名された。


「リ・ヨンサムです。二十四ページ目にあるデータによると、二二五〇年代にカンボジアで、大きな出生率の低下が見られます。その後増加に転じ、マクレイ教授はこの増減を制御モデルによるものと考えているようですが……私は、この時に起きた天然資源の価格暴騰による社会不安が原因だと考えています。出生率低下前は人口増加傾向にあった以上、社会不安が落ち着けば人口増加に転じるのは当然ではないでしょうか?」


「お答えします。確かに資源価格暴騰前の人口変動は増加傾向にあります。ですが非常に軽度なもので、社会不安解消後の増加率はこの十倍ほどです。元に戻っただけとは考え難いかと」


「反動とは考えられませんか? 子供を作りたかったのに、経済的理由により我慢していた。その我慢が社会不安解消後に爆発した、と。この場合、この制御モデルが有効なのはそもそも人口増加傾向にある国だけとなります。その点はどう考えていますか?」


 質問してきたリ氏は、次々と私の論文について反論をぶつけてくる。

 こうした反論を受けると、自分の論文の穴に気付くというものだ。人間というのはどれだけ柔軟な考えを持とうと、『思い込み』からは逃れられない。何処かに必ず『きっとそうだ』が生じる。

 議論は自覚のない『きっとそうだ』を浮き彫りにし、自分に突き付けてくる。答えられたなら、論文の完成度が上がる。答えられなければ、論文の修正が必要になる。

 そうして論文は、より良いものとして完成するのだ。

 その後も様々な教授より質問を受け、私の論文は幾つかの修正を必要とされた。具体的には、この制御モデルは軽度の人口増加傾向にある国に対しては有効であり、人口減少傾向にある国に対しての効力は不明、といったものだ。

 効果が限定的になってしまったが、逆に条件に合う国ならば人口を抑制出来ると皆が認めてくれたとも言える。つまりほんの少しだけ、人は世界を変える方法を得たのだ。

 人口の制御が出来るようになれば、多くの環境問題・食糧問題が解決出来る。援助の手も回りやすくなり、食料品や医薬品、そして知能を劇的に高める第二世代デザイナーベイビー施術の『支援』も受けやすくなる筈だ。そして子供達が大人になった時、世界をより良くする解決案を閃いてくれるかも知れない。

 私達大人がすべきは、可能性の芽を摘まず、育む事。

 この発表で、ほんの少しでもその手伝いが出来たならば、私としては光栄の極みというものだ。

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