Log-065【黄砂の地にて集う】

 ウルリカら勇者一行がアウラを発ってから、一週間が経とうとしていた。国を縦断して伸びるヤクト川沿いのジェムロードを行軍し、昼夜で激しい寒暖差にも少しずつ慣れてきた頃。ようやくグラティア王都が見えてきた。


 その日の夕暮れ。一行の到着に合わせ、王都南方の緑地が広がり始めるオアシスの境界で待機していたエレインと落ち合う。そこはジェムロードと直結する、アウラから訪れる者の玄関口。時折、通過する行商人や旅人が物珍しそうな視線を送ってきた。


 ウルリカたちは、そこで一度馬車を降りた。軽く手を挙げて、エレインと挨拶を交わす。


「やあ! みんな久しぶり!」


「エレイン、息災でなによりだ」


 レンブラントはエレインを抱き包む。


「一週間ぶりね。そっちの首尾はどう?」


 真っ先に作戦の進捗を問うウルリカに、エレインは満面の笑みで返す。


「うん! 順調だよー! 今アウラと一緒に国を挙げて対策してくれてるところ。いざという時にもセプテムに向けて二国間で組織した連合軍を派兵するって言ってくれてる」


 エレインの返答はウルリカの想定した状況の中でも上等な成果だった。ウルリカは微笑みを湛えて、相槌を打つ。


「おう! 上々だな、エレイン! 腕上げたんじゃねえか?」


 アレクシアはエレインの頭を乱暴に撫でて称賛する。エレインは満更でもない笑みを零した。


「それじゃ、アレクシアお姉ちゃんの部隊を駐留所に案内するね。グラティア軍の演習用施設の一つを借り受けたんだ。留まっている間はそこを自由に使っていいってさ」


「とことん気が利く妹だ!」


 アレクシアはウルリカを強く抱きしめる。流石に苦しかったのか、エレインはアレクシアを宥めて振りほどいた。ウルリカは呆れながら手を振って催促する。


 エレインは停めていた馬車に乗り込み、車窓から身体を出してアレクシアに指示を出す。アレクシアも部隊の先頭を切る馬車に乗り、御者に指示を出す。六十騎もの馬車が列を成し、仰々しくグラティア王都へと進行していく。ウルリカたちが一団を見送っていると、その最後尾には大きな駆動音と真っ白な蒸気を吹き上げる蒸気自動車が列に並んで現れた。よく見ると、帆布が操縦席を覆った、砂漠縦断仕様の装備が施されていた。


「あれ~? ウルリカたちは行かないのかい?」


 操縦席前面のガラス窓から不思議そうに顔を見せるパーシー。すると、覆っていた帆布が自動で後部に畳まれていく。蒸気自動車を停車させて降車したパーシーは、状況を飲めずにいた。


「みんなどこに行ったんだい? 後ろに居たから何も見えなくてね」


「エレインが国防部隊だけ駐留所に連れてったわ。あたしたちはエレインが用意してくれた宿に泊まるけど、あんたどうするの?」


「えぇっ!? ボクの宿は取ってないの!? 車の運転のし過ぎで体力も魔力もスッカラカンだよ~!」


 驚愕するパーシーに、悪戯な笑みを浮かべるウルリカ。


「冗談よ。てか、あんたがどうのってより、その車が問題なのよ。馬小屋に停めるってわけにもいかないでしょ?」


「な〜んだ、それなら伝手があるから問題ないよ。錬金術の研究仲間に頼み込んでみるさ。あいつは新しいもの好きだからね」


「あらそうなの。だったらそこに泊めてもらえばいいじゃない」


「いやぁ、まぁ……あいつもなんだけど、ボクはトコトン朝が苦手でねぇ……」


「はぁ……アクセルといい、あんたといい、どうして寝覚めの悪い連中ばっかりなのかしら」


 悩みのタネが無駄に尽きないウルリカは、終始頭を抱えていた。


「……じゃ、じゃあボクはこの車、停めてくるから! 宿の住所だけ教えてくれるかい?」


 パーシーは再びウルリカから説教を食らうのは御免だとして、さっさとこの場を去ることにした。ウルリカに万年筆と手帳を手渡して宿の住所を書き記させたパーシーは、


「それじゃ! また後で!」


そう言って、ウルリカの説教を待たずして走り去っていった。


「ウルリカ様、またパーシーを叱り損ねましたね」


「あいつ、逃げ足だけは早いわね。予定には遅れる癖に」


「物事を究める者は、得てして変わり者であることが多いものだ。寛容にあろうではないか」


「とか言うけど、最初あいつに会いに行こうって時は随分足踏みしてたじゃない、父上」


「ぐっ。で、では、私達も向かうとしようか」


 鋭く指摘されたレンブラントは、反論の余地を見出だせず苦い顔して、苦し紛れに話題を変えた。


 一行は、夕暮れ時を照らす街灯が輪郭を縁取ったグラティアの城下町へと足を運んだ。



―――



 翌日。パーシーに対するウルリカの怒号が目覚まし代わりとなって、皆起床した。


 一行の泊まった宿は三階建て。二階以上が客室となっており、一階層につき二人部屋が十部屋設けられた、大衆宿としては大きな部類に入る。一行は一階に下りて、二十坪ほどの広い食堂で卓を囲み朝食を摂った。


 出てきたのは、米や豆、玉ねぎや人参と羊肉を加えたピラフ、そして新鮮な林檎や葡萄といった果物に、薫り高い紅茶。道中は碌な食事にありつけず、兵站として蓄えていた堅パンや干し肉。飲水は道中のオアシスで都度補給しなければ口にすらできなかった。


 ウルリカは真っ先に紅茶を手に取り、十分に薫りを堪能した上で一口含む。深い溜息を吐いて、微笑みを湛えた。


「ふう……待ちに待ったわね。やっぱりこの一杯がないと、一日の始まりを謳えないわ」


「ウルリカは紅茶が好きだね~。ボクは珈琲の方が実は好きなんだけど、マリーも紅茶の方が好きなんだよね~」


「当たり前じゃない。紅茶は高貴な飲み物だわ。あんたみたいな俗人が口にしていいものじゃなくてよ」


「朝から当りがキツいな~ウルリカは。昨日は徹夜だったのに、こんな朝早く叩き起こして来るし……」


「あんた馬鹿じゃないの? 今日はマース女王との謁見だって前もって言ってたじゃない。しかも理由が研究仲間との談笑でしょ? 私的な理由にも限度があるのよ、少しは周りを考えて動きなさい。それにあんたは――」


「あー! あー! ごめんなさい! 悪かった! ボクが悪かった!」


 パーシーは耳を塞いで喚き立て、ウルリカに二の句を継がせない。彼女は呆れ果てて、説教をする気も削がれた。隣では二人のやり取りに微笑みながらスプーンを口に運ぶレンブラント。そして、食卓に広げられた食事を黙々と平らげていくルイーサ。彼女は存外にも大食漢だった。


「あ! ちょっとルイーサ! 一人で果物半分以上も食べるなんてどういう了見よ! あたしだって食べたかったんだから!」


「お二人がとても愉快にお喋りされておりましたので、その隙にと」


「隙ってなによ隙って! あ、店主さん。果物のおかわりはあるかしら?」


 膳を運ぶ店主を呼び止め、おかわりを要求するウルリカ。


「は、はい。只今お持ちします」


 早朝から賑やかで矢継ぎ早な一行の会話に、店主は圧倒されつつも対応する。周囲からは白い目で見る者や呆気に取られる者、影響を受けて声高になる者もいた。


 だが一行は、そんな周囲の目も気にせず会話を続ける。


「そもそも、本来ならパーシーが女王との謁見に参列できる理由なんてどこにも無いんだけど、百歩譲って分家ってことで許してあげるわ」


「これまた酷いなぁ、科学分野はボクに任せたって言った側からだもんな~」


「当たり前じゃない。あんたなんてセプテム到着まではただの穀潰しよ」


「ええ~、足は自分で用意したじゃないか」


「まあまあ。ウルリカはこう言っているが、お前の能力を誰よりも理解しているのもウルリカだ。だが、お前が女王陛下に謁見するということは、命を顧みず戦うと宣うことと同義なのだ。戦士でさえないお前を危険に晒したくはないだけなのだよ」


「ふんっ」


 レンブラントの言葉に鼻を鳴らして、ぶっきらぼうに同意を表すウルリカ。


 勇者一行として正式な参列を意味する各国の王との謁見。それは自らの身命を捧げると誓いを立てることを意味する。勇者という立場に、人類繁栄の人柱となる以外の自由は存在しない。


 だが、それを承知でパーシーは笑った。


「大丈夫だよ~、危険になったらボクは真っ先に逃げるから!」


 敵前逃亡を迷いなく宣言するパーシー。すかさず、ウルリカの爪先が彼の脛を穿つ。その反動で机が地面から僅かに浮いた。


「ぐおぉっ!」


 パーシーは椅子に座ったまま前屈みで蹲り、脛を摩りながら悶絶する。


「ウルリカ様、お静かに」


「……ったく。まあ、そもそもあんたに人格なんて求めてなかったわ」


 ウルリカは溜息を吐いて、首を横に振る。そして、未だ悶絶するパーシーを睨みつけるように見据えて、


「もちろん、あんたたち後衛に火の粉が降りかかるようなヘマはしないつもり。だけど実際何があるかなんて分からないわ。だから命を賭ける代わりに、必ず逃げ延びなさい」


「わ、分かった! 分かったから、その前に怪我はしたくないな~」


「今後の態度次第よ」

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