Log-068【合理の都に先駆けて-弐】

 コンクリートの舗装道路と鉄板を組み上げた屋舎が軒を連ねる街並みは、イングリッドには退屈な光景だった。生命の息吹を感じさせない無機質な世界、それはおよそ人の住まう場所ではなかった。


 度々足を運んできたイングリッドだからこそ感じる、先端技術を誇るがゆえに行き過ぎた都市開発の弊害。行政に携わる身として、国家の発展の一助を担うイングリッドには貴重な見本であり、アウラにはセプテムとは異なる文明的発展の道を歩いてもらわなければと、行政官としての責務を犇々と感じさせるものでもあった。


 イングリッドは常として強かな姿勢だが、それは位高きは徳高きを要すノブレス・オブリージュの精神が根底から表層までを貫いているからに他ならない。それゆえに、彼女は誰よりも優れることを望んだ。誰よりも優れ、何よりも社会に貢献することを。それが例え、一を切り捨てることになろうとも、全に貢献することを望んだのだ。


「……ここね」


 無数に立ち並ぶ屋舎の一つ。所々に錆の入った無骨な鉄板を組み上げた外壁。煤けた煙を吐き出す、壁面に沿って伸びた風導管。他所と比較しても何ら特徴の無い建物の、出入り口に掛かった鉄の住所表示板には、掠れて消えかけた文字で、《城下南五番街〇五一番地#一三》と記されていた。


 金属音を上げる重苦しい鉄扉を開くと、寒々とした薄暗く狭隘きょうあいな踊り場が現れる。上階に続く昇り階段と、そして地下に続く下り階段。また、左右には無記名の表札を掲げた鉄扉が設けられていた。ゴドフリーは集合住宅の形態を取ったこの建物を隠れ蓑とし、今回の革命運動を裏から指揮しているのだとイングリッドは推察する。


 ゴドフリーが居るのは地下一階、下り階段に足をかける、その瞬間――


「……」


 闇に覆われた階段先。そこから放たれるは、肌を刺すほどの明確な殺気。一瞬、その場で立ち竦み、二の足を失念した――だが彼女にとってのそれは、臨戦態勢を整えたに過ぎない。心は動じず、遠慮もせず、敢えてヒールの音をすら響かせながら、悠然と下っていく。手を腰に添えながら。


 階段を下り終えると、狭隘な廊下が伸びる。廊下の突き当たりには、まるで牢獄を彷彿とさせる重厚な鉄扉。それを扉上部に設けられた水銀灯が弱々しくぼんやりとした浅葱色の光で照らしていた。迷わず突き進むイングリッド。鉄扉の前に立ち、ドアノブに手を掛ける。全身の体重を掛けて、鈍い金属音を鳴らしながら扉を開いた。


 ――撃鉄を起こす音。それは一つだけではない。無数の音が耳を打つ。


 扉の先には、建物の外面からは想像できないほどの設備と什器を整えた広間が迎える。そこには、かつてのルカニアファミリー首領サム・デトルヴと、彼が率いる二十名を超える部下が並び立ち、一様にリボルバー式拳銃をイングリッドに向けていた。


「随分なお出迎えですわ。何かやましいことでもあって?」


  ゴドフリー、と言葉尻に加えて、マフィアの構成員たちの間を縫って奥に見える、骨太な栗色の机に座した黒尽くめの男を見据える。彼は机に両肘を立てて手を組み、状況を静観していた。


 束の間の静寂。すると、彼が片手を挙げる。それを認めた構成員たちは、渋々と銃を下ろす。


「貴様が先に現れたか。奴は息災か?」


「ええ、恙無く。貴方の手筈通りの動きをしていますわ」


「そうか……では貴様は既に知っているな? いや……野郎の差金として、か」


「……」


 ゴドフリーの言葉に、イングリッドの背筋に悪寒が走る。差金、とは自分を指しているのか? と。それが意味するものは、つまり――


「――貴方は、ハプスブルク卿の行動を認知しつつも、抵抗している……と?」


「いや、少し違うな。野郎は野郎の手段で、俺は俺の手段で、救世を目指す。俺の手段には、貴様らが必要だったのだ。だから加担している。貴様らには伝えたつもりだったのだがな」


 その言葉に、イングリッドは胸の奥に灯る炎が盛るの感じる。いや、これは間違いなく、互いの認識に齟齬があると解りつつも、彼女にとっては、決して看過できない表現だった。


「ハプスブルク卿が救世を目指している? 人類存亡を小事と断じたあの男が?」


 彼女の冷眼に怒気が孕む、前を開けた燕尾服が靡く。昂る感情に応じて、彼女を取り巻く魔力は、肌を刺すほどの波動を生んだ。すかさず構成員たちが銃を構えるも、すでにイングリッドの魔術によって、その全てが凍結、銃としての機能を失っていた。


「テメェ、ここでおっ始めようってのか」


 ゴドフリーの横に立つサルバトーレは、イングリッドを射るような視線で威嚇する。しかし、イングリッドは意に介さず、淡々とゴドフリーの座した机へと歩を進める。


「待ちやがれ、女」


 サムが部下を引き連れて、イングリッドの眼前に立ち塞がる――が、


「なっ……!」


 彼女の突き刺すような魔力の奔流を前に、意図せず後ずさりしてしまう。それはおよそ脊髄反射による、生物としての本能的な回避。


「おいサム! テメェなに怖気付いてやが――」


 サルバトーレの怒号の最中、イングリッドは既にゴドフリーの眼前に立っていた。彼女が机に手を置くと、そこから瞬時に凍結していく。氷面は彼だけを避け、周囲を取り囲むように広がっていった。


「アナンデール卿、貴方が企てる救世、その手段とやらを即刻この場でお聞かせ願えるかしら。返答次第では、次に凍てつくのは貴方の心の臓であると覚悟なさい」


 すかさず、サルバトーレは腰に隠し持っていた弾道ナイフを抜く――だが、それをイングリッドに差し向けた瞬間、彼の視界の端を鋭い一閃が掠めた。ナイフは吹き飛び、壁に刺さる。


「なにっ……!?」


 彼女は瞬く間に、腰に巻いた鞭剣ウルミを抜いていた。視線は正面を向きつつも、その刃の軌道を意のままに操り、側に立つサルバトーレの弾道ナイフだけを正確に射抜いたのだ。宙にしなった刃は、素早く一重巻き状で手元へと収まっていく。


「外野は黙っててくださる? 次に妙な動きをしたなら、残る腕を切り落としますわよ」


 凍てつくような魔力と同様に、イングリッドの表情は冷徹だった。ゴドフリーもまた微動だにせず、真っ向から焦点を交わす。イングリッドは眉一つ動かさず、酷薄な声で語り掛けた。


「貴方達をこの場で殺すのは容易く、また時間を取りませんわ。私にとっては交渉のつもりですが、貴方がたにとっては脅迫とでも受け取って下さって構いません。改めて問います、アナンデール卿。貴方とハプスブルク卿の企みを虚飾なくお聞かせ下さる?」

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