Log-084【鉄の独裁者、炎の革命家-壱】

 天を衝く“煙霞の鉄城”が眼前に聳える。入り口を塞ぐは鉄製の落とし格子。節々に錆が見える格子状の鎧戸は、しかし依然として何者をも受け入れようとしない強固さを物語っていた。


 ネストルが指を弾くと、門戸の左右手に設けられた城壁塔の狭間窓から覗く衛兵が頭を引っ込め、ガコンッ、というレバーを引く音が鳴り響く。落とし格子は鈍い駆動音と、鉄鎖が擦れる音を立てながら上昇していき、“煙霞の鉄城”は来訪者の入城を許した。


 ぼんやりと灯った水銀灯が浅葱色に染める剥き出しの鋼鉄。深淵に落ちていくかのような、先の見えない暗がりへと続く廊。一歩、また一歩踏み出すたびに木霊する、生気のない金属音。どこまでも立ち込める、鼻を刺す金属臭。どこからともなく肌を刺す、色のない寒風。だだっ広く、特徴に乏しく、迷路のような城内。ありとあらゆるモノが、あたかも生ある者を拒絶するかのよう。


 城内を黙々と進む一行の、息遣いと足音の他に、物音は聞こえない。そもそも、積極的に運営されている気配が一切ない。およそ形骸化した城のようだった。というのも、現在この国を統べるエフセイ・ボブロフは、軍人上がりの王だった。


 かつては軍を率いて戦場に繰り出し、自らも魔物と刃を交えたことさえある。彼はいわゆる、戦地実動の人間だった。そのため、王宮に腰を据えて執政する、などという純然たる王を象徴するその姿勢が、彼の肌身には合わなかったのだ。


 戴冠たいかんしてからというもの、自らの足で国土中を走り回り、最大限の効率化に励んだ。商業地区と集合住居地区の区画を整理し、人口の都市集中から交通設備を再設計し、働き口のない貧困層に対し公共事業を新たに設けて斡旋し、先端技術の開発と活用を奨励した。自ら血と汗を流し、昼夜を舎かず献身するその姿に、誰もがボブロフを高く評価した――そう、一時は名君とさえ呼ばれていた。そこまでは良かった。


 だが、時が経つにつれ、彼の根からの質朴さが、周囲を巻き込んでいった。生まれてこの方、自ら贅沢なるものを嗜んだことがなく、そも無意味と断じていた。その思想は次第に高じていき、遂には自身も含めた権力者たちに対し、一切の贅沢を禁じてしまったのだ。先代までの王を取り巻いた煌びやかな什器や庭園、彫像や絵画といった美術品、そして城を彩っていた外装さえも、その全てを引き剥がした。値の付くものは全て売却、価値のない鉄くずは再利用。いわば、徹底的な断捨離。


 それが大衆に向けられるのは、時間の問題だった。全市民を国営の集合住宅に住まわせ事実上の監視下に置き、一定以上の私有財産を吸い上げ、経済発展のため国民には過剰労働を強いた。それは、年を追うごとに強度を増していき、当然現れる反対の声にも、軍による武力弾圧という名の虐殺を以って応えた。誰もが異様だと気付いた頃には、立憲君主国とは名ばかり、ボブロフの恐怖政治による独裁国家へと変わり果てていたのだ。


 合理の怪物、とハプスブルクはボブロフを評した。アレクシアとイングリッドは、市民の兢々きょうきょうとした様子、そしてこの城の有様こそが、ボブロフという男の天性をまさしく物語っていると認めた。無駄を廃し、余裕を廃し、ただ国家の保存のみを優先する。つまり、合理性というアルゴリズムから、人間性を排したのだ。そんなものが、人民に寄り添う、人民の為の統治と成るはずがない。これまで切り捨ててきた人々こそが、国家であるというのに。


 闇よりも暗さ際立つ水銀灯が照らす、薄暗い廊を進み続ける一行。その先に待ち受けていたのは、大振りの昇降機。大人六人あるいは七人ほどの余裕はある。だが、一行全員が乗れるほどはなかった。すると、ネストルが振り返り、重く閉じていた口を開く。


「ここから先は数を絞らせてもらう。アナンデール卿、勇者の女。その他に、あと二人選べ」


 ゴドフリーが振り返る。すると、最初に口を開いたのは、


「私はここに残りますわ。エレイン、貴女も残りなさい」


「えっ? う、うん、お姉ちゃんがそう言うなら」


「……というわけだ。王との謁見にはこの二人を連れて行く」


 アレクシアとレギナがゴドフリーの後ろにつく。ネストルはその様子に一瞥をくれると、黙して前に向き直り、昇降機の開閉スイッチを押した。金属製の格子扉が音を立てて開き、選抜された五人が乗車していく。


 ゴドフリーが振り返ると、イングリッドが正面に立つ。彼女の鋭い瞳を受け取ると、ゴドフリーはネクタイを正した。その仕草に、イングリッドは何かを察したか、視線を外した。



―――



 鳴り響いて耳打つは、噴出する蒸気の音、重く鈍い駆動音、昇降機を牽引する鎖の音、そのどれもが極めて人工的。耳元で囁く隙間風だけが唯一の自然か。


 高度が上がるにつれ、次第に鎮まっていく反響音。その終端に着くと、一行の視界には、薄暗い大広間が広がっていた。大広間というには、飾り気も人の往来も、その一切がないため、がらんどうと表現した方が適切だが。


 昇降機の格子扉が音を立てて打ち開く、ネストルを先頭に降車していく。正面に真っ直ぐ進み、広間を抜けた。その先に伸びる、何の変哲もない廊を、黙々と進んでいく。まるで代わり映えのしない道程、呼吸すら憚られる重苦しさ、それは、ただそこに居るだけで、平衡感覚を奪われるかのよう。


 廊の際まで来ると、眼前に現れたのは、高さ三メートルはあろう質素で堅牢な鉄扉。開けた控えの間を擁しているのを見るに、その鉄扉こそが謁見の間へと続く扉のようだ。かつては絢爛に施されていたであろう、今や物々しさのみを纏う鉄扉を、ネストルが全身の体重を掛けて打ち開く。


 扉の先は、天高い大広間。奥に向かって並び立つ列柱、壁に掲げられた無数の水銀灯。それ以外に、一切の装飾らしき装飾は存在しない。


 部屋の中央には、六人の老壮な男達。鉄製の机を円形に並べ、そこに彼らは座していた。かつて謁見の間として用いられていただろう部屋の面積に対し、明らかに不釣合な空間利用だった。


 正面向かいには、使い込まれた軍服を纏い、白髪の丸刈り頭で、表情に乏しい質朴な面の大男。それがセプテムの王エフセイ・ボブロフだった。その様相は厳格さを滲ませる。だがそれは、威厳や威光といった、畏敬させ心服させる、カリスマとは異なるもの。謂わば、相手を威嚇し、恐怖させ、屈服させる、脅威の類だった。


 一目見て、ボブロフという男が周囲に与える影響を洞察したアレクシア。と同時に、ハプスブルクの言う、上に立つ人間ではない、という言葉を、不服ながらも理解する。彼女曰く、その男は人を鼓舞し、明日を謳い、豊かさを創造する者では、断じて無かったのだ。


 セプテム首脳陣の集いに対して、気にも留めずに入室するネストル、続いて一行も粛々と入室していく。横にズラリと並び、ボブロフに面と向かった。背筋の伸びた正しい姿勢で、ボブロフは一行を見据えていた。そして、その男は口を開く。


「ごきげんよう、アナンデール卿。此度は勇者を捕らえて頂いたとお伺いしておりますが」


 意外にも、礼儀を弁えたその物腰は柔らかい。いや、感情表現に乏しいと言うべきか。言葉は丁寧だが、極めて事務的な口調だった。


「ああ、こいつが待ちに待った勇者の御姿だ」


 ゴドフリーが荒っぽくウルリカを差し出すと、目深に被っていたフードを勢いよく引っ剥がす。目を伏せ俯いたウルリカの顔が露わになると、首脳陣が一様にざわめいた。


「馬鹿な、このような小娘が……!?」「……彼の国は何を考えているのだ」「愚かなことよ、ヴァイロン王も耄碌もうろくしたか」「やはり勇者など無益、ましてや斯様な子供になんぞ何ができようか」「もはや捨て置けばいい、この国で暖を取らねば死ぬだけよ」


 そのどれもが、呆れ、見下し、蔑む声。それもそのはず、どこぞの馬の骨とも分からない、憚らずも勇者を名乗る者の正体が、よもや年端もいかぬ少女だったのだから。


「勇者なる者とは、なるほど。このように無責任に決定されるものでしたか。やはり我々の判断は正しかったようです」


 およそ二百年前の『三盟邦人魔大戦』より、セプテムは自力で国家を防衛することを選んだ。同時に、勇者輩出を決定する三国間での選定決議からは、長きに渡って身を引いてきた。ボブロフは、その判断こそ正しかったと論じる。


「勇者が世界の秩序を維持していると語られていますが、しかし国家を護るためには、国家自体が防衛力を持たなければ、越年えつねんを待たずして崩壊することでしょう。このような無益、即刻停止してしまえばよいのです。アウラのゴドフリー・アナンデール」


 敢えてアウラと添えた口ぶりは、ゴドフリーという男の事情を理解しているようだ。裏社会の長という表向きの顔ではない、本当の使命を帯びた彼を。


「同感だ」


 その端的な同意に、セプテム首脳陣はおろか、一行も驚愕する。だが、彼は周囲に一瞥もくれることなく、更に淡々と続けた。


「だが、そこまで知っているのならば、勇者が背負う使命も、それに俺が加担している理由も、理解しているはずだ。貴様が戴冠した時点で、勇者がこの世界の平穏にどう貢献しているかなど、委細伝わっているはずだが?」


「無論です。が、これまでを鑑みるに、勇者には決して根本的解決など不可能。彼らはただ、人柱という不明瞭な人類の下支えとなって、生涯を終えていく。命をなげうたせ続けるだけの役目に、どれほどの価値があるというのでしょうか」


 ボブロフの吐き捨てるような言葉に、レギナは遂に堪忍袋の緒が切れた。烈火の如き形相を湛えて、ゴドフリーを横切り、ボブロフの正面に立って、鉄の円卓を叩き打つ。その拳は、鉄でできた卓にめり込んでいた。

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