七通目 一陽来復の候

【一月一日 手鞠より英家への葉書】


 新年のおよろこびを申し上げます。

 昨年は両家にとりまして、めでたき年となりました。

 今後とも末永くよろしくお願いいたします。


大正十年元旦

春日井 手鞠

英家御一同様




【一月一日 手鞠より菜々子への葉書】


 新年のおよろこびを申し上げます。

 旧年中は大変お世話になりました。

 菜々子さんにとって、素敵な音色を奏でる年となりますように。


大正十年元旦

春日井 手鞠

滝口 菜々子さま




【一月一日 手鞠より久里原家への葉書】


 恭賀新年

 昨年中は格別のご厚誼を賜り、厚く御礼申し上げます。

 皆様に幸多き年となりますように。


大正十年元旦

春日井 手鞠

久里原家御一同様




【一月七日 手鞠より淡雪への手紙】


拝復 未だ不安定な欧州から、よくご無事でお戻りくださいました。当家でも皆喜んでおります。

 また、ご挨拶が遅れておりまして、申し訳ありません。落ち着きましたら、両親と共に伺いたいと思います。

 さてご質問へのお返事ですが、これでいいも何も、縁談に関しましてはじめからわたしに選ぶ余地などございません。すべては久里原様とわたしの父が決めたことで、わたしはそれに従うほかないのです。淡雪さんもご同様のことと思います。

 静寂さんのご様子もわざわざお知らせいただかなくて結構です。きっとお勉強で難しいことでもあってお悩みなのでしょう。

 わたしにはどうして差し上げることもできませんが、淡雪さんがお心を砕いてくだされば、静寂さんはすぐ元気になられることと存じます。

 本年も淡雪さんにとりまして、い年となりますよう、お祈り申し上げます。

拝答


大正十年一月七日

春日井 手鞠

久里原 淡雪様




【一月十二日 手鞠より淡雪への手紙】


拝復 お心遣いありがとうございます。

 顔合わせにつきましては、本来やり直した方が良いのでしょうが、淡雪さんさえよろしければ、このまま祝言に向けて準備を進めていただいて構いません。当家と久里原家との縁談に関しましては、こちらの事情もあり、当初から順風満帆とは言いがたい経緯がございます。ここで仕切り直してまた時期を遅らせない方がよろしいかと存じます。

 お衣装のことも含め、わたしにこれといった希望はございませんので、すべて久里原様とわたしの両親にお任せいたします。

拝答


大正十年一月十二日

春日井 手鞠

久里原 淡雪様




【一月十三日 手鞠より菜々子への手紙】


 お返事が遅くなってごめんなさい。

 年末から少し余裕がなくて、正直に申し上げると、いただいたお手紙をさきほど読んだところなのです。

 お手紙にありましたことですが、それは確かなのですか? 見間違いや誤解でも、噂が広まったら大変なことになります。傷つくのは駒子さんですから、慎重に確かめなければなりません。

 まず、菜々子さんが見かけたのは、間違いなく藤枝政行さんなのですね? 藤枝男爵子息の。駒子さんの婚約者の。そして、親しげにしていた女性は、例えば藤枝さんの妹さんだとか、悪ふざけで腕を組んでいたように見えただけとか、そういう可能性はないのですか?

 紅梅屋であれば心当たりがありますので、そこから情報が得られないか、私の方でも動いてみます。

 はっきりと事情がわかるまで、このことは内緒に。


大正十年一月十三日

春日井 手鞠

滝口 菜々子さま




【一月十三日 手鞠より淡雪への手紙】


急啓 淡雪さん、勝手なことを申し上げるようですが、これからお話することは、どうかご内密にお願いいたします。

 わたしの大切な友人が婚約されたのですが、そのお相手に関して良くない噂がございます。先日銀座の紅梅屋で、その男性が別の女性と親しげに腕を組んで歩いていた、というのです。ただの誤解ならいいのですが、良からぬ噂のために友人を傷つけたくありません。

 紅梅屋は淡雪さんのご友人が経営に関わっていると聞きました。どうかその方をご紹介いただけないでしょうか。何か知っていることがあれば教えていただきたいのです。

 何卒お力をお貸しくださいませ。よろしくお願いいたします。

頓首


大正十年一月十三日

春日井 手鞠

久里原 淡雪様




【一月十七日 手鞠より淡雪への手紙】


拝復 身勝手は重々承知しておりますが、他にあてもなくすがるような思いで淡雪さんにお願いいたしました。それを「益がない」とはあんまりではありませんか? 「淡雪さんの言うことをなんでもひとつ聞く」という交換条件も承服いたしかねます。

 もしかして、淡雪さんはわたしと静寂さんのことを、何かお疑いなのでしょうか?

 静寂さんとのことは過去にございますので、どうかお気になさいませぬよう。

拝答


大正十年一月十七日

春日井 手鞠

久里原 淡雪様




【一月十八日 手鞠より淡雪への手紙】



前略 先日のお手紙ですが、感情的になり、ずいぶん失礼なことを申し上げてしまいました。申し訳ありませんでした。

 交換条件は了承いたします。元より夫の言うことに異を唱えられる立場ではございませんので。

 どうか紅梅屋の紹介と、協力を得られるよう口添えしてくださるお約束、よろしくお願いいたします。

草々


大正十年一月十八日

手鞠

淡雪様




【一月二十五日 手鞠より菜々子への手紙】


拝復 やはり菜々子さんが見かけたのは、藤枝政行さんで間違いないのですね。

 こちらも紅梅屋の支配人をご紹介いただき、藤枝さんのことを尋ねて参りました。「お客様のことに関して不容易にお答えできませんが、日曜日にいらしてください」と言われました。口振りからの推測ですが、日曜日に藤枝さんがいらっしゃるのではないかと思うのです。

 ですから日曜日、紅梅屋に参りましょう。その際、悦美さんも誘っていきましょう。あのリリプットカメラは、このときのために存在しているのです。不貞の証拠も空の写真も、どちらも誰もよろこばない点に関して一緒ですが、ごみを増やすより人助けに使った方がよっぽど有意義です。

 では日曜日、十時の開店前に入口脇で。

拝答


大正十年一月二十五日

春日井 手鞠

滝口 菜々子さま


追伸 日曜日は久里原淡雪さんもいらっしゃるそうです。今回のことで協力していただいたため、断れませんでした。ごめんなさい。




【二月一日 手鞠より駒子への手紙】


 突然傷つけるようなことを教えてごめんなさい。嘘であったなら、とわたしも思いましたが、どう見ても藤枝さんが誠実な人と思えず、菜々子さんと相談して駒子さんにお伝えすることにしたのです。

 わたしも頭に血が上っていて、心配りが足りなかったと反省しています。もう少しおだやかな方法があったかもしれません。

 けれど、「別にどうでもいい」なんて自暴自棄にならないでください。駒子さんが言うように、家同士の都合で結婚して旦那さんに別の恋人がいたという話は、掃いて捨てるほどございます。駒子さんもまた藤枝さんに恋をしていないことも知っています。だけど、藤枝さんの場合は全然違うのです。

 藤枝さんと親しいのは写真の女性だけではありません。菜々子さんが洋装の女性を見かけていますし、淡雪さんの情報ではどうやら他に幾人も女性の影があります。たったひとり想う人がいるというなら同情の余地もありますが、あの行いは人として不誠実です。想う方に嫁げないとしても、お相手は選ぶべきです。

 英子爵に相談してみてください。どうか幸せになることを諦めないでください。


大正十年二月一日

春日井 手鞠

英 駒子さま




【二月一日 手鞠より蘭への手紙】


急啓 蘭姉さま、突然変な写真を送りつけてごんなさい。

 これは先日、わたしとわたしの友人で撮ったものです。銀座の紅梅屋で藤枝政行さんが新橋の芸妓を連れているところです。情報によると、藤枝さんには他にも複数の女性の影があります。こんな不誠実な人が駒子さんのお相手で本当にいいのでしょうか?

 けれど、このことを駒子さんに伝えても取り合ってもらえないのです。駒子さんは菊田さん以外なら、誰でも一緒だと考えています。でも、わざわざひどい相手を選ぶことはないでしょう?

 蘭姉さまもどうか駒子さんを助けてください。

草々


大正十年二月一日

手鞠

蘭姉さま




【二月一日 手鞠より八束への手紙】


急啓 ご無沙汰いたしております。日頃より八束さまのご厚誼には、心より感謝を申し上げます。

 こうして突然お手紙を差し上げましたのは、駒子さんのご縁談につきまして悲しい事実がわかったからです。同封の写真をご覧になって、八束さまならどう思われるでしょうか。藤枝さんと親しくされているこの女性は新橋の芸妓だそうです。この方以外に、わたしと駒子さんの共通の友人である滝口菜々子さんが、洋装の女性と藤枝さんが親しげにしているところを見かけたそうですし、それさえも藤枝さんの交際の一部であるようです。こんなに派手な振る舞いをなさっているのですから、もしかして藤枝さんの悪評は八束さまのお耳にも届いていらっしゃるのではないですか?

 わたしは姉に幸せになってほしいと思い、八束さまと縁が繋がるお手伝いをいたしました。ですから姉の笑顔を見ると本当にうれしいです。姉も楽しいことばかりではないでしょうけれど、好きな方に嫁せたからこそ乗り越えられるのだと思います。

 この方に大切な妹さんを差し上げられますか? わたしのように事情があるならともかく、そうでないなら結婚を急ぐこともないと思うのです。寿退学が誉れであったのはもう昔の話。大切なご縁はゆっくり選ばれた方がよろしいのではないでしょうか。

 差し出がましいこととは存じますが、どうかご賢明な判断をお願いいたします。そして、英子爵を説得してくださいませ。

草々


大正十年二月一日

春日井 手鞠

英 八束様




【二月一日 手鞠より菊田への手紙】


 突然お手紙差し上げる無礼をお許しくださいませ。

 覚えていらっしゃいますでしょうか。わたしは英駒子さんの友人で、春日井手鞠と申します。以前、久里原静寂さんと一緒に、市電で声を掛けさせていただきました。その節は失礼いたしました。

 同封の写真は駒子さんの婚約者である藤枝政行氏と、その恋人と思われる芸妓です。藤枝さんには他にも複数の女性がいらっしゃるようで、少なくとも女性関係においては誠実とはほど遠い方だと思われます。

 このことは駒子さんにもお伝えしました。しかし、菊田さんでなければ誰だって同じという姿勢を崩されないのです。

 もし菊田さんの中に駒子さんへの想いが残っていらっしゃるなら、自分を粗末にするようなことを止めてもらえませんか? きっと菊田さんの言葉なら駒子さんに届くと思うのです。

 こんなことをして駒子さんにも菊田さんにも怒られるでしょうけれど、このまま見過ごすことはできませんでした。

 もしご迷惑でしたら、この手紙は破り捨てて忘れてくださいませ。

 乱筆失礼いたしました。

かしこ


大正十年二月一日

春日井 手鞠

菊田 仙太郎様




【二月九日 手鞠より菜々子への手紙】


 英家に嫁しましたわたしの姉よりお手紙が届きました。それによると、英子爵が駒子さんと藤枝さんの婚約の破談を決めたそうです。また、駒子さんの縁談はもう少し落ち着いてから、卒業後に考えられるとのことでした。

 駒子さんには、少しゆっくりと気持ちを落ち着ける時間が必要だと思うのです。どのくらいの時間があれば失した恋は癒えるのか、新しいご縁に馴染めるときが来るのか、わたしにもわかりませんが、駒子さんはきっとまだ忘れたくはないはずです。菊田さんとの思い出も痛みも、それは駒子さんだけのもの。いましばらくその想いと一緒にいさせてあげたいのです。

 菜々子さんもどうもありがとう。悦美さんにうぐいす餅をご馳走する約束をしているので、菜々子さんもぜひ一緒に参りましょう。


大正十年二月九日

手鞠

菜々子さま



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