Log-089【信念と忠誠と】

「只今戻りましたわ。各位、至急出発の準備をしてくださる? 目的は当然、民衆の疎開を指揮しつつ、魔物迎撃のため西門へと向かい、各部隊と合流を果たすこと。以上、五分後にここを発ちますわ」


 そこは南の五番街、ゴドフリーの根城へと戻ってきたイングリッド。間髪入れず、そこに待機していたアクセルとルイーサ、そしてマフィアと革命軍の面々に指示を出す。当然、物知り顔の彼女に対し、様々な質問が飛び交った。


「先程のサイレンは!? 魔物が攻め込んできたというのか!? この国に!」


 革命軍の一人が動揺しながら問う。イングリッドは備え付けの箪笥たんすを開き、収められていた魔石や小瓶を手に取りながら、抑揚のない声で答えた。


「ええ、既にセプテム領内へと侵入してきておりますわ。但し、この都市に至るのは明日正午。その僅かな時間で、対魔都市防衛戦線を敷き切るのが、喫緊きっきんの課題ですわ」


「おい、アナンデール卿にレギナの姉御は……それにボスはどうしたんだ? 昨夜からサルバトーレの野郎も見ねぇし」


 マフィア構成員の一人がいぶかしげに問う。イングリッドはベルト付きの皮革鞄を腰に取り付けながら、片手間に答える。


「レギナ・ドラガノフは新たに、セプテムの王となられました。アナンデール卿とサルバトーレはその者の目付役に。サム・デトルヴは別働隊の指揮に向かわれましたわ」


 イングリッドは衝撃の事実を、事もなげに語った。レギナが王となった、その事実が驚愕と歓喜の声を広げていく。


 ざわめく彼らを横目に、彼女は淡々と自らの荷物をまとめていった。すると、


「……イングリッド様、ローエングリン家の方々は……」


 そう問うのは、不安そうに眉をひそめるアクセル。彼に見向きもせず、彼女は淡々と答えた。


「アレクシア姉様は国防軍第一中隊が待機する北の一番街へ。エレインは特鋭隊が待機する東の三番街へ。ウルリカは……新政府により捕らえられたわ。今頃牢獄にでも入れられてるんじゃないかしら」


「なっ……!?」


 アクセルは驚愕する。事の次第を問い質そうと、イングリッドに詰め寄る、それを遮ったのはルイーサだった。アクセルを押し退け、イングリッドに迫る、その形相はかつてないほどに険しい。


「――イングリッド様」


 ルイーサの手が彼女の襟首に伸びる。身体を勢いよく持ち上げると、そのまま彼女を壁に押し付ける。ルイーサはその険しい形相で、イングリッドの目と鼻の先まで迫った。


「ウルリカ様を殺めるおつもりですか?」


 低く、威圧する、恫喝どうかつを加えるが如き語気を孕み、彼女に詰問する。同時に、襟首を握り締める力が、みるみる強まっていく。


「クッ……!」


 喉を締め付けられ、気管が閉じ、息も儘ならない。末端器官から徐々に麻痺していく。


「あの方は、生家を発って以後、無理に無理を重ねている。それは貴女も分かっているはず。大きな戦を前に、これ以上あの方に苦痛を強いると?」


 そう問いながら、両の手で襟首を持った。感情のままに、拳に込められた力は更に強まっていく。危険だった、このまま無抵抗を続ければ、失神はおろか、魔力が緩んだ瞬間に頚椎けいついを砕かれる恐れがある。致し方なし、イングリッドは腰部に巻きつけたウルミに手を伸ばした――


「ルイーサ様。もう、お止め下さい」


 そう言って、アクセルは左手を覆った皮革の手袋を外す。そこから現れたのは、光を飲み込むほどの、漆黒に染まった手。その手で、襟首を掴むルイーサの拳に触れた。


 途端、握り締めていた拳が解ける、膝が折れる、眩暈めまいがして、倒れ込みそうなところを、一歩下がって堪えた。


「……ッ! アクセルッ!」


 ルイーサが歯をむき出しにして睨む、だがアクセルは表情を変えることもなく、ただ首を横に振った。


 彼の横槍がなければ、どちらかが重傷を負っていただろう。無論、彼女はそれを承知の上での行動だったのだろうが。


 解放され、壁にもたれ掛かりながら、咳き込むイングリッド。しかし、一息ついて息を整えると、何をするわけでもなく、ただ襟を正し、そのまま踵を返して、荷造りに戻った。


 場は、しんと静まり返る。アクセルやルイーサも、彼女にならい、荷造りに戻る。だが中には、呆気に取られ、立ち尽くす者もいた。


「いつでも出立できて?」


 イングリッドは目聡く一瞥して、注意喚起する。呆然としていた者も、そそくさと準備に掛かった。およそ五分、大方の準備が完了し、出立の段階となった。


「各位、表に出てからは、民衆の疎開指揮が優先されますわ。都市東側、二、三、四番街の指定区域への移動を民衆に指示。歩行障害者には手を貸し、直接案内を願いますわ。最悪、西門には明朝までに到着していれば問題ありません。以上、迅速な行動を期待しますわ」


 矢継ぎ早に任務内容を説く、その完了を機に、目に見えて一行に発破が掛かった。拳を打ち鳴らす者、指を鳴らす者、引け腰の者の背中を打ち叩く者、冷静に散弾銃の動作確認をする者、神秘に祈りを捧げる者。それぞれが次なる使命を軍靴の音に乗せて、続々と根城を後にしていく。


 最後に残った三人、アクセルとルイーサが入口に立ち、イングリッドを待つ。周囲に目を配り、無人となった根城を認めると、彼女は指を鳴らした。すると、静かに部屋を暖めていた暖炉の火が、フッと鎮まる。


 イングリッドは一息吐くと、不意に羽織った燕尾服の懐から、銀無垢の懐中時計を取り出した。踵を返し、冷たく静かな瞳がアクセルを認める。


「……受け取りなさい」


 手に取った懐中時計を放り投げる。不思議に思いながら受け取り、裏の刻印を覗く。そこには、ウルリカ・ローエングリンの銘が彫ってあった。


「これは……」


「ウルリカから預かったものよ。貴方から直接、あの娘に渡しなさい」


 その言葉に目を見開くルイーサ、手に持った懐中時計を握り締めるアクセル。


 次第に、肌を刺す冷たさが部屋に満ちていく。彼らの応答を待たず、二人の間を割って進み、イングリッドは退室していった。


 静まり返った根城で、二人もまた踵を返し、地上へと向かう。イングリッドから受け取った懐中時計を、アクセルは纏った外套の懐に入れた。


「……イングリッド様は、勇者ウルリカという立場を最大効率に利用すれども、妹としてのウルリカを決して見捨てることはありませんよ」


 歩を進めながら、アクセルはイングリッドの心壊を察する。後ろに付いたルイーサは、その言葉に深く首肯した。


「分かっていた……はずだった。ただどうも、参っているのは私の方かもしれない。ウルリカ様は、もはや私の視界になど収まらない御方であるはずなのに。耄碌もうろくしてしまったか、私は」


 彼女の言葉に、アクセルは首を横に振る。


「いえ、お気持ちは痛いほど分かります。ルイーサ様が耐え難く、僕が堪えられたのは、偏にお目付け役か、守護者かという、立場の違いに過ぎません。想いは同じ――ですが内容は違います。僕は、ウルリカが無事であると信頼できるものがあれば、それでいい。しかし貴女はやはり、彼女がどれほど遠くへ行こうとも、その視界に留めておかねばならない。そんな責務の違いがあったのでしょう」


 ルイーサは目を丸くして、次第に顔を綻ばせた。


「フッ。いや、確かに私は耄碌もうろくしたようだな。まさか仕事のイロハを、教え子に講釈こうしゃく賜るとは」


「あ、いや、申し訳ありません。ルイーサ様に対し驕慢きょうまんにも御託など――」


「気にするな、お前の言葉は正しい。血が上った頭を、誰かが冷やさなければ、事を急いて身を誤っていたかもしれない。助かったよ、アクセル」


「……恐れ入ります」


 二人は心新たに、課せられた任務へと進む。ウルリカの帰還を待ち望みながら。


「それはそうと、さっきのアレ、相当身体に負担掛かるんだ。ウルリカ様にも忠告されたんだろう? 矢鱈な利用は控えろよ」


「あ、ははは……いやまあ、下手に割って入れば、手痛い反撃貰いそうでしたし」


「……変なところでちゃっかりしているよな、お前」

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